02 03 04 05 06
1 1 1 1
2 2 2 2
3 3 3 3
4 4 4 4
5 5 5 5
6 6 6 6
7 7 7 7
8 8 8 8
9 9 9 9
10 10 10 10
11 11 11 11
12 12 12 12
名古屋の天気予報
-天気予報コム-
2006年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
今月の祝日・休日
1 元日
2 (振替休日)
9 成人の日

ブラウザをJavaScript対応に設定してください。

平成18年1月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

■1/31        雨   
日帰りで高野山へ参詣する。途中、急用が出来たが他の僧侶にまかせ奥の院を参詣する。暖かい。山頂はマイナスではなく過ごしやすかった。奥の院裏から諸行を済ませて御廟前にて読経を為す。晦日で参詣人はほんの少しであった。霊気に触れると鬱々としている気分がスーーッと晴れて毎回感じる事だが「頼る事が出来る場所があるだけ幸せ」を感じる。夕刻9時頃に帰寺して明日の男性世話人会の会議資料を整理する。就床後、枕元の電話が鳴り再度起床する。
■1/30 曇/雨        チョモランマ状態   
夕方、久し振りに運動に出かけてきた。体が硬くなり足腰の衰えを感じているので心がけて運動をしているが、矢張り施設の整った所での運動は爽快だ。運動を終えてついでに子供を迎えに行った。学期末の試験が始まりその直前にレポートの提出と重ね重ねの不運?に恵まれ、子供の睡眠不足を考えて迎えに出かけたのである。

就床前、いつものようにパソコンを触っていたら子供が私の机の側を通りかかった。
私が子供に
「オイこれな、ネットで買った冷蔵庫だよ」と机の上にある小さな冷蔵庫を私が指し示すと
「何処にあるの?」っと尋ねられた。
「ここだよ、この小さなかわいい冷蔵庫。通常は数万円するんだけどネットだと同品で数千円だよ」っと自慢げに返事をした。

「そうかい、そうかい、そりゃよかった。しかしお父さんの机の上もチョモランマ状態だね」と言う。
「なんだ、そのチョモランマ状態って??」
「ふふふっっっっっっっっぅ」っと笑う子供。
私の机はとても使いやすく落ち着いた雰囲気になっている。タタミ一畳の机の上にはディスクトップのパソコン、机上ランプ、スポットランプ、小型収納ラック、BOSUのCDプレイヤー、そして新たに超小型冷蔵庫。何処がチョモランマで何の意味か分らなかった。

子供に「何がチョモランマだよ?チョモランマって世界最高峰の山の名前で確かエベレストの事だよな??」
「そうだよ、お父さん」と薄笑いを浮かべて私の顔を見る。

「おい!チョモランマ状態って何だよ」っと聞くと
「お父さん、富士山の山の上はどうなっている?」っと聞くので
「私は見た事があるけど登った事はないので知らないよ」
「人が一杯来るとどうなる?」
「ゴミが出て汚くなる?」
「私の机の上がチョモランマ状態と言うとゴチャゴチャしていて一杯物が載っかっていると言うんかい?お前は、コラ!」
「ほっほほほほぉおおお、大体机の上に小さいとは言え冷蔵庫を置くなんて不思議な話だ。その内ゴミになるんでチョモランマ状態だよ、お父さん」と言われてしまった。

実際チョモランマはゴミだらけで心ない登山家の酸素ボンベや食料品の空き箱等が散乱していて酷いと聞く。私の机の冷蔵庫にはビールやアイスクリームが入っている訳ではない。要冷暗所保管の点眼薬が入っているのだ。つい点眼を忘れてワザワザ台所の冷蔵庫まで帰る事を億劫がって点眼せずに休むより、パソコンの側に置いた方が気が利いているし台所の冷蔵庫を開けても気分が良いもの、というのが私の机の冷蔵庫の設置理由。

私は子供に言ってやった「お前の部屋こそチョモランマ状態じゃないか。私は机の上だけ。お前は入り口から既にチョモランマ状態だ」
言われスゴスゴと部屋へ帰る子供。ザマァー見ろ、チョモランマ状態の部屋へ帰る後ろ姿を見て簡単に片づく部屋掃除だろうが、本当のチョモランマはそんな訳にはいかないだろうと思った。しかし今の子供達の言葉遣いを知ると思わず「ウマイ!」って感心してしまう。
■1/29        慌ただしかった一日
昨夜、友人家族と浜名湖で投宿して宴席を設けた。友人の細君の全快祝い、息子の就職祝い、長男のインド洋からの無事帰還祝い、娘の出世祝い、を兼ねての宴会だった。午前中から午後にかけてお寺のお詣りを済ませて夕刻出発。

