2004/11へ

■12/30 オレオレ詐欺の電話有り
葬儀を終わりホッとしていると電話が鳴った。来年度の法事のご案内を出したので予定の電話が多く、心得ながら「はい高徳院です」と受話器を上げた。すると突然「お父さん〜っ! 助けて〜っ、私○○子。本当に助けて〜」っと聞き慣れない声で絶叫が聞こえてきた。隣席にいた丸チャンが振り向く。一瞬「きたな」と思った。実名の名前を呼ぶその女の人に「誰?○○ちゃん」っと尋ねると「○○子よ、お父さん助けて〜」っと涙声で叫び続ける。時折路上でかけているのか、風切り音も聞こえる。「どうしたの?」って尋ねると「今男の人にさらわれて部屋に閉じこめられている。助けて」という。すると突然男の声で「おいコラ〜ぁ、お前の娘が家の若いモンにチョッカイかけやがって!。オイこら、どうする?」っと凄い剣幕であった。「あの〜、娘は隣にいるのよ」っと言っても聞こえないのか一方的に喋りまくる。

 隣にいる丸チャンは声もなく私の方を心配そうに見つめる。私が「オレオレ詐欺だよ」っと言うと息を飲んでその様子を見守る。悪口雑言を吐いても一言も発しない私。そのうちに切るだろうと思った頃合いに突然「ブツンっ」っと一方的に電話が切れた。
聞いてはいたが酷い電話であったし気分も悪くなった。その事を家族や寺の者にスグに知らせると一様に驚き唖然としてしまった。新しい年を迎え気分も新たにすべきこの時節に不心得な電話に、改めて人の心の荒廃を感じた。

 奈良県での悲惨な事件、津波、放火、地震、テロ、狂牛病や鳥インフルエンザ、・・・・数えたらどれだけ嫌な言葉が並ぶのであろうか。本当に身も心の中にも北風が吹き抜ける。
オレオレ詐欺の連中の声は若かった。気の毒に・・・青年の持つであろう正義感も使命感も微塵もなかった。これからの先々の世の中、本当に考えさせられる。そして、どうしてこんな世の中になってしまったんだろうか。


■12/29 とても寒い一日
年末の準備が進んでいないと半日程、境内清掃の方がお越し頂いて準備をしてくれた。責任感ある方達で本当に助かる。年末年始の準備をお寺内でも進め殆どが完了した。午後よりお参りに出かけて四方山話をして帰寺する。津波、地震、不安な話ばかりが話題となり明るい師走の話題は出なかった。追い打ちをかけるように大晦日は天気が悪いと来ると準備した方も、少し気落ちする。
まぁ、天候は仕方ない。この秋は雨か嵐か知らねども今日の勤めの田草とるなり・・・・日々を大切に。

■12/28 除夜の鐘の準備
年末年始は余り天気が良さそうにはない見ないな予報が出ている。と言って準備をしない訳にも行かないので色々と準備を始めた。テントや机、イス、ストーブ、色々な品々を出してきた。

 スマトラ沖の大地震による被災者の方々の多さに驚き、ニュース映像の凄さに息を飲んでしまった。以前沖縄やハワイでチリ地震の津波の被害を海岸線で見た事があった。沖縄では宮古島での被害を今年、檀家さん達と目の当たりにした。チリと言うより太平洋から日本に向って来襲する大津波の威力は地上の巨大な岩を押し流して、現在入り江の彼方此方に散乱していた。散乱していたと言うより破壊の凄さをまざまざと見下ろした。片や陸地を越える大波を被らなかった海は何事もなく、津波で押し寄せられた入り江のみに、その惨劇が現在も見られる。
 ハワイ島でもチリ地震の影響で壊滅的なと言うより、街一個が一瞬にして消えるくらいの被害を被った。災難は忘れた頃にやってくると言うがスマトラから押し寄せてくる大津波に、まさかクリスマス休暇を楽しまれておられる人達には創造もつかなかったと思います。知り合いがランカウイ島に出かけた話を聞いたばかりなので他人事で聞く事は出来なかった。

