02 03 04 05
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8

9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-
2005年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
今月の祝日・休日
3 文化の日
23 勤労感謝の日

ブラウザをJavaScript対応に設定してください。

平成17年11月分

海外食料事情

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の
 理解しやすい動画です ご覧下さい

■11/27      
お詣り等で忙しくした一日。忌明の法事に出かけて楽しい一時を過ごす。

毎日があっと言う間に過ぎてしまう。色々と教訓的なお話や楽しいお話を伺ってhpに載せようと思うのだが忘れてしまう。今日もあるご法事で13人の子供さんを育てられた方のとても楽しいお話を伺ったが忘れてしまった。その息子さんが今から40年も前に当寺で会社の桜見の宴会をしたという。境内で写したという写真を持っているという。境内の井戸で水を汲んでいる写真という。私があの水は美味しく素麺を洗って頂くと井戸の水のお陰で何とも言えない美味しさがあったと返事をするとあの水は美味しかったと感想を改めて言って下さった。

美味しい水のお話は尽きず四国西条市の水の自慢話が始まり伺っていると段々と一度訪れたくなってきた。「四国には温泉があるんですか」と私が訪ねると「何言っているんだよ住職、道後の温泉があるよ」とか「讃岐うどんの88箇所巡りがある」とか話題に事欠かないで過ごした法事。喪主さんが「父は賑やかな事が大好きだったので良かった」と感想を述べて頂くと私も出席して嬉しかったです。

夕刻、お寺を訪ねてきた方が来年から祭礼の案内を所望された。立ち話で色々とお話をする。今日は色々な方にお会いして楽しいお話が出来た事が今日の私の喜びかな。100回以上は今日は笑った。10回頷いて感心した事があった。でも1000文字を字を書いていないし一万歩を歩いていない。要は体を動かしていない。本堂の畳をふき掃除したのでその程度の運動しかしていない。体を動かさないだけが今日の私の反省であった。
■11/25 快晴        懇親旅行
お世話人会の僅かなメンバーで小旅行をするという事がに急に決まった。発端は「風邪で元気がなかった人が寂しそうだ、元気をつけよう」で紅葉見物に出かけた。鳳来寺山へ出かけ、錦秋の秋を楽しんで帰りました。こんな綺麗な紅葉を見たのは久し振りで。皆さん大満足。帰りは岡崎城公園にてなめし田楽を頂こうと出かけましたが生憎、公園の駐車場が工事中で駐車が出来ませんでした。ウロウロして河畔のホテルへ迷い込みそこでお昼を頂く事にしました。

最上階の見晴らしの良いレストランは最高の眺め。お城の天守閣を間近に眺め、公園の紅葉やイチョウは秋の穏やかな日差しに葉を揺らせ、矢作川の穏やかな流れは秋を楽しむ私たちの心を和ませてくれました。夕方からの予定もあり3時過ぎにはお寺に到着して解散をしました。夕刻より来客やお寺の仕事の応答に振り回されて一日を終えた。
■11/23      勤労感謝の日
お詣り等で忙しくした一日。午後1時ごろより手の空いた人から本堂に参集して大掃除を始めた。予定には無かったが事前にこの日に始めようかとの私の何となく言動を心得て居ていただいたのでスムーズに進む。
寒くなってからでは嫌なので風のない暖かい一日を見定めて始めた。3時間ほどで本堂内部の殆どが掃除できた。他の日の天候を見て本堂の畳みや室内、照明器具、荘厳品を掃除しようと住職補佐と打ち合わせをする。

例年大掃除はチェックリストを作成して月例会議で審議して始める。凡そは私が昨年のチェックリストを参考に作り新たに清掃の必要箇所や、削除箇所を増減させて進められる。昨日は持仏堂の大掃除を済ませていただいた。12月に入ると外部の大掃除や屋根の大掃除と補修が始まり15日ごろまでには全ての大掃除が終わる予定。一息入れていると葬儀の電話が入り丸山僧正がお参りニでかけてくれた。私は来客があり出られなくなった。

一段落すると住職代理が帰寺したので大掃除をした事を報告し二人できれいになった本堂で夕勤行をお勤めして一日を終える。不思議にいつも見る本堂も今日ばかりは輝いて見えた。整然とした本堂でお参りを済ませると気分も整然としてきて清清しかった。
内部の仏具を全部取り出し
一年の埃を落としました
内部から外を眺める  ガランとした内陣(仏具搬入前)
さっぱりとして、気持ちも軽くなります
■11/22 快晴       高野山に参詣する  
昨日夕方より高野山に参詣することにして出かけた。遅くに帰寺できれば良いと考えて出かけましたが名阪道路の集中工事で大渋滞に巻き込まれ一泊を余儀なくされた。

