先月へ


■10月31日 曇り
三重塔の最終図面の大凡が出来あがり打ち合わせをした。九輪の状況、避雷針、鬼瓦の形態、細かい細部までの打ち合わせもした。基壇より九輪の天辺まで27メートル。規模だけでは日本で10指の中の6番目前後に入る大きさになる。父の三十三回忌を思い、また私の住職としての後世へ残したい思いでもある三重塔。大きさを言われると清水寺の三重塔より3メートルほど小さい。甚目寺観音の三重塔とほぼ同じ規模。意匠は松井建設社寺設計部に委ねている。山門も鐘楼堂も松井建設。(右はお手本としている清水寺三重塔)
昨夜、友人が来られた。久しくお酒を止めていたのだが息子の生まれた年のワインをプレゼントされ飲もうと言う事になり頂いた。昭和62年、今から16年前のワインであった。シャトー・ムートン・ロッチルドでブドウ畑の農耕者の名前までラベルに記してある。ワインも頂くがこれほど美味しいワインを頂いたのは初めてだった。本当に美味しいワインとの初めての出会いであり趣味の一つにワインが入りそうだ。ただ側で聞くとずいぶん高尚に聞こえる感があるが、美味しいものに出会えて楽しい時間を過ごせられる事は良い趣味にも思える。美味しいお酒では九州に魔王という焼酎がある。本山布教師さんが来られると何時もレストランや中華屋さんへご案内し、近隣のお寺さんも数名お呼びして歓待の小宴を何時も開かせていただく。そうすると全国からお越しになられる布教師さんの幾人かは絶品をお送りいただき親交を深めさせていただく。その中で飛びっきりのお品が「魔王」であった。知らずに「美味しい美味しい」ですっからかんにした焼酎のビン。もう一度飲みたいと酒屋に言ってもデパートに行っても「幻の焼酎」として何処にも無い。ほとほと諦めていたらリカー・ティスカウントショップに一本有った。一升瓶の焼酎が何と一万円もした。ビックリして封は切ったが殆ど飲んでもいない。焼酎と言うとアル中の飲み物、競馬帰りの安酒、ワインと言えばフランス料理と先入観が入る。そんな劣等感を持たなくても良いのだが・・・・・ワインがあんなに美味しいとは思わなんだ。
午後吉田幸弘衆議院議員がお見えになった。丁度桶狭間病院理事長他の方と同席となり選挙のお願いをする。また松井建設本社設計部及び名古屋支店長がお越しになられたので同様のお願いをする。また当寺の世話人会の打ち合わせ会があったので同様に先生に御挨拶を頂き皆さんにお願いをさせていただいた。その後、地元の市会議員の先生がお越しいただき選対本部長さんと御一緒に吉田先生の事務所へお邪魔したと御挨拶に態々お越しいただいた。御自身のホームページにも応援の為のページを作って頂いたとお話を伺った。朝には他の方からは事務所に花を届けさせて頂いた。名簿を届けさせて頂いたと私に色々と連絡を入れていただく。気を使わせて恐縮をする。

11/9
衆議院選挙
吉田幸弘
(名古屋市緑区・天白区・昭和区)