地震、火事、異常気象、経済破綻、教育の荒廃、治安悪化の深刻化・・・嫌な事ばかりが続く地球。来年は僅かで良いから心温まる、ほのぼのとした日々が穏やかに続く事を念じるばかりだ。


■12/26 
夕方、落ち葉が沢山落ちていたので枯れ葉を集めてたき火をした。野焼きは禁止と言うが、久し振りに落ち葉たきをした。イチョウ、モミジ、コナラ、松葉等々をブロアーで吹き集めおおよそ集まった所を見計らって火を付けた。シビシビと言う落ち葉独特の音を立てて燃え始めた。煙が出始めて空に立ちのぼる。空を見上げると炎の暖気に巻き上げられて落ち葉が慌てて落ちても来る。
火が大きくなり始めると、適当に遠くの落ち葉を掻き集めて炎の上あたりに被せると、また火力が落ち煙が立つ。繰り返す内に適当な火力となりパチパチ言い始めて落ち葉焚きが、らしくなってくる。母に教えて貰ったとおりに落ち葉を焚く。
 昔はここで大根干しをして柿の木にぶら下げたな〜。夏の昼下がり、ここで昼寝をして母にトウモロコシを食べさせて頂いたな〜なんて思い出した。母の所へ明日はお見舞いに行ってこよう。
昨夜の忘年会で「親を思う心に勝る親心・・・」が今の座右の銘ですと或る僧正さんが言われた。親は有りがたいものだ。きつい母であったが、何時も子供達を全力で護ってくれた。
明日は母の顔を見てお寺に連れてきて久し振りに一緒にお昼を食べよう。風邪を引かせないように気を付けなくてはいけないな。

■12/25 今年最後の忘年会
 夕刻より最近出来たばかりのホテルの一階にある洒落た居酒屋で8名の忘年会を催す。何時もお世話になる方ばかりであり大変に盛り上がった。今度生まれ変わったら何になりたいと一人一人に希望を伺った。半数の方は再び生まれ変わったら「僧侶になりたい」と仰られた。接客業、例えばお人と接しながらの職種にうまれかわりたい方もお見えであった。私は金髪ブルーアイのパイロットに生まれ変わりたいと真顔で言ったら、みんなに笑い飛ばされた。お互いに毎月法要をしている中なので気心も知れているので大変に楽しかった。

 また或る人が「皆さんの座右の銘を聞かせて下さい」とリクエストがありそれぞれの座右の銘を拝聴した。「親思う心に勝る親心・・・、僕は最近、つくづくこの歌の意味を噛みしめています」と言う方がお見えであった。で私の順になってきた。私も座右の銘は「高きより 飛び降りるがごとき心もて この一生 終わるすべなきか」であった。他の方の座右の銘を既に覚えていない。忘年会だから忘れて良いんだろう。

 お店は今年最後の土曜日で、洒落たお店であったので順番待ちのお客でごった返していた。集合時間まで時間があったので住職代理と某電気屋のビルに入り色々と冷やかしていた。耳に届く音楽はクリスマスソングと正月のBGMが交互に流れ季節と時間がスイッチングする雰囲気を味わってきた。そのクリスマスソングが夜の街の明かりに踊って気も軽くなったのであろうか、数名の方達は夜の明かりに誘われ、私は住職代理と帰路についた。


■12/23 天皇ご誕生日
21日から一泊二日で檀家さん8名と温泉のお供をした。行き先はエクシブ初島であり皆さん初めて行かれて大変お喜び頂いた。温泉にはいると手の傷も癒えたようで感謝の言葉を頂いた。夕刻8名で和食を頂いた。楽しいお話と美味しい食事に時を忘れて歓談をして気が付いたら9時であった。会食が始ったのが6時半頃で、疲れもせずにアルコールも少々頂いて、良い調子で皆さん喜ばれた。温泉に浸かり湯治をするのが目的で話がまとまった旅行であった。天気に恵まれ大喜びを頂いた旅行でした。
新幹線の中ではご夫婦毎に、ささやかにお酒を楽しむ方、ミカンをむいて楽しそうに頂く方、老後の鏡を見たような気分であった。私は熱海からグーグー寝てしまい気が付いた時は豊橋の駅であった。明日は今年最後の月例会議、翌日はお寺の忘年会。年末に向けて最後のラストスパートとなる。