温泉に浸かって午後6時からの会食会。イタリア料理を頂いた。健康の話し、仕事が楽しいとのお話、航空関係の仕事に就く次男の夢のようなお話。うらやましい限りの幸せな家族の姿を眺めながら2時間程の宴会は終わった。部屋に戻りビールや日本酒をチビリチビリとまた飲み始めてフラフラで就床した。翌朝5時半に起床してお寺へは7時頃に帰寺した。本日は多忙な予定で息つく暇もなく一日を終えた。

夕方、お礼の電話が入り「インド洋で取れたワインを贈ります」と長男から電話が入った。「インド洋で取れたワイン?」不思議なワインみたいだが楽しみだ。昨夜の話の中で「オマーンの首都はマスカットと言うんですよ」と言われた。目を丸くして「マスカットってブドウだよな」と返事をしたが・・・インド洋と言わず中東がブドウの発祥の地と聞いた事があった。インド洋のワイン、楽しみだ。

ここのお父さん、私の友人だが一人浮いているが、かといって寂しそうでもない。楽しそうだ。彼とは昔からの友人で、大したモンでもある。縁も深く、私が彼女を紹介して電撃的に結婚した。結婚式の司会も頼まれてした。暫くしたら赤ちゃんが生まれた。祝いに出かけたら「今度土地を買う」と初っぱなに言われ二人目が出来た頃に「家を造る」と言われた。「お前気は確かか?」と尋ねた事があった。回りも心配をした。親の援助は一切無く、一人で今日まで来た。私にはとてもできない芸当を彼は独りで成し遂げ、3人の子供をチャンと成人させて昨日の宴席となった。内心、友人である問題親爺をボロンクソンに言っているのだが彼の安堵した横顔を見ると一生懸命で過ごしてきた彼の魂が顔に表れていた。おめでとう、良かったな。あと一息だ。健康に気をつけてお互いに元気でいよう。言葉には出さないけれど祈っている。
■1/26        春の微かな香り    
夕方、外出しようと表に出ました。車までの僅かな距離でしたが「ウン?」っと私の鼻先に微かな春の湿った香りがしてきました。ハタと今は1月、この香りは気まぐれかと思いましたが何となく春の臭いが境内の空気の隙間から私の鼻に届いたような気がしました。

私のお寺には多くの木々があり子供の頃からその木々が発する香りや湿り気を肌で感じておりました。春の予感と言うか木々が芽を出し花芽を何時緩めようかと、思いつき始めるその気配を何となく察知する、春のほのかな香り。これから時々そんな香りを感じ、徐々に増していく気配を実感として捉えられる時、春がお寺の境内に花を咲かせます。

相変わらず吐く息は白く朝夕は寒いです。でも春のゴトンと言う雨戸の開く音が聞こえた夜でした。
■1/25        あと数日でカレンダーが一枚消えます     
今年に入って既に一ヶ月が過ぎようとしています。1月のカレンダーとのお別れが近づいています。

本日は住職代理公休。丸チャンと受付さんとで星祭りと年賀状の整理をする。枕経にも出かける。慌ただしく一日を終えた。

昨年からズーッと毎朝毎晩腕立て伏せを各20回程行なっています。最近では苦にもならないしハァハァ息を切らずに出来るようになり「おっ、体力付いてきたな」と実感が出来るようになりました。どうもこの腕立て伏せは腕ばかりか他の筋肉や体全体への影響を与えているように思われます。食欲も増し、足腰の不快感も段々と軽減され尾籠ではありますがトイレも快適となりました。また睡眠も気持ちよく取れて朝も快調です。少し反省は食欲増進のお陰で体重が少々上り調子です。