宜しく応援してください
住職の友人の選挙です
選挙が終わるまでこのポスターは連続してアップします

■10月29日 晴れ だんだん寒くなる
午前中、古くからの友人である衆議院議員吉田幸弘さん夫君と御一緒に衆議院選挙のための挨拶回りに秘書の方と出かけた。(一言言わせて頂きますが私は選挙はハッキリ嫌いです。)しかし私は彼の意気に感じて出来るだけの応援をさせて頂いているだけなのです。
だが人は勝手なものだ。今年の春、統一地方選挙の苦しい時、地方市議会議員選挙で藁をも掴む思いの候補者、何か地元の候補者の為になれないかと私が思いついたのが吉田幸弘さんでした。私の電話に快く来名して地元の市会議員及び市長選挙に応援演説をして頂いた。無論会場は当寺の本堂であった。たった一時間の応援演説に夕刻より新幹線で往復をしていただいたのである。志ある方の最大限の援助、頭を畳に擦り付けての応援を賜って全員当選を果たされた。さて現在、今年の春と立場は変わり眼を転じて世間を見れば遠巻きに彼の必死の運動を見物をしている様に見える。畳に頭を擦り付けさせる積りではなかったが、来名をお願いし応援のお膳立てをした私はとてもこの現状を黙って見過ごす訳には行かない。人の人情を分からぬ手合いに理屈を並べても道理が通る筈は無い。はっきりと出来ないとか嫌だとか言う方がまだ清清しい。
しかし、世の中、まだまだ捨てたものでもない。「あの時はお世話になったと」自分から申し出て選挙事務所を選挙本部長共々表敬された市議会副議長さんもおられる。他のあの時世話になった方々は今、どんな思いをしておられるのだろうか?。教育だの防犯だの災害だの地震だのと言う前に義理人情を腹の底から知るべきだ。
友人吉田さんの苦労は身になり血になり体力と成っているが、頭だけ大きくなっても骨と皮だけでは生きて行けない。私はイデオロギーや政党やややこしい事は関係ない。
私、住職元々選挙の応援は大嫌いですが、彼に意気を感じるので『勝手に応援している』だけです。果実の熟する如く機熱して相会うところに、真の友情あり、と諺にあるが・・・・。
午後より来客者多く夕方ヤット自分の体になれた。

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吉田幸弘
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■10月28日 曇り(降りそうで降らない)
今日は午後より庭の剪定をした。剪定というよりエンジン剪定機と脚立、はしごを利用して刈り込みをしました。庭師さんにはかないませんがこれでも亡父存命の頃より庭の剪定をして30年近くになります。学校が詰まらない時は両親に寺の事情で早引きを願い出て午前中で学校はお終い。午後より両親と池庭、石庭の剪定をして過ごしていた。そう言っても両親の道具は鎌とびく(藁で編んだ入れ物)、庭木ハサミと竹箒、手製のチリトリだけでありノンビリしたもの、何をするにも人力優先で効率は二の次であった。その後自動車免許証を手に入れた私は小遣いを貯めて中古の軽トラックを買いそして後には噴霧器、剪定機、チェーンソー等様々な道具を色々な所へ出掛けて借りたり求めたりして一人で汗を流した。関心が湧くと様々な展示会、見本市へ足繁く通い詰め、眺めたり説明を聞いたり調べたりしていた。その事がその後に色々と役に立っていったと言うより実利があった。
気軽に話し掛けたり質問をしたりしていると知らぬ同士も色々と情が通い始め、向こうから実情や工夫点、改良点、他社の良い物等を教えて頂いた。一番は住宅展示場を一戸そのままそっくり譲って頂いたことが最高でした。ここの展示場の家は亡父を良く連れて見学に行き(別に亡父は求める積もりも無くタダの暇潰しだった)私に「こんな家に住めたらいいな〜」と住めもしない家を褒めていた。父がその後に他界して暫らくしたら件の住宅展示場の営業から電話があり何と『展示場を一切合財お譲りします』と連絡があった。亡父の『こんな家に一度でも住んでみたい』と言わせた家である。それは「エアコン、カーテン、座椅子、冷蔵庫、キッチン、ベッド、応接、照明、座布団、ありとあらゆる生活に必要そうなものから絵画、置物、ダーツに至る迄の全部付いた一軒家である。今でも座布団や机、椅子も使わせて頂いてるものもある。「箸と茶碗と米」さえあれば、極端な話し、直ぐに生活できる設備が付いてきた。これには驚いた。それもお値段は書けませんが今でも「破格」といっていいような値段でした。(バブル真っ最中の出来事)
また事務機の展示会や建築資材等の見本市にも足繁く通い販売店を通さずに直接今でもお付き合いを頂いている会社がある。その会社の営業の方も、人は変われど仲良くしていただき、まだ使えるが買い替えの為に廃棄にするような事務機器を何度もタダで頂いた事もあった。今でも現役で利用させていただいている。今日も新しい担当が来てパソコンをいじって色々と教えていただき今後の新しいパソコンの方向性を教えていただいた。
またプロパンガス集配の人との立ち話からプロパンガスでのエアコンGHP(ガスエアコン)の話しを偶々教えて頂き逸早く取り入れることが出来た。ランニングコストが電気に比べると1/10に落とすことが出来、また制度融資の話しに至っては正に天祐として私には幸運であった。
コンナニ書くと何が言いたいのか不明となるので一言でいうと、何時も苦しかった事が頭から離れないのである。『ここの坊主は何食ってけつかる?』と通りすがりの話を野良着姿で畑をした母の耳に届き悔しさが子供心に私の心から離れないのである。だから何時も工夫して改良できる事を心掛け、常に手に取って確かめ、率先して自分から何事でも飛び込んでいくのが私は好きなのです。
今日も剪定をしている私に「何でそんな事しているの?」とか「何もそんなエライ事しなくても」とか他人から声を掛けられる。出来ることは自分でしないと気が済まない貧乏性が私の身に染み付いている。それが私の良さと自負もしている。自らが動いて何とかもがけば必ず何とかなると信じ、実際何とかなって来たのも事実である。『そんな事、出来るわけ無いだろ』はする気の無い人間の常套句である。すべき事を気が付いてもしない人、人に言われないと出来ない人、私は瞬時に峻別して今日まで来た。そして何時もお寺の先頭に立ってきた。

