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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

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平成19年1月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■1/30       枝垂れ桜
待っていた枝垂れ桜が朝一番に鈴鹿より届いた。一昨年よりの相談と時間をかけた下見を重ねて今日、立派な枝垂れ桜がお寺に届きました。竹藪を掘って大きな根の鉢を植える仕事は穴掘り仕事はとても大変そうであった。私もこの竹藪で散々父から色々な仕事を言いつけられて行なった経験があるので竹藪の土いじりはとても大変な事はうすうす承知していた。

やっと掘り始めたら排水管にあたり場所を移動してお昼過ぎにやっと一つの穴が完了できた。所が樹木を固定するアンカーが竹藪に入らないとの事で急遽、木で支えをする事となった。本日到着した枝垂れ桜は一本だけ。2月1日にもう一本植えるために次回のためにもう一つの穴掘りを始めた。

今度は山門及び周囲の電灯線の埋設配管にあたり急遽、ゼネンコの電気屋さんに埋設配管の電線を延長依頼して一日を終える。一本だけでも雄々しく建てられた枝垂れ桜を見てみたかったが残念。楽しみは次回という事となった。

二月一日に二本の枝垂れ桜は山門両脇に建てられる。側には昭和63年に私が植えた「幻の団十郎枝垂れ桜」が大きくなって新たな友人を心待ちにしているように想える。
天気の良い日に届いた枝垂れ桜
持ち上がると結構大きい
枝をの伸ばせて 下から見上げると 
配水管が出てきた 困った
場所を少し移動して移植の穴を掘る
オイオイ 今度は埋設の電線だぞ
今日は 山門裏で 一休みとします
■1/29       普通の奥さん
昨日は葬儀もあり忙しくした。夕刻東京から友人が尋ねてきてくれた。久し振りに会食に出掛ける事となり名古屋で旧交を温めた。

早朝お詣りをされる方々と時々話す。「おはようございます」とか「寒いですね」とかだ。今朝ほども「おはようございます」と声を掛けて下さった。「おはようございます、寒いね」と返事をする。「今度の星祭りはよろしくね」と言われるので「11時からだよ」と言う。「まぁ、私も今年で現場から離れるよ」という。
「チョット、人間何時まででも現役が一番だよ。会長にでもなるんかい?」と尋ねるとシンミリした声で「そんじゃない、私は一度で良いから普通の奥さんになりたい」と言う。「普通の奥さん・・・・・」。サラリーマンの奥さんなら何やら意味の分からない言葉だ。

二人っきりで小さな仕出し屋を始めたのは今から30年くらい前か?カラーのチラシが新聞に入っていたのを記憶している。暫くすると国道一号線の側にお弁当屋さんを始めて給食関係の走りに会社は急成長した。会社をその後2度転居させてその都度大きく手広く盛大に家業を伸ばされた。

寺の檀家さんだから私は良くしているが色々とご苦労があった事も承知している。本当によく働いた奥さん。働き過ぎくらい働いて「普通の奥さんになりたい」という言葉に何だかホロリときた。きれい事は言わない奥さん、私も中に入って辛い思いをした事もあったがイツモノ元気で乗り切ってこられた女社長。もう暫くすると「普通の奥さん」が待っている。

境内の参道ですれ違ったホンの一瞬の挨拶。聞いていたのは星空と凍てつく境内の木々だけだった。
■1/27       多忙な日
一日お詣り等で忙しくしておりました。婦人部世話人会の方が星祭りのお手伝いにお越し頂いた。先だって新聞社が星祭りの取材にお越しになられて2/1に掲載される記事の原稿をメールで頂いた。この記事には婦人部世話人会の一部の方々がカラーで掲載されている。「恥ずかしいわ」「大きな顔で写っている」なんて笑いながらお話をしていた。

午後よりソフトハウスの方との打合せ。星祭り打合会の書類の作成。夕刻お通夜。夜一時間半のウオーキング。10時半に就床。明日も時間を注意して一日を過ごす事とする。
■1/26       多忙な日
お寺の中では確認不足と仕事の甘さから突然色々な問題が発生してその対応に昨夜から追われてしまった。直接私の責任ではないのだが・・・しかし直前になっての未確認によるアクシデント、彼方此方に依頼や確認やらで何とか凌いで事なきを得た。