本日お参りをさせていただき心静かに読経をなして想いをめぐらしまた、奥の院の墓所もお参りをさせて頂いた。奥の院玉川の清流の水は既に手を切るような冷たさがあり気持ちを引き締めてお参りをさせていただく。本山脇の伽藍の紅葉は盛りを少し過ぎた感があった。

しもやけで真っ赤に膨れ上がった両手を墨染めの衣にそっと偲ばせて、紅に染まった紅葉を眺めた私の青春、早や30年程が経った。昔と変わらない風景にふっと思いにふけった。亡父も祖父も私も同じこの道を歩いて僧侶になったんだ。帰るお寺も落ちつく先も無かった亡父はどんな思いでこの道を歩んだのか?亡父は元々はお寺ではなかった。祖父が小さい頃に預けられた高野山を頼りに亡父も連れられて高野山に上った。祖父と亡父は同じお寺ではいけないと違うお寺で夫々に暮らしていたそうだ。お金も何も援助も無い中、一番不安なのは将来が見えないと事が亡父にとっては最大の悩みだったかもしれない。亡父が大切に使っていたコンサイスの辞書の裏には「家庭」と墨蹟があった。寂しかったであろう事は容易に想像できる。今日その亡父達が歩いたであろうその道を再度歩くとまた今の自分がどんなにか幸せか感謝をせざるを得ない。石灯籠を見てもお堂を見ても亡父に教えられた事柄が昨日の如くに蘇ってくる。

母は老人保健施設で過ごしている。今、親孝行を出来るのは母しかいない。父の冥福を祈り母の顔を見にあした出かけてこよう。ありがたい、母だけでも居てくれて・・・・感謝。
■11/17 快晴       寒い一日  
今日は一日寒かった。午前中ご祈祷やお詣りを済ませ午後より境内の手入れをする。久し振りにエンジン付き剪定機を背中に背負い庭木を刈り込んだ。高所に行くと足下が心配になるがエイとばかりに刈り込んでいく。
約1時間ほど住職代理と二人で作業を進める。汗もかいた。綺麗になった庭を見ると気分も良い。

夕方住職代理と種々の打合せをする。考えさせられる事もあり、人の理解の深浅は各人各様だなと二人でしみじみコーヒーをすすりながら一日を終える。今午後五時。外は真っ暗。夏なら輝ける時刻なのになー。一日一日と寒くなる。寒さを迎えて同化して冬を楽しむようにしよう。風邪に罹らないように・・・
■11/15 快晴       忙しかった一日  
今日は一日多忙。世話人会の一部のメンバーさんの懇親会を開くとの事で同行をした。行き先は遠州のお詣りをしたいとの事で静岡方面へ出かけた。時間が有り余るだろうと思っていたがお詣りやお庭を拝見していると段々と時間が乏しくなってきた。お昼ご飯はエクシブ浜名湖の中華料理を頂いた。20名弱の参加者だったので個室を頂き懇親を深めました。
その後、ホテルのお部屋を拝見して「今日はここへ泊まろうよ」「ハワイみたいだね、もう行かなくても良いからここに泊まろうよ」なんて言いながら感動して諸設備を拝見した。
ロビーで買い物をしてバスに乗り込んだのが14時30分頃。本当にゆっくりしてしまった。
岡崎の八丁味噌工場を見る予定でいたが時間の都合で夕方16時30分頃にお寺へ帰着した。

帰着したら愛知葬祭の金森会長がお見えであり色々とご相談事をお互いにお話をした。夕刻19時頃お寺の車でご自宅までお送りした。

19時より責任役員・総代・評議委員会の会議を21時まで開催して諸議案の審議をする。閉会後、色々なお話を為して散会する。その後、家内と車で夜のドライブに出かけ11時頃就床する。疲れもしたが快い疲労感を得られた一日でもあった。
■11/13 曇/晴      
お詣り等で忙しくした一日。法事は久し振りにお会いする方が多いので、色々とお互いに顔を見合わせ健康等の話が出てしまう。
「何処か悪かった??」「はい、少し入院していました」なんて事も多い。久しく見る顔はその違いを物言わずに教えてくれる。健康が第一だ。

名神高速道路で大変な事故があったらしい。痛ましい事故が早朝よりニュースとして飛び込んできた。つい先日も痛ましい交通事故のニュースが入ったと思ったら私がご葬儀をあげる事になった。未だお若い方のお葬式はとても気の毒でありご両親様も力無くご挨拶にお見えになられた。先日の写真ではないが毎日を注意して過ごしたいものだ。

