先月分に戻る

■3/28 日曜日
何だか疲れたのか元気が出ない。風邪気味なのか・・・とうとう寝込んでしまい今日のお参りは他の方にお願いを一方的にしてしまった。ぐっすり休んだのだけど何となくしんどい。新しいソフトを二本求めた。ビデオ編集とデジカメの編集ソフトだ。遊びではなくてお寺での用のために求めた。ソフトの出荷種類の多さと、開発のスピードが速さ、ついて行くだけで精一杯である。が、ここで弱音を吐いたらアカンですな。と言う事で夜遅くまでマニュアルをパラパラ見ていました。早く休めばよい物を・・・新しい物が来たら何でも興味津々です。

母の夢を見た。母は今老人保健施設に入所してお世話を頂いている。先回(昨年11月)祖母の夢を見た場所と同じ昔の中庭に、私と母の姿は在った。「お母さん、昔あそこに花壇を弟と作ったね」と話しかけると母はその場所に行き「グラジオラスが綺麗だったね」と話し始めて昔の場所を掘り始めだした。私もスコップを持って掘り始めた。母は農家の娘だったので土を触る事が苦ではなかった。額に汗を一杯にかいて笑いながら私に色々なお話をしてくれた。何をお話ししたのか覚えていないのだが一生懸命に働く母の姿が夢の中にあった。「少々疲れても頑張らんとアカンよ。へこたれたらアカンよ」と言いたかったのか?土を掘った臭いと母の日本手拭いから臭う母の臭いが私を呼んだのか。今日は調子が悪かったので明日見舞いに行ってこよう。

■3/26 「世話人旅行会」沖縄より帰寺する
昨年はハワイに行った旅行、今年は沖縄離島10島巡りから帰る。不思議にトテモ疲れた。いつもなら元気に帰るのだが今回は本当に疲れた。でも旅行自体は楽しい旅行でした。天気は曇りのち快晴に終わり傘を使う事は無かった事だけが良かったです。
お寺を出発! 一路沖縄宮古島
宮古島ホテルブリスベイマリーナ 竹富島の市中?をグルグル回る
西表島より由布島へ距離200bほど 西表マングローブの川を上る
30分間のクルーズは楽しかったです
小浜島の船着場 ヤマハ「はいむるぶし」の孔雀
石垣島の川原湾 暑いマブシイ 楽しかったね!

■3/20 彼岸法会
沢山のお参りがあった。たまたま葬儀もあり彼岸会が終わってすぐに葬儀に出かけようとするのだが渋滞をするくらいであった。本当に沢山の方々がお越し頂くのは有り難いが事故や人身事故があったらトテモ考えただけでも空恐ろしくなる。
出るに出られないお寺の正門、裏から出ようにも出られない駐車場・・・何とか考えなくては。
世話人さんも大活躍をして頂いて本当に有り難かったです。

■3/18 寒い雨の日
明日は顧問弁護士との打ち合わせがある。お寺に弁護士??っと思われる向きもお有りかと存じます。もめて困って弁護士に相談に行くより、もめないように困らないように事前に相談に行くようにしている。では何が困る事があるんですか??と言う事になる。別に私は困っていない。だが他人の相談や依頼事、事前に行う大切な事柄は事が起きて最初から説明するより、初期の段階から相談をする方が良いのでこのようにしている。
今までに色々な方々とお付き合いを頂いた。人の価値観も判断も能力も違う。間違っていない事柄はみんな自分を中心にして生きている事だけは絶対に間違っていないとと思う。正しいと正しいとのぶつかり合いが争い事となる。もっとややこしい事を経験している。それは善意と善意のぶつかり合いと云うか、収集のつかない親切を受ける事だ。受ける側はその方の善意を受ける事により双方が満足する。しかし、同時に違う善意を受けなければならない時にどちらの善意を受けるか・・・・これは大変に困る。幸せと言えば幸福なんでしょうが・・・彼方を立てれば此方が立たないの調子です。これは本当に困る。弁護士にしても何ともならない。その時、宗教家が威力を発揮すればいいのだが当事者となるとナカナカ難しい。医者が自分に注射できない弁護士が自分を弁護できないのと同じかな・・・・
あと少しでお彼岸・・・お参りの方も多い。事故の無いように心がけてお迎えをしよう。しかしギックリ腰がナカナカ快癒しない・・・・・痛い


■3/14 暖かい
更新をするつもりが遅れて今に至っている。暖かくなり始め境内には何とも言えない春の香りが漂い始めている。桜の蕾も大きくなったが三年という短い年月にも関わらず、植えてから幹は二回りも大きくなった。
私の大好きな桜の種類がある。
桜にもたくさんの種類がある事を知ったのは三年程前の春未だ浅き2月初頭、ホテル木曽路館の中村社長から桜の苗木を50本頂いた時の事であった。「綺麗な桜だな〜」と思っている木は本当にピンクの花を付けいる。丁度、6月頃梨の花が咲くあの白い桜のような花を付ける梨の木。あの梨の花のピンクの桜バージョン。6月になると青葉若葉に白色の花が一際目立たせさせるが、ピンク一色だけの花を付ける桜は、ビックリするくらいに綺麗だ。周りにはしだれ桜を10本と「幻の団十郎しだれ桜」が17年の歳月を経て山門脇に往来の人の目をあと少しで楽しませてくれるだろう。