■10月27日 晴れ
朝の夢は正夢と言う。でも正夢には成れない亡くなって久しい祖母の夢であった。何故か不思議にお寺の様子が祖母が亡くなる頃の様子のお寺であった。年中行事で一番忙しい祭礼の日の大雨。暗くなって昼間なのに電気をつけて大騒動している台所。人が錯綜し困り果てている私が昔の台所のガラス越しに立って恨めしく雨を眺めていた。悪いことは重なるもので瓦が2枚ずれていて雨が振り込み台所へ影響を及ぼす事態に成りかねない。ずぶ濡れになりながら滑り易い瓦の上を慎重に進み何とか修理を施し降りようとするのだがナカナカ降りれない。子供の時に屋根から降りるのに怖い思いをした感覚がヨギル。トタンを掴みながら何とか着地するとそこには優しかった祖母が立っていた。私は「おばあさん!久しぶりだね。丈夫でいたかい?」っと思わず声を掛けた。祖母は「お〜ぉ 一郎ちゃん(私の幼名)かいのう。久しぶりだったね」と着物姿の落ち着いたたたずまいで私に返事をしてくれた。「おばあさん、ごめんね。おばあさんをモット大切にていたげれば良かった。本当にごめんね」っと言うと「一郎ちゃんはとても私には優しかったよ。嬉しかったよ」と目が悪かった祖母が返事をしてくれるのだ。「おばぁ〜さん!」と思わず私はお婆さん胸元に顔を埋め着物の匂いを嗅ぎながら涙してしまった。その涙で目が覚めた。外は夜明けの日が差し参詣の方の足音がしている。
人は亡くなるとあれやこれやと悔やみ後悔をする方もおられる。祖母は目が悪く何もする事が無いのでお札を折るのが唯一の楽しみであった。一日中懇切丁寧にお札折をして過ごしていた。たくさんお札を折り尽くし無くなると「お札折がなくなったからまた頼んでね」と言われ「はいはい」と返事をする。この時、お札は既に大型冷蔵庫が入っていた段ボール箱に何杯とある。一つのお札の大きさは5センチ四方の紙を三つ折にしたくらいの大きさで数十万枚。私は「はいはい、もうじき来るよ」と言っては誤魔化していた。半月程すると祖母は「まだ来ないのかい?」っと私に催促をする。「あ〜もうじき来るよ、印刷屋さんに頼んであるので」と少し後味が悪い嘘をつかざるをえなかった。根負けは、私の方でお婆さんが仕事も無く過ごす姿を見ては印刷屋さんに頼んではお婆さんに仕事をして頂いた。その祖母が亡くなって来年が23回忌になると思う。お婆さんが折って頂いたお札は何と22年間、今年まで使わせていただいた。そろそろお札が無くなりかけてきたのでお婆さんが心配してくれて教えてくれたのだろうと思う。おばあさん、有難う。本当に有難う。
やっぱり 正夢だったんだ。!