チョクチョク私がお寺の中で言う言葉に「人生は地雷原」と言ってしまう。事故、病気、思わぬ災害、古来より厄難を避けたいと祈祷をするが気分がだんだんと本当に理解できる年頃にもなってきた。今夜は早めに休ませて貰おう。
■11/11       災難は災難を呼ぶ  
最近、気疲れや気分の重くなる事がある。バイオリズムというのか? 何をしても上手く行かない事があるのでそんな時はジッとしている事に限る。でも災難はジッとしていても来る時がある。この写真を見て何事も慎重にしないといけないと思える写真がありました。
これってホンと、災難ですね。

■11/10 快晴       もうチョッとで   
消火器の粉末剤交換の勧誘の実行に引っかかるところでした。今日一日は私の休日、と言う事でのんびり過ごしていた。本を読んだり気のおもむくままに時間を過ごした。少し名古屋へも出かけて帰る途中の住職代理から私に携帯電話が鳴った。

「住職さん、消火器の詰め替え頼まれました?」 「消火器??何で??」と私が返事をすると「いま、消火器の詰め替えをすると言って見知らぬ人が来て、お寺中の消火器を持って行こうとしているのです」 
「エーーーっ、そんな事、頼んでいないですよ。チャンと指定の防災屋さんにいつもお願いをしているのですから・・断ってください」「はい、それなら断ります」と言って危うく見も知らない人達にお寺の消火器を持って行かれるところであった。お寺に帰りどうして見知らぬ消火器やさんが来られたかを確かめると原因が分かった。詳細は書けませんが、消火器の詰め替えの誘導にまんまんとハマった事が原因であった。

お参りから帰った住職代理がその異様な風景を見て私に確認の電話をしてくれた機転によって被害を防ぐことが出来た。お寺には消火器として粉末消火器、炭酸ガス消火器、可動式粉末消火器等併せると数十本の消火器があり法定検査を毎年する義務がある。煙感知機、炎感知機、赤外線感知機、他にも防犯感知機が十重二十重と巡らされている。メンテナンスにはお金がかかる。お寺を維持管理する事はとても大変です。でも良かった、住職代理に感謝をした私の休日でした。
明日は月例会議があり資料を作成して議事の準備を夕刻より開始する。
■11/6      
一日、お詣りでバタバタする。住職代理が風邪で午後よりお休みを取った。先日の浄衣加持の会場で寒いのを辛抱してお詣りをしていたのが原因だとご本人は言っておられたが・・・大事を取って明日もお休みと言う事となった。

新しい受付の方が本日からお勤めを開始された。お寺も色々と特殊な事も多いので2週間ほど試用期間として先ずお寺の内容を知って貰う事を優先にデビューして頂いた。先ほども仕事の様子をうかがいに行くと「頭がパニックです」と言っておられた。

今夜は或るお寺のご子息が結婚され二次会の宴会にご招待を受けている。今夜は少しやすむのが遅くなりそうだ。雨も降っているし、きりの良い所でと思っているが・・・何せ楽しい事は時間を忘れワイワイやってしまうのでシャッキトして行こう。明朝は建設会社の支店長や色々な方とのお約束もある。シャッキッと!シャッキッと!!
いられるかな?何だか自信なさそうですね・・・
■11/5 快晴       A戦後フィリピン残留邦人のテレビを見て・・・   
先月に続き備忘録とは逸れてしまうが少し書きたい。先回のNHKの番組を見て、未だに日本の戦後処理がすんでいない事を改めて考えさせられ憤りさえ感じられた。その事は先月の10/27 備忘録に記した通りです。

私は小学校低学年の折、名鉄新名古屋駅の駅頭で母を見失った事があった。母と弟の姿が見えない。必死であちこちを見渡しても見知らぬ人が勢い良く改札に流れ込んだり、駅から階段を上って外へ出て行くばかりの大勢の人の姿を見て本当に不安になった。

必死で探す母の姿は何処にも見えない。幼心に段々と悲しくなってきた。そして駅員さんを見つけて「ぼく、迷子になっちゃった」と告げたとたんに溢れる涙が止め処もなく出てきた事を覚えている。私は、恥しいけど、涙もろいほうだ。でも人前ではそんな姿を見せない、それどころか知らぬ顔している時が多い。変な性格だ。弟は他人の目も憚らず涙を流す。子供の時にも涙が溢れて泣いた事は数度しかなく、その涙の思いでのトップがこの迷子騒動であった。