■12/20 曇り
今夜も一杯会があり夕刻からまたも出かける事となる。でかければ楽しいのでつい羽目を外してしまいそうになるので留意して楽しむつもりだ。友人とお酒の飲み過ぎの話をすると「そうなんだよね、最初のビールが美味しいがあとは同じ」と皆が同じような事を言う。私も同じような気持ちだ。そこで最近私はお酒を数杯飲んだらあとは「ウーロン茶」にチェンジをする。あとはどれだけ飲んでも疲れないし酔わないし体も楽になるのでこの方法が一番だと思う。

しかし会社の忘年会ともなると結構気も遣うので、不本意ながら深酒をしてしまう事は容易に推測できる。某テレビ局の宴会はとても大変だと思うな。何と言ってもタダ酒を好き放題に飲み交わし、業者は顔色を見ながら飲み続けて仕事を頂くために次の宴席の事を頭に入れ、肝心のお仕事にまで結びつけなくてはならない。

 さて「飲酒」は私の学生の頃も、今も全く危険である事に変わりはない。飲み過ぎて昏倒し急性アルコール中毒で、呼吸中枢や生命を維持する脳幹までもが麻痺すると死んでしまう。オシッコで何度も排泄すると体温がドンドン奪われ、呼吸が荒くなり、酩酊したら本当に怖い。何時も最悪を考えてお酒を飲まないといけないですが、私も含めて二日酔いを経験された方も多いと拝察します。

私もこれほど酷くはないが辛いがあります。二日酔いを初めて経験したのは二十歳の時、中学校の恩師の家でした。どうやって帰ってきたのかも知れない。ただ正月三日の夜の出来事だけを覚えている。そして一週間、飲まず食わずの日々を送り、テレビを付けてもラジオを聞いても食品のコマーシャルや、ドラマの会食のシーンを見たり聞いたりしただけでも我慢が出来ない程の二日酔いを経験しております。

その後は数度、軽い(強くなったのか?)二日酔いを経験して今日有ります。学生時分、漢詩の中には盛んにお酒を飲む事が恰も極上人の佳境のような詩文に出会い、よって漢詩を思い出し自分も一つと思っていても書いた試しも、思い出した試しも一度もないです。
酒は気の小さい人間を傍若無人にしてみたり、無口でおとなしい人を明るく楽しい人にしてみたりで飲み方過ごし方で様々ですね。
そうそう、師走の標語「酒は礼に始り 乱にて終わる」・・・気を付けて行って参ります。

■12/19 晴れ時々曇り
本日は午後4時より総代会・評議委員会が開催される。資料は既に揃い来年度の事業計画、今年の反省、来年へのより良いお寺へのご意見を頂く。また防犯状況の報告や消防計画等を改めて報告する事とする。

年末は除夜の鐘の事もあり色々とご協力を頂かないとこなしきれない状況となっている。来年度の事業計画は今年の同じものであり何も変化はない。ただ改良点や工夫できる事は予め、今から宿題として皆様にお願いをして行きたいと思う。

昨夜は来客が2件ありそれぞれご夫婦でお越しになられた。そのうちお一組と温泉に近々に行こうと言う事になり、もうお二組誘おうという事となり急遽8名4組の温泉旅行が決まった。突然の成り行きに「まぁ 良いか」で出かける事となりました。大掃除も終わり残るは24日の月例会議、除夜の鐘の準備等と星祭りの準備と発送で今年も終わる。

来年は祖母の23回忌もある。そう言えば夢で出てきたお婆さん、元気でいるかな??また夢の中でニコニコしながら会って欲しいな。


■12/18 晴れ 段々と寒くなってきた
 今年の冬は暖冬であるとテレビで盛んに言われている。確かに暖冬でスキー場も雪が無く、それどころか蕗のとうが芽を出している。温暖化のせいでそうなったのか? アルプスの雪もドンドンと減っていると言う。そう言えば私たちが子供の頃はモット寒かった記憶がある。