■10月26日 晴れ 秋晴れの良い天気
「住職のhp見ています」と法事で言われてとても嬉しかったです。27回忌の御法要に出かけかけて頂いた言葉です。ここの家の法事は「私が行く」と以前より寺の中で言っていた。何が楽しみかというとココのお婆さんはとても明るく聡明で私と良く馬が合うのである。当然馬の合う私が来てくれる事をキット待っているという私の確信も有った。開口一番「いやぁ、お久しぶり、来てくだはったの? わたし誰が来るか・・・キット他の方かなっと思っていたけれど・・・」と読みの合う返事に思わず「ココの法事は私のつもりでした」と返事をすると嬉しそうな顔。
勝手知ったる他人の家、仏間までズカズカと上がり込んで法衣を改める。そこからお経が始まるまでに漫才が始まる。当然突っ込みはお婆さんでボケは私である。
「ワタシ、今年で85歳。耳も目もだんだん衰えましたが口だけは達者です」
「んじゃ、中曽根さんと同じなんですね。」
「・・・・・」
「神経内科の教授が言っていましたよ、歳をとったら無口にならずに六口というくらいにお話しをする事が大切と」
「ワタシは記憶は良いんですよ。住職の弟さん元気?」云々で延々と話が始まりお経開始が少し遅れた筈です。
お経が終わるとまた様々なお話しが出てきて私が忘れたような昔話まで出てきた。
「それより、少しヤセナさい!昔は可愛らしかった」と言われた。内心痛いところを突っ込まれたので返答が出来なかった。
「少し太りすぎです。夜お腹が空いたら『私が怒っている顔』を思い出しなさいと言う。
「そうですね、これから冷蔵庫開けたら○○さんの顔を思い出して夜食や一杯やるのは止めます」と返事をしたら一同大爆笑でした。hpを褒めてくれた娘さんに「お婆さんと何処か遊んできたら」と娘さんの方に向かって話しかけたとたん耳の遠いと言っていた彼女が「私はお婆さんじゃない。お婆さんなんて言わんといて」とチャチャを入れた。隣の御長男さんが「聞こえて良くない事が良く聞こえるんだ」と言われてお婆さんも大笑い。やはり行ってよかった緑区鳴海町某所某家の27回忌でした。


■10月24日 晴れ
ドライブに出かけた。出かけた先は「御在所岳」、ご存知の無い方は湯ノ山温泉と言えばお分かりかもしれない。三重県と滋賀県の県境に標高1212mのお山。ロープウエイとリフトを乗り継いで山頂に立った。風も強くまた空気も済んでいたので彼方まで遠望が出来た。伊勢湾には中部新国際空港、知多半島、渥美半島、濃尾平野が地図のごとく手に取るように見えた。驚いたのはなんと琵琶湖も見えるのだ。三重県から竹生島まで見る事が出来て驚きでした。紅葉も見ごろで一日を清遊できました。しかし山頂は気温6度。ブルブルで帰ってきました。

■10月22日 晴れ
今日世話人さんの男性方でお砂踏みの準備を進めた。戸惑いながらも進めるうちに慣れてきて思ったより早くに完了を迎えた。2回の休憩と昼食をはさみながら楽しく進める事が出来た。慣れない事をして頂いたのでお疲れになったのだろうと思いながら終わりを迎える頃に「だいぶこれで慣れたので来年からはモット楽に出来るね」と有難い言葉を背中で聞く。皆さんやる気になってお手伝いを戴けるので本当に有難いです。今月にもう一度準備をしていただける。そして月末31日に総合の打ち合わせ会があり来月を迎える。秋冷深まり日も暮れるのもとても早くなった。
遅くまでの世話人さんのお手伝いが暖かい思いとして心にしみる。


■10月20日 晴れ
留守中に友人から電話があった。内容は掲示板に詰まらない事が書かれているので知らせてくださった。最近、私の予期した掲示板内容から外れている内容の書き込みが多いので暫くの間休止をした。キット友人はここの掲示板をブックマークに入れているのであろう、心配の電話であった。何も得にも利益にもならない不快な事を書く神経は何なんだろうか?
明日は天気が下り坂になるそうだ。明日はなな月参り、多くの僧侶が来られて法会を催す。そしてお砂踏みの準備となる。少し体を大切にしなくては成らない。大切にしているのに体調が変である。ふと今冬の気管支肺炎を思い出す。