午前中、鈴鹿の枝垂れ桜の下見に出掛けて桜の最終確認を済ませてお寺へ帰る。立派な枝垂れ桜が二本、山門両脇に移植される予定だ。二重の紅枝垂れ桜。お詣りに方々の目を楽しませ、私が亡くなった数十年後には天をも仰ぐ紅枝垂れの巨木になって欲しい。私が目を付けているもう一つの枝垂れ桜はまだまだ移植に至る時期にはなっていないようだった。

午後より葬儀の方がご来山され色々と今後の事の相談をさせて頂いた。その後、本堂付近の雑木伐採を全僧侶及び境内清掃の方達と行なう。紅葉を傷めてる竹を伐採し葉っぱが大きく育ち日照不足をおこさせる常緑樹も伐採した。この伐採は本堂の屋根に悪影響と言うより害を避けるための仕事で以前より着手を考えていた。

屋根の上に枯葉や木々がたまり日陰となると、屋根裏の下地を湿らせてシロアリや雨漏りの原因となる。これを放置するとまた大がかりな屋根替えとなり耐久度合いも短くなり最悪は倒壊となってしまう。小指ほどの木々なら問題もないのだが太股あたりの太さの生木は重く処分にも困るが・・・当寺のガリガリ君という愛称の雑木粉砕器の強力な機械がチップにしてくれる。山から出た木々は今度はチップとなって山に返り肥料となってくれる。色々仕事を手早く行ない一日おおえる。

早朝枕経、今日は友引で明日がお通夜だ。土曜日も忙しいのでトラブルの無いように心掛け一日を過ごしたい。
■1/21
快晴       なな月参りの日
今日なな月参りにはいつもの方々がお詣りにお越し頂いた。ただ、今日は日曜日であり他用もありユックリとお話をさせていただくことが難しかった。来月行なわれる星祭りのお話が中心となり、時間に追われる気ぜわしい法話会となった。

お寺の僧侶はそれぞれお詣りに出掛け私もお詣りに出掛ける。留守中、婦人部世話人会方々のご奉仕で星祭りの準備があり本坊で楽しそうに節分の準備がなされ、途中男性世話人さんもお一人入ってご準備をお願いした。

午後は枕経へ出掛けた。ここ数年、私のお盆参りの順番というか担当が代わり暫くお会いしていなかった方が早朝お亡くなりになった。私は元気な姿しか覚えていなくて、お話を伺うとここ数年ご不調であったという。懇ろにお弔いをさせて頂く。

お寺へ帰ると世話人会の人達がまだ仕事をしていた。お茶の準備を整えて談笑を交えながらの一服。皆さん明るく楽しそうにお手伝い頂けるのが、心から嬉しいです。本当に有り難い事であり感謝をしなくてはならない。

昨日の鎌倉出張が少々疲れたのか今夜は早めに休ませて頂く。横浜で投宿したホテルは部屋の暖房がないのか?寒かった。暑すぎるよりはマシかと思い毛布を被って休んだのが祟ったのか、何となく風邪気味。では今日も備忘録にお付き合い頂き有り難うございました。
■1/20       横浜にて法事
横浜の郊外、逗子市にてご法事に出向く。今年で三回忌の御霊位の方であった。寡黙な方で旧陸軍士官学校卒業後東大医学部に進み後年は学部長まで終えられた方だった。寡黙な方であった。

法事後の会食の折りにもご子息さんが語る先生の生前のお姿は私がお会いしていたときとまったく同じであった。お子様たちも優秀な方ばかりで長兄の方は『今度父の残した文章を本にまとめたい』とゲラを見せていただいた。娘さんはお医者さんで私の不養生をお話しすると苦笑されていた。何時もご連絡いただく末子の方は色々とご配慮を頂き忝く思いました。