体力には自身があったのですが加齢と共に体力の低下に自信を失い始めていたですが、少しの決心と持続で最近は快適な心身に喜びを感じております。しかし残念というか口惜しい事はこのパソコンを打っている時にも離す事が出来ない老眼鏡・・・老視というのでしょうか、これを何とかしたい。癪です。何か良い方法、有りませんかね?
■1/23        寒い一日     
寒い一日。何事も無くお寺の事務整理をする。世情は騒がしい。マンションの問題、牛肉の輸入問題、ライブドアーの進展、株式市場の脆弱、何だか一月に入って3週間しか経っていないのに・・・あぁー騒がしい。

この間、風邪ひきの受診の帰りにラーメンを食べた。「ラーメンの○将」と言う村田英雄が聞いたら喜びそうな店名で結構全国でも見るラーメン屋。

お昼もピークを過ぎた1時過ぎ、慌しさが今まで有ったという雰囲気を残こす店内。「あのーソファー掛けに座って良いですか?」っと尋ねると「何処でもどうぞー」っと元気の良い声。お水を持ってきた人に定食を尋ね「ラーメンライス」を注文した。新聞の何も無いので携帯でニュースを見ながらふと店内の壁を見ると実に妙な張り紙がして有った。

「ご飯だけ食べたい人は食べさせてあげます。但し30分皿洗いをしてもらいます」と書いてあった。この張り紙を理解しようと思うのだが上手く理解出来ない。別に無銭飲食をするつもりは無いので一人であれやこれやと思いつくのだがどちらにしても良くわからない。

お金を払ってラーメンだべるのだからタダで来るわけは無い。と言う事は無銭飲食をするつもりで散々食べ散らかして大損するより、ご飯一杯の保険で犯罪者心理を防ぎ、大損を未然に回避して皿洗いをさせる・・・・と言う目論見か?? それともラーメン一杯しか支払うことのできない親子が来てお母さんがラーメンを子供達に食べさせてそのお汁をおかずにご飯を頂き皿洗いをして空腹をしのぐ・・・?? はたまたルンペンが来て嫌がらせをされるより「ご飯一杯」を食わせて皿洗い??

色々とココのお店の「ご飯一杯」の妄想をしてしまった。真ん中の「一杯のかけそば」風の話ならウンウンとここの店の気持ちも頷ける。ルンペンへの無銭飲食をかわす積もりの「一杯のご飯」ならなんとも言えない気分となった。風呂もロクに入っていない垢だらけの手で今食べてる丼を洗われたかと思うとぞっとする。無銭飲食を防ぐ積もりの「一杯ご飯」であれば立ち直る機会を与えるのだろうが・・・複雑な気分でラーメンライスを食べた。朝から何も食べていなくて胃の中に入るラーメン。

私が子供の頃「こんにちは、私旅の物です。3日程ご飯を食べておりません、冷や飯の一杯でも」とよく小玄関に浅黒い男が尋ねてくる。母は「はい」といって台所で本当に冷や飯にメザシや漬物、梅干をホンの少々つけて私に持って行けと言う。私が恐る恐る持っていくと「ボク、有難うな」と言ってそれは美味そうに茶碗の音を立てて丼をあっと言う間に空っぽにして「ありがとうございました、いつか礼に参ります」と一言礼を言って境内を後にしていった事が多かった。

礼に来た男は一人もいないけど・・。皆立ち直ってくれているのかな??くれているのなら近くに寄ったら礼に来るのだけど・・・・最近はラーメン屋かと思うと少しはラーメンが美味しくなった。

お陰で風邪はあの日のラーメンのお陰で全快でーーす。
■1/22        逗子での法事
昨年亡くなられた方の一周忌を乞われて神奈川まで出てお勤めをさせて頂いた。雪や遅刻では申し訳なく夕方横浜にて投宿する。御殿場を過ぎた頃から猛烈な雪となり心配をしながら何とか横浜まで到着できた。しかし関東は便利だ首都高や色々なバイパスが出来上がっているので混んでいない限りスイスイで行く事が出来た。

久々にお会いする方々、お経が終わって2時間程歓談して喪主さんが「住職、時間大丈夫?」っと帰りを心配していただくほど話しに花が咲いた。今度はお盆にお願いしますと言われ車中で何時にしようかと考えながら帰寺する。初めて故人がご卒業された東大医学部の卒業写真を拝見した。戦後の東大の赤門付近には大きな建物はなく殺風景な風景でありまた、写真集は簡素にして仰々しい物でない事に驚き変らない安田講堂の雄姿がセピアとなろうとカラーであろうと印象深かった。