「サザンカ サザンカ 咲いた道、たき火だ たき火だ 落ち葉焚き」という童謡があったが私の子供の頃はあの童謡の歌詞の内容がそのままの冬景色であった。学校へ登校する為に集合すると何処かで必ず落ち葉焚きが有り、ランドセルを背負って暖を取らせて頂いた記憶だ。また近くの田圃の中に飛び降りると氷が張っている。周りは霜柱が立っていて、踏みつけてゴム靴の裏から凍り付くような寒さを感じ、再びたき火の中に割って入って靴裏を暖めた事もしばしばでありました。
 あっちこっちで色々な大人がいて、その輪に入って叱られながら大きくなった。とうとう昔話になったが昨今では知らない人と関わらない、綺麗な服装、大人じみた太々しい子供。私の頃の子供はみんなが貧乏で、町内で助け合って来たような気がする。

 その貧乏で不自由な生活の中で冬の寒さを、未だにハッキリと覚えている方もお見えと拝察します。この時期、クリスマスが唯一の楽しみでもあった。不思議にお寺の中で町内のクリスマス会があり何もわきまえずに一番のガキ大将を演じていたと今から思うとゾッとする。あのバタークリームのこってりとした、余り上品な味とは言えない、堅いクリームの感触。何が何だか分らないのだが、はしゃいで、食べたクリスマスケーキ。外を見れば荒涼とした冬景色。季節感があった。

あと少しで寒いはずのクリスマスが来る。物心付いて40回位のクリスマスを迎えるのでしょう。実年齢はその次の大台ですが・・・ 街はクリスマスという雰囲気は余り無いような街を昨夜、支所役員会で感じながら9時頃帰寺しました。


■12/16 晴れ
忙しくする。午前中或る病院元理事長の所へ依頼事で出かけてきた。主題の話も半分で宗教の話や医療問題の現況などをお互いの意見を交わす。これからの増え続ける高齢者への医療の対応や、お寺のあり方などを話す。とても楽しい時間ではあったが他の予定もお互いにあり辞去を述べて失礼をする。
午後からは星祭りやお正月、除夜の鐘の準備をする。他に種々の雑務も済ませて気が付いたら暗くなっていた。運動をしていないので体がきしむ感じがする。少し運動をこの体に加えないとドンドンと体が硬くなる感じがする。よって今から少し運動に出かけてくる


■12/14 晴れ
尊敬し葬儀を上げさせて頂いた「故、藤田啓介藤田学園創立者」の記念本が送られてきた。久し振りに見開き改めて総長先生の息使いを感じた。お亡くなりになられて既に8年の歳月が過ぎたにも関わらず1ページ1ページが私に熱い物を感じさせて頂いた。私は総長先生に大変可愛がられ特別の計らいを何度も受けた。それはこの備忘録にも何度も紹介したので省くが、写真を眺めて本当に写真から励まされている錯覚を受けた。
「名古屋市長の○○はワシの後輩や、愛知県知事の○○が来てくれと言われてもわしは行かんが、住職が来てくれと言ったら何処へでも行く。私を利用してくれ」と言って私を励まし続けてくれた。
ご逝去されて既に久しい。今、私の耳元で再度巨人の歩幅で歩む総長先生の凄まじい足音が聞こえ、実際に胸に届いている。前を向いてシッカリとした信念で歩む事を改めて心に誓った今日であった。
人を追悼する時、しなくてはならい場合とせざるを得ない場合がある。総長先生はさせて頂きたい一心であるのが私の気持ち。今日お寺があるのは総長先生の姿があったからこそであり、奮い立たせてくれた先生の恩は終生、私の感謝となり恩返しはモットお寺を大切にする事だろうと信じている。山門左に建つ記念碑を私は時々お参りに行く。先生有り難うと・・・