■10月18日 晴れ
お砂踏みの準備と整理をする。古くからのダンボールを整理してスチール棚の寸法に合った大きさのダンボールに入れ替えてスッキリとさせた。
和歌山の親戚より玄米を30kgも送っていただく。室町の頃からの造り酒屋を営んでいて和歌山の人里離れた山奥に多くの田地を所有しそこで無農薬で作ったお米だそうだ。昨年和歌山市内にお住まいの新しい御自宅に私がお邪魔して帰り際に頂いたお米がとても美味しかった。そのことを思い出してお電話したら送っていただいた。無農薬で昔ながらの米作りをしていて毎年美味しいお米を食べているそうだ。御本人は収穫のときにお手伝いに出かけ汗を流して畦で握り飯の昼食を取るのが何よりの御馳走だと言われていた。しかし玄米を白米にするのはどうやって精米したら良いのか農家の友人に聞かなくてはならない。実りの秋を実感した今日でした。


■10月15日 晴れ
寒くなってきた。午前中葬儀やお参りで忙しくする。午後より史料館の参観者があった。その後、私と副住職とで除草剤を散布した。前々からするべき事であったが天候等の関係で晴天の本日行った。初七日を終えた住職代理が手伝いに来たので作業に参加した。散布と言ってもドラム缶一本分くらいの希薄除草剤を作り、特に雑草が蔓延っている場所目掛けて散布するのだ。除草機器は発動機つきの噴霧器と薬剤貯蔵のタンクを軽トラックに載せて貯水槽まで出かけていく。お寺の山頂に水深4b程の水槽を設置してある。防火用と緊急非常時のために雨水を何時も満々と貯水してあり電池で照らすとキラキラと光っている。今度は揚水ポンプを発動して水を汲み上げる。至って簡単ではあるが厄介なことが一つ始まるとすべての仕事が止まってしまう。それは発動機がどうしてもかからない事。これを防ぐには一つの方法がある。長年苦労して覚えた方法です。最近では燃料を入れて現地まで出かけてエンジンがかからない煩わしさは無くなった。スムーズに薬液の散布を済ませる。
いくら人に優しいと言われ自然の薬剤と言われても有害には変わりないのでマスクもダブル、防塵メガネにゴム手袋、ヘルメットと言う物々しい姿で境内山中の要所要所に出現した。異様な姿に振り向かれ私とわかると名刺を出した川崎市の市会議員さんがお見えであった。作業途中であり濡れたゴム手袋で名刺を受け取りマスク越しに挨拶を交わす。市会議員さんは余程信長ファンらしく名刺の裏を見たら信長が赤いマントを翻す姿を模した名刺でもあり一仕事終わって名刺を見たときは、もう少し丁寧にお相手させていただいたらよかったと反省をした。
夕刻、退院して落ち着いた母を見舞う。今日も一日ばたばたして終わる。
取り留めの無い備忘録・・・・反省(少し疲れています)


■10月14日 雨 そして寒い
気温が11度まで下がり寒くなってきた。雨も降り始め体を慣らさないと体調を崩しそうだ。午前中曇っていたので庭掃除や刈り込みを少しする。当院にはタブと言う大木が境内のど真ん中にある。本当に大きな木であり、それも今でも確実に成長を遂げている。グリーンマスターと言う肥料を与えると葉の色から幹の血色まで替わる。樹液も傷口のようになったところも自然と治ってしまう。この木の葉はお線香の糊料(こりょう)として利用される。そのタブの木がこの時期に葉を落とす。落葉樹ではなく常緑ではあるが大木ゆえ本当に沢山の葉を落とす。一番多く落葉するのは春の筍が出る頃です。一日にトラック一杯とは言い過ぎですが掃き集めるのに、一ヶ月ほどは一苦労します。どう苦労するかと言うと砂利の間に挟まった葉を竹箒で掃除するのにトテモ難儀をします。ところが今年プレゼントされたエンジンブロアーで一気に送風するとあっという間に吹き飛ばされて凡その場所にまとまります。そこで一計を講じて猫よけネットを立て掛けて、ネット目掛けて一吹きすると、丸で地引網の中に魚ように一気に集めることが出来て、何時も苦労される境内清掃の職員さんも目を見張っていただいた。久しぶりにエヘンでした。調子に乗って過日刈り込みをした池庭のツツジの下の刈り込み済みの残存物を吹き飛ばすと、草の上での葉っぱなので遠くまで飛ばずに上手くまとまり、鼻の穴を大きくして「したり」と一人で嬉しくなりました。
続いて除草剤をまいてシブトイ雑草や服にまとわり付く草を根絶やしにしようと昨日から準備をしていたのですが雨のため止む無く中止。
午後からは所要で三重県まで。何となく取り留めの無い一日でした。


