2019.04.07
住職備忘録
委縮した枝垂れ桜・・・お寺で一番の紅枝垂れ桜が
今年は例年、境内で一際色鮮やかな紅枝垂れ桜が僅かな花しか付けません。昭和36年8月26日徳川義親(松平春嶽の子)公が高徳院へご参詣の折にお手植えした桜です。植樹された場所は昭和13年に松井岩根大将が御寄進をされた境内三段石階段脇に植えられておりました。桜は徐々に成長していましたが、先輩格で明治39年10月隣に植えられた「奥保鞏(おくやすかた)」陸軍大将お手植えの「椨(たぶ)」の大木の樹勢と日陰に徐々に弱るのを私は記憶しておりました。
平成15年(もう少しあとかも知れません)岐阜県南木曽町でホテルを運営されていた中村博氏より枝垂れ桜3本を寄贈頂き椨の樹勢に負けている桜を新たに新たに紅枝垂れ桜に取替て大玄関右側に徳川義親公お手植え桜として植え直しをして現在に有ります。直径5センチも満たなかった紅枝垂れ桜は寄贈者からは「枯れるだろう」と後日感想談をご本人から伺いましたが境内では一番元気のよい紅枝垂れ桜になり、朝の陽に映し出され廊下はもとより境内も紅色に染まり多くの写真家の方が撮影される櫻となりました。
植えて一、二年の頃の枝垂れ桜の幼木
今年は可哀想なくらいに花が付いていません。枯れているのかと足場の上に乗り枝を少し折っても弾力があり枯れてはいません。今から15年ほど前、同じ業者に境内の他の紅枝垂れ桜の移植をお願いしたことがありました。この桜は昭和63年9月「市川團十郎」来寺記念の筈だったのですが昭和天皇御不例により急遽中止になり幻の団十郎桜となりましたが大変綺麗な紅枝垂れ桜でありました。
私も知識がありませんでしたが、夏場に根を切っての移植は「庭の専門家」の看板を信じた私が至らなかったのです。無論「大丈夫か?」と尋ねましたが元請けは何時もの通り「いいんじゃないの」と言っていました。時季外れの移植で委縮した枝垂れの枝は、怖がって枝やお花が下げられず笑顔のお花は委縮のしたままのようです。平成15年頃、枝垂れ桜を頂いて植栽したころの写真です。
お寺の土にあったのかぐんぐん大きくなってくれました
幼木でした 大木よりも幼木が土地に馴染みます
タブノキ下の紫陽花が大きくなっていないので平成26年頃でしょうか?
紅色が鮮やかな枝垂れ桜
今年の紅枝垂れ桜は寂しそうです。私もとても寂しいです
向いの桜は「おーーっぃ 大丈夫か?」と声が聞こえてきます
多分ですが枝垂れ桜の中でも紅枝垂れの八重の桜は「敏感、繊細、しとやか、荒々しさを厭う」ように思えます。今現在行われているお寺本体の建物の銅板葺きが完了したらきっと、桜に映える素晴らしい伽藍の姿を桜も喜んで来年は多くの上品で鮮明な紅桜を付けてくれると心で念じています。彼女も心配をしているようです。(施設から許諾のもとに撮影した彫像です)