横横道路(横浜横須賀道路)は雪が残り逗子にはあちこち雪が多く残っていた。かつて私の青春の頃のイルカの歌「なごり雪」・・・口ずさみながら暗い東名高速を時速80キロメーターで帰る。何だか清々しい法事であった。
■1/21        なな月参りの日     
今年最初のなな月参りの縁日。多くの方のご参詣を頂いた。法話にも思わず熱が入り真剣に聞いて下さる人達の眼差しがうれしかった。来月は六波羅密の内の忍辱(にんにく)のお話をさせていただくつもり。午後より横浜へ一泊で出かける。
■1/20        元気回復      
昨日一日就床していて体も回復した。友人のお医者さんに見て貰い大きな血管注射をして頂いた。これが効いたのか午後より急快復。矢張り風邪には睡眠と栄養でしょうか。

明日は遠方にて法事を予定。横浜の方なのです。遠くなっても来て貰ってお経を上げて欲しいと言って頂いている。日帰りのつもりだが雪で車は大丈夫だろ?少し心配だ。

また明日21日は今年初めての「なな月参り」の縁日。たくさんのお詣りがあるとうれしい。
■1/19        寒い一日      
朝より体調不調。明日受診をする予定。体調不調。
■1/18        寒い一日      
朝より体調不調。午前8時ごろより再度就床する。私にご指名のご祈祷があったので10時半ごろ再び起床した。

朝、「今日のご祈祷、私しましょうか?」っと丸ちゃんが心配して言ってくれた。「いや駄目なんだよ、○○食堂の女将さんが来るんだ」「ああぁ あの○○食堂の・・」
そうなんです、お寺でよく使う山芋を美味しく調理してくださる名古屋で有名な○○山芋専門料理の女将さん。「だったら住職さんですね」と彼が言う。「うん、有り難いが体もしんどいよ」と返事をすると「きっと『何言っとりゃーす、そんなときは○○食堂に来て、山芋食べて朝鮮人参たんと飲んで元気になってチョ』って言うんでしょうね」と普段無口の丸ちゃんが言う。
私もそんな気がしていてお互い大笑いして朝の予定と段取りを住職代理に伝えて欲しい旨、言い残して就床した。

アラームが鳴り洗面を済ませ表に出ると受付の人が「○○さん、おみえです」と告げられる。龍神堂にてご祈祷を済ませると「おッ様(名古屋での住職の呼称)元気ないなーぁも?どうしとりゃーた?」と聞かれ「風邪かも知れん」と言うと待ってたとばかりに「山芋食わんといかんがね・・・・」で丸チャンの予言どおり暫らく山芋の能書を聞かされた。サッパリとした女将さんで「家へ来たら治る、元気なったら他事考える、元気をどっかで試したら」と上目使いでニッコリと笑いながら私に言う。「あんた元気ダネ」と言うとお互い大笑い。何を神聖な龍神様のお堂の中でと思いつつ本坊に帰った。

しかし、ライブドアー・・・大変。日本発金融恐慌の発信源にならなければ良いのだが。個人の方でご自身の家・屋敷全財産をあと2〜3日で失う方が沢山いる事と思う。現在の個人投資家の信用取引をしておられる方々の殆どの方はこの将棋倒しの順番に並んでいるように思える。どこかでストップはかかるのだろうが・・・この株式活況の原動力はネット関連での個人投資家であったと言うからには、実体経済の現われとしての株価ではなく個人のマネーゲームの実態で有った事を考えると回復は相当にキツイ。それにもまして証券取引所の能力の無さが全世界に与えた影響は明日明後日の今後の市場の動き一つにかかっている。しかし検察ももう少し政治的判断や経済的影響も考えて頂ければ捜査の方法如何でリスクヘッジもできたようにも思える。「出る釘はうたれる」ではなく「出る杭は、何で出たかを考えて、打つ」と諺を少し変えないといかんな。熱も出てきたので休みます。
■1/17        会議の多い日       
朝より月例会議を開催する。年末の除夜の鐘の反省。2月の星祭りの準備。境内の修理箇所、機械のメンテナンスと消耗品の報告、院内の事務手続きの再確認等の議事を進めて10時頃に終了。10時から女性世話人会が護符おりにお越し頂いた。当寺の平岩僧正にお願いをしてローストビーフを焼いて頂いたので皆さんで頂いていもらった。とても柔らかくて美味しく頂けた。