■10月13日 雨後晴れ 風強し
久しぶりの雨になった。一時かなり強く降りお寺の土手も少し崩れた。今日は世話人会の婦人部の方々に出ていただいてお砂踏み浄依加持祈祷会の御案内状を入れていただいた。数千部のご案内状がものの半日程ですんでしまった。大人数にはかなわない。次回は男性世話人会の方々にお願いしてお砂踏みの会場つくりを2日間に渡り設営をする。お砂踏みも間近に迫ってきた感がある。
午後より、枕経。檀家希望の方がお見えになり色々と御説明をさせていただいた。昨日も檀家になりたいという方がお見えになった。檀家希望の皆さんとお話しをしていると色々と困った事柄を抱えられている。これからもこういった相談事が多くなると思うと私たち僧侶も心構えをシッカリと持たなくてはならないと自戒した。

■10月9日 晴れ 本山布教師布教会
お寺の本堂及び老人保健施設「まこと」で巡回布教会を開いた。とても沢山の方がお越しいただいた。今年で何回お引き受けして開くのだろうか。段々と多くの方々がご来山いただけてありがたい。午後より老人施設で紙芝居と法話の会を開き例年の通りの布教会になった。
私は他の用事でお寺にいなかった。NHK主催の「高野山と空海」展のオープニングセレモニーに出席してお手伝いをさせていただいた。正に空前絶後の寺宝の来名に驚きを禁じえなかった。とても凄い。高野山の山内住職も見たことも無い宝物が一堂に並んでいた。国宝21点、重文150点ほどの凄さだ。一度ご覧になられて御清遊をお勧めいたします。明日10日より開館です。したの写真はその様子です。
テープカット ここでお勤めをさせていただいた
国宝不動堂の御本尊及び8大童子 教科書の写真に出てくる本物が在る
平清盛の血曼荼羅 中心の仏様に清盛の頭部の血が絵の具に混ぜられて書かれている
■10月7日 晴れ
月例会議の様子(厨房にて)

涼しくなってきた。本日は月例会議の日。毎月お寺の行事を全員でお話しをする。今回の議題は
1.年末の大掃除の予定のお話
2.今月の行事の予定
3.昨年の予定と今月の相違
3.来月のお砂ふみの準備等であった
4.正月に向けた準備

会議後、鉄板の工事の打ち合わせに中学からの友人に来ていただく。親子で一緒に仕事をする姿に何だか、うらやましく思えた。親子で仲良く仕事をしている姿は本当に羨ましい。
その後、山内の竹害の排除のため竹を切り出しシュレッダーにかけて処分をする。僧侶は来月のお砂踏みの準備をして午後より手伝う。ダンプやウインチ、木材シュレッダーが威力を発揮する。このダンプは優れもので知らなかったのですが荷台の床自体が高く上がる仕組みになっていた。たまげたたまげた。中古車ですので取り扱い説明が無く販売した会社もキット知らなかったでしょうね。得をした気分になれた。夕刻、過日九州に行くと言っていた友人が訪ねてきたらしくお土産を頂く。住職代理とお土産を肴に一杯やる。私はいい友人がいてくださるので幸せです。では。