「ぼく、泣かなくてもいいよ」と駅員さんは優しく応えてくれた。その後どうしたか覚えていないが泣いていたことだけはハッキリ覚えている。寂寥感、もう親に会えないかもしれないと言う絶望感。怖かったことしか覚えていない。

「いいかい、ぼく。この切符を駅に降りたら駅員さんに渡すんだよ」っと言われ一人で電車に乗り、そして電車から降りた。「はい、○○円です」と改札の駅員さんは子供の私に言った。「ぼくお金持っていないです」「そうか、困ったな。あとでもって来いよ」と言われて下を向いて寂しい想いをして、また涙がこぼれてきた。と、その時母の声がした。名古屋駅で聞いたら一人で駅に帰ったと聞いて急いで帰ってきた、その母の顔は怒ってはいなかった。

何時もだったらぶっ飛ばす母を見た瞬間、本当に嬉しかった。あの時、もう会えないかもしれない・・・どうしよう・・・。そんな気持ちも母の顔を見てドッカヘ飛んでいってしまった。

ホンの一時の迷子の騒動、未だに40年経っても覚えている。それが終戦後のドサクサで別れ離れになった。どんなに寂しかったことやら、怖かったことやら。見知らぬ異郷で、辛い人生を歩まれた事はアホでない限り誰でも容易く理解が出来る。

言葉だけで「お気の毒」と言えても、理解出来ない程の寂しさが自分の事のように感じられる。かつて日本人であるだけで、今でも居る傲慢で選民主義的態度の未教養の日本人の傍若無人の振る舞いのお陰で、戦後日本人を隠し通し、教育も受けられないで満足な就職も一生得られなかった未帰還者の方を何とか救援の手を、日本国は即刻差し伸べて欲しい。

戦後、遺骨収集は数度となく行われ、未だに未収集のお骨もある。しかし今を生きている年老いた、ポツンと置いて行かれた人たちを何故日本国政府は今の今までほったらかしにして来たのだろう?オリンピックも万博もバブルも日本国中が湧きかえっていた時、ホンの数十年前に国策で近隣諸国へ移住を勧められた人々は日本国の被害者。

靖国問題で参拝をする前にモットすべき事があるよう思われる。参詣の是非を言っているのではない。嫌だといっている国々の国民の中でひっそりと息を殺し、鳴りを潜め、反日の暴徒に襲われる恐怖と背中合わせでいる人がいる事、それは国家の責任で帰還事業を進めることが大切だ。自国政府が自国民を遺棄して見殺しにしている事自体、拉致問題以上の酷さがある。拉致は犯罪であり、身内は身命を削って訴えておられる。未帰還者遺棄は自国の国家が自国民を捨てた事。酷すぎる。この続きは靖国も含めて一端を述べたい。
■11/3 曇/雨      お砂踏み浄衣加持祈祷会
早朝、雨音がしてきた。雨か・・・と思いつつ準備を始める。世話人さんもたくさん参集して頂いて法会は始った。幸いに雨は7時前には無くなり午前中は薄日も差していた。
おかげさまで多くの方々がお参りにお越し頂いた。今年で19年を迎えるお砂踏み浄衣加持。早いものだ。当日の様子をアップしますのでご覧下さい。

今回も世話人会が大活躍をして頂き婦人部と男性部が持ち回りを以てお手伝いを頂き終了後は片付けに奔走を頂き本当に感謝を申し上げます。有り難かったです。終了と、お茶一杯で解散となりました。


入り口 本堂 33観音
清浄火 お接待 好評 綿菓子
■11/1      何だか忙しい
お砂踏みの準備やそれに伴う本坊の清掃や整理等をして一日を終える。知人のお寺のご子息が結婚され懇親会をする案内状が来た。このシーズンらしい慶事。楽しみに出かける事する。

昨夜は友人夫婦と共に名古屋へ出て会食をする。楽しかった。久し振りの名古屋。万博の熱気はもう何処かへ行ってしまい元の名古屋の落ち着きを取り戻したようだ。会食後、揃って「お父さん預かります」のお店へ行く。いるいる、いつものお父さん方が楽しそうに。ノンチャン、支店長、部長、住職、と親しく声がかかる。

青春の城下町、月がトッテモ青いから、東京の灯よいつまでも、青い山脈、男の純情、瀬戸の花嫁、琵琶湖周航の歌・・・・古い歌ばかりだがみんな大声で歌い、手拍子を打ち、膝を叩き、気に障らない程度の冗談を交えて場を和ませる。毎回出かけても同じ雰囲気がありとても楽しい。気が付けば11時を回り驚いて帰寺する。お寺について友人と別れ境内を歩く。11月の夜風は既に秋の風ではなかった。