午後よりは友人の息子さん2名が遊びに来られた。色々な訪問者があり今夕の評議委員会の資料がなかなか整わなかった。

午後7時より評議委員会を開催。筆頭総代も今回は時間を割いてご出席頂き午後9時頃に散会をした。昨年来より数度にわたる会議を経て今回の会議となるので、問題の核心や、対処に渡る目処の方向性が同方向に向いている事を委員全員の意見を聞いていると理解できているので安心をする。少しの世間話をして終える。

午後11時頃就床する。明日は議事録等のチェック及び起草をしなくてはならない。少し風邪気味で、不調抜け切らぬ体調にイライラする。でも寝付きは瞬間爆睡と家族全員から言われる。有り難い・・・寝れなかったらモット体がエライ。
■1/16        竹のお話       
先日お葬式をした方お見えになられた。お家は観葉植物の会社をされて見えられる。葬儀のお話もそこそこに植物のお話に至った。私が竹で苦慮している話しをさせて頂くと竹とのお付き合いの方法を教えて頂いた。
「住職、竹を切るには時期がある。梅雨が明けた頃から盆明けぐらいまでは不思議に竹林は人を嫌う。その頃に竹を切ると良い」

「竹を枯らせるにはこんな方法がある」とか。極めつけは竹の持つパワーで雑草を枯らせてしまう方法まで伺った。それは竹が持つ「窒素分を吸収する」という特製を考えであった。竹は回りの木を枯らせてしまいドンドンと成長する。その原因は竹が回りの土の窒素分(葉等を生育させる要素)を自分一人で吸収させてしまう。

お寺の今ある竹藪場所には、以前は紅葉や桜、色々な季節を愛でる植物がいっぱいあった。キノコ、桔梗や山百合等のお花も自生していた。所が知らぬ間に竹があっちに一本こっちに一本と生え始めた事までは記憶していた。天竜寺の裏、大河内山荘辺りのあの清々しい姿を目に浮かべてはいたが別に毎日見る山ではなかったので余り気にもとめていなかった。

時間は竹を育むにそんなに必要でもなかった。こちらはお寺の事で世一杯で気が付けば桜は立ち枯れ、綺麗であった紅葉は哀れにも痩せ衰えて枯れてしまった。「木も寿命があるんだろうな」の程度にしか思っていなかったが本日のお話を伺い「なる程」と頷いてしまった。「出る釘は打たれる」ではないが「生える過ぎた竹」は「切られる」で今お寺では竹の処分に心を痛めていた。「生えた竹は、何で生えたを確かめて、切るか利用する」かを考えないとまた問題が起る。今日は良い事を聞いた。

「竹には色々と種類があるぞ、住職」と目を丸くして私に熱く語る。「多羅葉:たらよう、って知っているか?」と私に聞く。「葉書の語源にもなった木、これも竹科だ」と言う。大きな葉で傷を付けるとヤニのような物がでて文字のように現れるそうだ。「これもお寺の庭に多い竹の一種でお寺には縁の深い葉っぱだ」と深い知識と多様な経験のお話を伺った。

「竹を切るのは真夏が良い言うけれど「ヤブ蚊」と言うくらいに藪には蚊が多いし、土用丑の祭礼やお盆、施餓鬼があるので竹藪に入ったらそれこそボロボロになっちゃうな」っと言うと「良い物がある」とまた言う。「あのね、ナフタリンって知っているよね。あのドデカイ業務用のナフタリンを数個ヤブの中に吊っておくと蚊は来ない。来ても刺されるのが嫌ならオレンジの皮を腕に塗れば来ない!」。本当に自然を相手に18の頃から親に反対されてもこの道に進んだ造園家は熱く、自然と上手くやっていく術の一端を私に教えてくれた。本当に嬉しかった。お亡くなりになったお父様もキット目を細めて私との一時のお話を聞いて頂いていたと思います。


■1/15        暖かい一日
先日亡くなられて不在をしたお家へお詣りに参じさせて頂いた。申し訳ない気持ちで一杯であり居て立ってもおられなかった。チャイムを鳴らしても誰も居られないのか・・裏に回って「○○さん」っと声をかけると出てこられた。ご遺影の前に座り懇ろにお勤めをさせていると、突然の来訪にもかかわらず皆さんお出ましになって頂き後で黙ってお詣りをして頂いた。