普段の軽ダンプ はい、ダンプになりました
今度は全体にあがります これは清掃車、アスファルト専用
木材を粉砕する機会はまたの機会にご覧に入れます。愛称はガリガリという名前になりました。すごい音でガリガリと言うので
■10月6日 雨 
久しぶりの雨、一雨毎に寒くなると言うが涼しいと言うより肌寒い頃合となってきた。母の見舞いに出かける。隣の患者さんが「お婆さんは今日お風呂に入った。立てて歩けるよ」と言っていただき嬉しかった。母もにこやかであり私の冗談にも笑顔で答え笑ってくれた。とても嬉しかった。本当に嬉しかった。何でこんな歳になって入院しなくてはならないのだろう。残念で仕方ない。
お寺のお世話人さんと一緒に弟のお寺へ出かけて楽しく孫の顔を眺め、夕刻には宴会で皆の笑顔に囲まれて「おばあちゃん、おばあちゃん」と皆から大切にしていただけるのに独りで入院をしなくてはならない。元気で良く働いた母だ。まるでビートたけしの母親みたいな人だった。
 ある時母が男勝りなので近所の口の悪い社長が冗談で「あんなお寺の業つく婆さんに嫁さんが来るはずない。嫁さん来たらオレが逆立ちして豊明一周歩いてやる」と言ったらしい。それを聞きつけた寺の総代が母に諫言した。「なあ〜、お庫裏(クリ)さん(お寺の婦人の別称)、大人しくしてくれよ。息子の嫁さんを貰うためにも」と言ったらしい。
 事件はその翌朝に起こった。自尊心を傷つけられた母は一人で原付バイクでその社長宅へ朝駆けして「とっちめてやった」と私に自慢していた。「わしが悪くて嫁さんが来ないのなら仕方ない。住職としのお前と寺の名誉のために怒鳴り込んでやった」と朝から大変な剣幕であった。総代にもその社長にも暫らく恥ずかしくて合わす顔がなかった。所がである。母は剛毅なのか鈍感なのかその社長と楽しそうにタバコをくわえて元気にお話をしている。「やまうっつぁん(山内さん)、そりゃ〜町内会長が悪いんだ・・・」母は徳人であった。竹を割ったような気質、思い切ったことを言い、そして人の数倍の人情家でもあった。亡父が良く口走ったことに「あいつは親切と言うかでしゃばりと言うか・・」それを聞くと私は亡父の前で何時も大笑いをした。ただ父は早く夕食が食べたかっただけだ。
 そんな母が今病院で寝ている。何時も困ったときや病気のとき、正に万全の実力で私たち子供を身を挺して護ってくれた。心強かった母。もう一度お寺の受付で座って皆から「お庫裏さん、お庫裏さん」と慕われて頼りになった姿を見てみたい。本当に私の唯一の希望だけど・・・

■10月4日 晴れ、風あり
法事やお参りで一日を終えた。法事をする時に「何回忌」と読み上げて供養するのだが調べると申し出の回忌とカウントが合わない。記載者の記入ミスかと思ったが僧侶は全てお参りに出かけてしまい尋ねることも出来ない。そこで施主さんに「恐縮なのですがお申し出の年忌と当方の数字が違うのですが・・・」とお伺いすると「私があと何年生きられるか分からない。だから少し早いのですが50回忌をしようかと・・」とお話しされた。そうすると奥様が「そんな、健康で居て頂かないと・・」と仰った。私が「先ことを考えて手回し良く用意万端をされる方に限りお元気ですよ」と告げると「そうですか、それではもう10年頑張っていますので43回忌で願います」とニッコリして亡くなられたご尊父様の最期を私に語られた。私も父の最期を話しお互いに元気でいましょうよと変な励まし合いをしました。
夜、本山布教師さんが10/9に来られるため前夜の会食場の下見を兼ねて夕食を頂く。ホテルも下見に出かける。今年で何回目だろうか、本山布教師様のご来臨をいただくのは。他の寺院では人集めと言うより聴衆の確保を嫌がり引き受ける方が殆どお見えでない。私は新聞チラシを配りお彼岸の案内状にチラシを同封して年に一度の布教会を催している。既に恒例化し始めている。秋の一日、この備忘録をお読みの方、心静かな一時をお勧めいたします。


■10月3日 hpの更新を急いでする
色々有りましたが疲れてhpの更新をしていなくて爆走して今日少し作りました。ボチボチご覧ください。まだご案内やお知らせしたい事。ニュースや最近のことも書きたいのですが・・・。少し時間をください。