鎌倉の有名な料理屋さんで談笑を交えて頂く会席料理はとても風雅なものであり、眼を転じて外を眺めれば建長寺、円覚寺、鶴岡八幡宮と落ち着いた中、穏やかに一日を終えられることが出来ました。

新横浜に到着すると都会の喧騒が一挙に車の中に雪崩れ込み現実に簡単に戻ってしまう。気がつけば三河安城駅を通り過ぎて名古屋に夕刻到着する。少々疲れました。明日はななつき参り、日曜日でもあり少々多忙。豆まきの舞台も出来上がり準備が整い始めました。境内に建つ舞台の上には夜風が吹き抜け寒天には葉の落ちきった桜の木々が夜空にその姿を現していた。
■1/16       月例会議
今年初めての月例会議、本当は5日にあったのだが葬儀等で延期延期で本日となった。星祭りの境内配置、火災時の手順の見直し、お墓での木の伐採、色々と議事を進める。

10時より婦人部でのお手伝い。10名ほど来られる。色々と受付けさんの指示で動いて頂いた。途中、新聞社の女性の方が星祭りの取材にお越しになられ様々な取材をされ、婦人部のご活動も写真録られてお帰りになられた。

午後よりは枕経、本堂周りの屋根にかかる木の伐採。龍神様のお堂の南側屋根の下りが落ち葉によって浸潤していてやり直し工事が判明。原因の木々を取り払う事とし先ずは本堂から取り掛かる。

疲れたので今夜は早めに休ませて頂く。よって今日のウオーキングはお休みです。
■1/15       役員会
お昼より節分会のためのたたき台となる打合会を少人数で行ない色々な審議が催された。大凡の内容は私がプリントアウトし具体的な細部まで企画したつもり。大体の部分は良いのだが実際となると上手く行くつもりではあるが、やってみないと分からない部分もある。2/1に世話人会を開催予定だ。

すこしバタバタしているとhpの更新を忘れてしまう。他の事も考えているとボンヤリして過ごしてしまう。段々と体力や自分の目に見えなかった壁が見え始めてくる。老化なのだろうな。イヤイヤ、今寒いので考えが縮込んでいるのだろう。

今年は暖冬と言ったが本当に暖冬と思う。雪もないらしいし氷もまだお寺では見ていない。水仙は既に昨年末から咲いている。寒いと言わず有り難いと行った方が良いのだろな。
■1/12      
夕刻、いつもの運動として昨日と同じコースを歩く。ふと足が止った。老梅の香りが鼻の先をかすめた。何の香りか分からなかったが春の香りが漂っている。暗がりに目を遣ると黄色い花が門灯の灯に透けて春の宵を醸し出していた。

いえいえ、春遠き正月半ば前のこの季節だが・・・嬉しい香りに思わず春は良いなと思う。テクテク歩く事一時間半の道のりを終えてお寺へ帰る。

悲しい事があった。以前映画で見て欲しくなった腕時計。ドイツのユンハンスと言う手巻き腕時計。ネットで見ると店頭価格よりもお安かった。檀家の時計屋さんへネットの価格表をプリントアウトして持参「この値段で分けてくれる?」っと尋ねたら「良いですよ」と一つ返事で頂いた時計。「住職は珍しい時計好きですね」と言われたが時計に興味はない。

映画で見た時の形に似ているので欲しくなった程度のユンハンスの時計。ここ一年ほど所在が不明となっていたがトンでもない所のポケットに入っていた。洗濯屋さんからズボンが帰ってきて、ポケットに手を入れたら時計らしき物を感じて取り出すと探していた時計が哀れな姿で出てきた。

時計屋さんに持ち込んで修理を依頼する。ゼンマイのカチカチという音。何だか時計が生きているような音。静かにしていると腕から時を刻むあの音が心持ち良かった。竜頭を捻ってゼンマイを巻く。えらく渋い趣味のように思われるだろうが、一度電池を入れたら時しか告げない時計ではない。何時もかまって上げないと止ってしまう時計、その時計の哀れな姿に心痛めている。何とか元気な姿でもう一度時を紡いで欲しい物だ。
■1/11      朝より来客多し
今日は丸チャンと二人でお寺のお参りをする。星祭の準備もボチボチと始める。線香の束作りに男性世話人さんがお越しになっていおられた。遠くから眺めると一生懸命に線香を作っていただく姿を拝見する。