■12/11 宗務支所役員会
来年度東海ブロック内での行事の初めての役員会に出席する。どういう訳か集合時間に行っても三名しか集まっていない。ボロボロと人が集まり始め会議となったのがだいぶ遅れた。中国料理を頂きながらの会議。なかなか難しい会議でもあった。結縁灌頂(けちえんかんじょう)の実施に向けた会議は来夏実施する事になり種々の準備が始る。
お誘いして皆様に灌頂の尊さや灌頂に入壇(「にゅうだん」参加する事)できる幸運を広く知って頂き、今後具体的な募集の話となったらこのホームページでご案内をさせて頂くつもりです。

この灌頂は明治以前まではとても厳格になされていました。灌頂自体幾つかの様式があり、それぞれに備わった戒律を守る事る約束し、その都度、一心に真言を唱えながら曼陀羅の上に香華を落とし、落ちた所の仏様が持念仏としてご縁を頂く儀式です。仏縁を頂くとはこの事でしょう。中心にお祭りされるのが大日如来で曼陀羅は二種類有り金剛・胎蔵の二種類です。と言う事は二つの曼陀羅の上に二度、投華(とうげ、花を落とす事」)をしなくてはならない。準備も大変。人出も大変。

事務、儀式、会計、庶務と大変な事は容易に推測できるのだが・・・・本山からもエライ人が大勢来るという。私も出来る事だけはさせて頂くつもりだ。


■12/10 長い間失礼しました
少し気分転換を図る為にお寺を数日空けました。
或る所でイルカのショーを遠巻きにボンヤリ見ていました。沢山の観衆が眺めている中、餌につられたのか?訓練の成果か?上手くジャンプして万雷の拍手を貰っている。少し目を僅かそらすと,
そこには自由で果てしない海の青が待っている。そのホンの僅かな場所の違いでイルカは今日も何もしらずに餌を貰い続けて跳び続けている。一方、高知県のイルカが逃げ出して和歌山で保護された。保護された時は痩せていたそうだ。

プールのイルカは数メートルで自由の海がある事さえ気がつかない。気が付くと云うより、自由という事自体が分らないでジャンプを繰り返している。情報の整理、自分なりの考えがあると、比較し始めたり悩んだりする。結局は整理仕切れないで悩んでいる事になる。私の場合、体力とか思考とかの衰えから出て来ているようであり、今までが元気すぎたとも思う。

自由は結構だけど痩せてボロボロになるのも、困る話である。要は頭の切り替え、考えの持ち方一つで明るくも暗くもなる。イルカに諭されたような気分になった。

旅に出たロバが馬に変わって帰る事は無かったけど、気持ちだけでもだいぶん気分が軽くなった。体力の衰えと共に自分の様々な、今までにない気分のデッドロックも上手くクリアーしないとイカン事を改めて思った。


■12/3・4 
月末より目が調子が悪く、とある眼科の先生からも受診を勧められていた。高名な先生で家族も診て貰っている。「お父さんに一度来るように!」と言われ新幹線やとある場所でもバッタリ出会って受診を勧められていた。昨日12/3夜、目が我慢できずに近所の眼科へかかろうと急いで夕食をとって出かけようとすると既に受付は終わっていた。仕方ないか〜と諦めていたがどうも調子が悪いので昔からの友人に目の不調を相談したら診て上げると言って貰い少し遠くまで出かけて診て貰った。心配される様な目の病気は見あたらず眼精疲労と告げられた。鼻の周りも痛く腫れているので外科の受診も勧められた。よって本日も受診をする。何だか不安な日々を過ごしホームページの更新も遅々として進まなかった。
すみませんでした。少し目を大切にしようと思います。家族からパソコンの前に座らない事!っと言われますがどうも・・・


■12/2 水曜日
日々何をするも無く過ごす。午前中、税務署の調査に協力、午後遅い時間に所用で名古屋へ出かける。名古屋は人が一杯でとても疲れた。季節は師走だが建物の中は暖房が効きすぎていて頭がくらくらする。体もボーっとして眠くして仕方ない。
耳元でホームページの更新!と幻聴が聞こえる。少しずつ更新をしますね。チョット忙しくて済みません。