所で毎日がゆっくりと確実に勢いを以て進んでいる事を実感する。評議委員会及び責任役員会、総代会と種々の合議がなされてお寺の運営の審議がなされている事に本当に喜びを感じる。私の一番大切な役割は、お寺の行事が円滑に運営され世話人さん達が喜んでお手伝い頂ける様な雰囲気を作る事だろうと思っている。一番に注意しなくてはならない事は贔屓の引き倒しと、個人プレー、独り芝居に一番注意を払わなければならないと思う。昔、これの対応に引きずられ、寺の可能性と私の時間が無駄に過ぎトラウマとなって未だに私を襲う。独善的独り芝居にある時は主役の引き立て役をさせられ、観客となり大道具役をして、宴席を設けてヨイショして挙げ句の果てに「感謝がたらん」と人前で罵倒されてはたまった物ではない。やはり此処まで書くんだからトラウマなんだろうな。でもその人は、初めはとても良い人だった。たぶん私が至らないので怒れたのだろうな・・・でも。。。。

■3/8 大変寒い
あと少しばかりしたら春彼岸である。暑さ寒さも彼岸までの諺は或る意味で真実と実感する。今、パソコンに向かっていたら夕6時の鐘の音が境内に響いた。ふと見上げると空はまだ明るい。ついこの間までは暗く、足早に帰宅する人の姿を見たのだが・・・
あと数日すると夜桜見物の話題が出始める。
日没が段々と1日を長くする。人生も彼岸のように長くなればよいのだが。。。秋になったら短くなる。繰り返し繰り返しの時を過ごして人生が終わるんだな。なんちゃって。

■3/4 母の誕生日
を忘れて忙しくしていた。おばあさん「本当にごめんなさい」と今、気が付いた。今午後11時33分。悪い息子である。父母恩重経と言う経本がある。
はじめ胎を受けしより十月を経る間、行住座臥共に諸々の苦悩を受く・・月満ち日足りて生産のとき至らば・・骨節ことごとく痛み脂汗ともに流れ・・その声発っせれば母も初めてこの世に生まれ出たるが如し・・・母の懐を寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けを生命となす・・・計るに母の乳を飲むこと一百八十こくとなす ・・・・・子 おのれが懐に糞まり、あるひは、その衣は尿まるも、手づから洗ひ濯ぎて臭穢を厭ふことなし もし子遠くに行けば、帰りてその顔見るまで出でても入りてもこれを憶い寝ても覚めてもこれを憂う・・」 あ〜お母さんごめんなさい。許して下さい。誕生日に顔も見せずに本当に済みませんでした。忙しいは言い訳にはなりません。
しまった、本当にしまった。今頃はもう病院も閉まっているだろう。あした顔を見に行く事とするが今晩、夢に出て来てくれて「イヤミの一つ」でも言って呉れればどんなにか明日の目覚めがよいか・・・皆さん 私の懺悔を聞いていただいてすみませんでした。・・・本当にしまった。


■3/2 実弟が母の見舞いに来る
姫路の大日寺に養子に行って早10年の弟が母の見舞いに来てくれた。色々と相談事を受けるが多くは酒の肴となって胃の腑の中に流れ込んだ。二次会は行きつけのと言うより10年前に連れて行って頂いた私の唯一の夜の名古屋の飲み屋、住吉という所にある。名古屋の夜の店を知らない私の唯一安心して行けるお店です。お客は常連ばかりで「古チャン、中チャン何とかチャン」ばかりでトテモ楽しい。この店にはマドンナがいる。このマドンナは『はっきりしているマドンナ』で有るが、色々と心配りをするので結構人気もある。もう一人のマドンナは紛らわしい名前のマドンナです。お二人とも流ちょうな日本語でお客をあしらってくれる。
で、問題はそのお客の客層なのである。私もこの間、○十歳の誕生日を迎えた。が、平均年齢は一回りは違うと想う。出てくる歌は東京オリンピックの頃、日本が高度成長を遂げる頃の歌が一番若い歌でそれ以前の歌が、恥ずかしくもなくたくさん出てくる。これが良いのだ。本当に良い。。
若い人たちの歌は「何を歌っているのか?何を叫んでいるのか??」分らない曲が多いが、ここの常連の人達は私の好みにピッタリでトテモ年齢差を感じさせない。と言う事は私は懐メロ派と言う事になる。
「Hello How are you」で始る私の電話に「今ね、古チャン来ているので早く来て!」なんて言われると行かなくても店の中が大凡透視できる。この間もと或る役所で並んでいたらニコニコして見た事のある人が立っていた。よく見れば「中チャン」であった。彼は私の書類を見てどうも来る事を予見していたらしいが、本当は家内の顔が見たかったみたいだ。
帰りのタクシーで「あそこの店は何時も常連で一杯だ」というと「そんな店有るんですね」と感想を漏らされた。
私の正体はみんな知っていてついでに私のhpまでこまめに見ているらしい。ヒット数が増える一因は、境内になくて、夜の街にも有ったんだ。


■3/1 月曜日
婦人部の方が遊びに来られれて、護符の作業のお話が出た。丁度高野山から依頼しておいた護符が来た事もあって第一・三週の「火・金」に護符折りの曜日が決まった。
昨年11月に私の亡くなって久しいおばあさんの事を書いた。枕元に立った祖母は護符の事を心配して夢にまで出てきてくれた。折り方を教えて四方山話をしてお帰りになった。
この護符折りの作業は大変根気のいる仕事で皆さん喜んでしていただけるとのこと。「手先の仕事だからぼけ防止になります」「家の父ちゃんは何かないか?仕事はないか?と毎日言っているので丁度良い」等々有り難い言葉を私に言っていただける。感謝しないといけない。
沖縄へ今月二八名で親睦旅行に行く事になっている。みんないい人ばかりで本当に幸せな住職です。お彼岸のご案内状が出来上がり封緘も終わり明日投函する予定となっている。春彼岸法会は目の前だ。