午後より藤田保健衛生大学の献体葬儀を2件執行。その後、節分豆まきの舞台の位置出しをする。丸ちゃんと二人で大よその寸法取り、間での測り方をする。テントも二間三間と言う風に揃っているのでこの方法に倣う。

一間は1.8m畳一畳の寸法だ。建築資材や足場の材料も凡そこの寸法で販売されている。賑やかにそして盛大な星祭を行いたい。

しかし、最近テレビニュースを見ているとバラバラ事件が多い。耳を疑うような事件が先週も今週も、昨日も今日も同じような事件の連続。一体この国はどうなってしまったんだろう? 親子関係も夫婦関係も会社関係も・・・破壊されたのだろうか? 破壊されたからこの結果となったなれば誰が破壊したのだろ、人心を・・・。

最近読んだ本には、構造改革や規制緩和がこの破壊に追い討ちをかけたと記してあった。 規制を撤廃したので強い者しか残れないと書かれてあった。例えて言えば、檻も柵も何もかも取り除かれて『どうぞご自由に』で弱肉強食での環境、欧米流経済感覚が今の現況だろう。

そんな中、今の景気回復は戦後最長の経済回復であり景気そのものは大変な好景気であるそうだ。耳を疑いたくなり、その実感はまったく感じられない。

見做し請負業なる個人自営業者風の雇用形態。個人での自営業になれば雇用主は親会社となり社員は下請けとなる。労働基準もへったくれもない一人事業主。年金も何もかも自腹で賄い売り上げの出来高による請負で朝も昼も保護も何も無くヘトヘトとなる見做し請負業をさせられる元社員。元社員は仕事の内容は以前と変わりが無いが雇用形態がまったく違う別世界の仕事。

社内退職と言う給与のカットと配置転換で働き盛りの人たちの経済環境はガラリと変わり、バブル経済以降、企業が懲りに懲りた固定経費の削減に、同じ轍を踏まない企業。よって賃金は下がったままの経済回復。物は買って頂く人がいない限り売れない。購買出来るような環境が整うことが真の景気回復でもあろう。賃上げは出来ないがボーナスで賞与を増やしましょう。本当にくれるのかな?

「衣食足りて礼節を知る」と古典で習った。今回のバラバラ事件を見るとどうも衣食は足りた生活をされておられたようだ。衣食足りて礼節を知らないは、衣食が足りていない環境もしくは貧困な気風が家庭に蔓延していたのだろう。では貧困な気風とは・・・??

室町末期にポルトガルやスペインの宣教師が来られえ日本人の事を細かく記した本が多く有る。「名誉心を尊び、勇敢で、清潔であり知的好奇心旺盛、議論を好む」と以前読んだ事があった。名誉も武勇も清潔も議論も全て相手があり相手からの評価を大切とし、また相手からも評価を得なければ成り立たない。

破壊されたのは私たち日本人としての名誉心、本質に対する勇敢な心、公衆衛生、自由な気風の中の自己実現、これらが破壊されて、学力だけが一人歩きしたので家庭の中でも、家族をつなぐ愛情が線にはならず点だけで終わっているような気がする。点を線にするには向かう先の方向や結ぶ相手との直線のラインが信頼となる。

破壊された人心を取り戻すには、時間が相当必要となるだろうが元々あった気質。心配は無いと私は思う。ただ18世紀の武力での植民地支配の形態が規制緩和で海外から企業の植民地化若しくは略奪の危機に有る事だけは肝に銘じるべきである。潰れた銀行の株を安く買い取り赤字を税金で注入し、損が出たら政府が保証し、チャンとなったら高く売り飛ばして利ざやを抜く外資ファンド。

規制緩和は思わぬところで美しい日本を台無しにしているように思えて仕方ない。

■1/10      ウオーキング効果
タイトルのごとく、日頃の運動のせいか?体が大変楽である。ここ数日、友人とスキーに出掛けてきました。お寺を数日空ける事に躊躇しながらも長野県のスキー場へ到着した。ゲレンデもホテルもロシアとアメリカの人達が多く、驚いたのは大浴場でも金髪碧眼の人達がどっとお風呂に浸かっていた事でした。スキー場も同様、ロシア語と英語、時折中国語と日本と言った具合です。

雄大な北アルプスの冬山を間近に見ながらのスキー、全然上達しない私のスキー。しかし今年のスキーは全然バテない。50間近で始めたスキー、例年なら筋肉痛で翌日は痛くてとても辛い。滑っていてもなにも楽しくないのが、夜な夜なのウオーキングの効果があったのか?痛くも痒くもないのです。そりゃ、多少は痛いですが・・痛い仲間に入りません。健康な体に感謝をしてお寺に帰りました。
■1/5      腹痛で一日ダウン
ノロウイルスなのか未明より嘔吐と下痢の連続でフラフラとなった。昨日人混みの雑踏の中で感染したのか?酷い症状であった。葬儀もあったのだがとてもお詣りできる状況ではなかった。喉がカラカラになりポカリスエットをゴクゴク飲んで体調を戻そうとする。熱はなく夕方より快方に向かう。

何が原因かハッキリしないが夕刻には収まりホッとした。正月気分も薄れ毎日に追われる気分となってきた。星祭りの企画を考えると色々と想いが膨らんでくる。整理しなくてはならない事や、事務作業の効率化を進めないと受付け業務でも混乱を招いてしまう。注意深く人の意見をたくさん伺い意見をまとめて、折角盛大に行なおうとする行事にお詣りに来られた方が楽しんで頂けるように思っている。

境内清掃の方達の仕事始めも本日からだった。就床して挨拶も侭にならなかったが遠くからブロアーや竹箒、軽トラックの音が聞こえてくると申し訳ないような気分になる。
■1/4 晴れ      困ったトイレ立てこもり
夕刻「住職さん、困りました」と当直の僧侶が私のデスクへ困った顔をして来た。先ほど男子トイレを清掃している時に何方かが女性トイレに入った。しばらく立っても出てこられない。30分経っても出てこずに鍵がかかったままだという。「返事は?」っと尋ねると「何度ノックしても尋ねても返事はないのです」と言う。「もう10分ほどして再度見に行ってくれ」と時間を割いた。

ノックも返事もないままだという・・・「一度よじ登って上からどうなっているか見てきてくれ。病気かもしれん」と指示を出すと走ってきて「住職さん、お婆さんです。声をかけてもしゃがんで返事もしない」と言う。場所が場所だけに・・・困った物である。現場へ私も出掛けると彼の言う通り返事もなにもない。時折、壁に体が当たるのかドカンとかゴツンと言う。

「もう既に何度もお声をかけておりますが・・・警察か救急車を呼びましょうか?」と声をかけても「・・・・・」 。当直者に後十分の猶予を与える旨を告げて、警察に私が連絡すると言う手筈でその場所を離れる。ソロソロ電話をと思っていると「住職さん、出てきました」と報告が内線電話であった。

「どんな人?」と尋ねると「お婆さんです」。「大丈夫かを尋ねてみて」と指示を出すと「なにも返事はありません」という返事。トボトボとお寺の方へ下っていって姿を消したという。お通夜もあり気ぜわしい最中の事件。体の不調なのか?自殺願望なのか?何かヒソヒソなのか?行き着く先によっては対処を誤ると大事になる。お寺とて安閑とはしておられない事を感じました。体が少し不調です。ノロかも知れない。

午前中、久し振りに映画を見る。硫黄島の栗林中将の映画。馬術の西大佐も登場し戦争の悲惨さ、出来映えに良さを感じて15時頃帰宅す。
■1/3 晴れ        
毎年お詣りに来られる方が今年もお見えになって頂いた。奥様とご一緒に、色々なお話をうかがった。事業主はとても大変と考えさせられた。

明日からは境内の正月の諸設備を撤収して元の境内の佇まいにさせなくてはならない。テントやストーブ、机やイス等を倉庫や会堂へ収め直す。そして星祭りの準備に取り掛からないといけない。5日に行なうはずの月例会議も葬儀のため順延となった。

明日は世間では仕事始め。お寺も仕事始めとなる。当寺は正月は6日から月参りが行なわれ一日から五日のお詣りの分は六日からの日から順に始まります。

色々な方からの年賀状を拝見していると読みながら、お書きになった方のお顔が浮かぶ。一度もお会いした事のない方からの年賀状は自分で色々と思ってしまう。ネットで知り合った方からの年賀状は嬉しい物だ。

境内に出て散歩をする。山を一周すると10分ほどかかる。再び境内に出て本堂を眺めると美しく荘厳された内陣の仏様へ、思わず手が合わさってしまう。今、老健でお世話になっている母に見せたかった。額に汗をして何時も頑張ってはお寺の事を心配し続けた母。きれいになった本堂を見て欲しい。そして「ようなったなー」と声をかけて欲しい。
■1/2        高野山参詣
高野山から日帰りで帰寺する。山頂に到着したのは夕方であった。既に暗く御廟付近でのお詣りは私一人であった。不思議に今年のお山には雪が無い、冬らしくない何時もと違った風景であった。路面も凍っていない。しかし御廟の前だけは、気のせいか寒く感じ、思わず背筋を伸ばして読経をさせて頂いた。

何時も御廟前でお詣りする時は、ご参詣の方や案内の人達の声が錯綜するので耳栓を持参するが、この時期は不要となった。雨に濡れた石畳を踏みしめ御廟から無明の橋へ向かう。森閑とした奥の院。周りは暗く提灯の明かりが足下を照らす。杉の巨木から雨の滴が落ち、川の流れの音が響く。誰も居ない奥の院は不思議に落ち着く。橋を渡り終えて深々と一礼をして車に乗る。

不思議な充足感が体をほぐして下さる。色々と思いを巡らして読経をする私。読経を終えての沈黙の中での逡巡。自問自答の想いの果てはお寺の事のみの想いだけだ。「お詣りが出来た」という事のみの満足感一つで帰路に就くいつもの私の高野参詣。夜遅くに帰寺する。

(お詫び)大晦日の風景はうまく写っていませんでした。今年はその様子をご案内できません事をお許し下さい。
■1/1        暖かい元日
明けましておめでとうございます。今年もどうか宜しく願います。年末の除夜の鐘はおそらく昨年の倍の多くの方のご参詣を頂いた。108番鐘札は午前零時15分には既に到達した。鐘の順番と名前を書き鐘楼堂へ貼って頂く事とし108番で終了をさせるというもの。番鐘札に名前を書き順番を呼び上げられ「○○番さん、明けましておめでとう」と世話人さんが読み上げてくれる。鐘を点き終わるとお札を順に貼る。11時45分から撞き始め新年をまたいで20分程で108の点鐘が済んでしまい500用意した鐘餅もあっと言う間に全て無くなってしまった。

境内にある大木「タブの木」の周りには順番を待つ人々が長蛇の列を作り山門の下まで続いた。一時どうなる事かと心配した。多くの方々が新年の挨拶をして下さる。嬉しい限りだが、心ここに在りても他事というか鐘の事が心配で気が気でなかった。

2時頃には落ち着きサッと電気を消して就床を図ろうとすると毎年来るベトナム人のカップル6人が私を見つけてお神籤の説明を求めた。既に日本に来て長くなりお互いにカップルで仲も良く礼儀正しい。無碍には出来ない。困った事がある、日本語がほとんど出来ない。英語も通じない。何とか一枚を説明して終わろうとすると残りの人たちも説明をして欲しいと懇願する。20分ほどかけて丁寧に説明をして休む。

除夜の鐘等の写真は後日アップします。明日は、昨年同様に高野山へ参詣をさせて頂きたい。体は辛いけどお詣りをすると心が安ずる。行って安じられる場所があるだけ幸せです。