振り向いてお詫びを申し上げ故人と私の約束の事も申し上げて再度お詫びを申し上げた。お婆さんも皆さんも良い方ばかりで私の気持ちも少し楽になった。色々な世間話をして失礼をさせて頂いた。お話をしている中で縁は異なもの味なものの感を新たにして辞去を告げ失礼をさせて頂いた。

お寺の住職の予定はたって立たない。いつ何時が私の予定なのです。この習性が時として私の思いつきと言われる物に結びつくのだろう。一日仏事に追われて一日を終えられる。それよりも枕を高くして安心して今日は休めそうだ。
■1/14        
ホンの僅かだけど日没も遅くなり日の出も早くなっている。車を走らせると「ん?少し日没が早くなったのかな?」とか、真っ暗な本堂で朝のお勤めを終えローソクを消し、数歩歩むと背を向けていた東側、本堂入り口の方が明るくなって、境内諸堂をお詣りする頃にはすっかり朝となる。確実に季節は春へと近づいている事を感じる。

夕方久し振りにパソコンショップへ息子と二人で出かける。別に必要なものはない。息子も欲しい物も無いらしい。実はこのパソコンショップは大きな電気屋さんで何でも売っている。このお店のスグそばにもう一件の大型電気店が年末にオープンした。私は新しい方には一度も行っていない。どうせ空いているだろう電気屋さんの方がゆっくり回れるからと思って出かけたらたくさんの方々がお店に居られた。以前からパソコンやソフトを見て回ったりデジカメを触ったりして新しい製品の見て回っていたが土曜の夕方にこんなに多くの人が出入りしている光景を見たのは意外であった。

景気回復とかいうが余り実感は、私は湧かないが景気が良いんでしょうたくさんの人がお店で色々な品々を求めてレジは結構待たされていました。大きなテレビには朝青龍が相撲を取りトンでもない大きな画面のパソコンがあったり高価なデジカメやオーディオが所狭しと並べられお祭り騒ぎのようでした。私達は何も買わず「ご飯ですよ」の電話でお店を後にした。この4月から携帯でテレビが見られるようになり秋からは携帯電話の番号がそのままで他の電話機会社の携帯が利用できるようになる。

競争というか工夫とか技術革新とか一層加速されるのだろうがこれらに関わっておられる方々の努力は大変なものである事は容易に想像がつく。ものを大切に使うとかお陰とかの価値はドンドンと地に落ち誰かの犠牲の上に今の繁栄が成り立つようでは長続きする社会では無くなるような気もする。
■1/13        
お寺を暫く不在にしていたので備忘録を更新できず仕舞いでいました。更新しても良いのだが恰もお寺にいる如く器用には・・・。お寺では何事もなく普段通りの毎日が過ぎてくれた事が何よりと感謝をする。ただ「住職さん、オレが死んだら宜しくな!でもまだ死ねんがその時はヨロシク」と10年も前から賀状で綴られてこられた方の葬儀を失礼した事は本当に申し訳けなかった。近所の友人に電話をしてソッと喪主さんに宜しくお伝え願った。友人もいい人で、何処にいる?何してる?根掘り葉掘り尋ねずに私の気持ちを上手く伝えて頂いた事に感謝する。
■1/5        遠来の友人来る
昨夜、予てより旧交を温めるため友人と4名で会食会を催した。風邪気味だろうか、熱も出てきた。早めに寝る事とする。かなりえらい。
■1/4        半日のお休み
半日程休み午後より境内の清掃や山の掃除、正月の飾り付け等を片付ける。丸山僧正と二人であれやこれやと手際よく済ませる。龍神様のお堂の上の瓦が傾いていたので上って調べると雪の自重が屋根を下って来る途中に意匠瓦を押して傾いた事が分った。下地を調べると余り大したことでもなさそうであったので補強をして屋根を降りる。

境内に建てられたテント内部のストーブや様々な品々を倉庫等へ移動させて大凡の片づけは終了。ふと境内を見ると秋田犬を連れた家族がお見えであった。懐かしく秋田犬を眺める。秋田犬はおとなしく私も2回程飼った事があった。ヒメという名前で人懐っこくて可愛がられていた。

思わず犬が欲しくなったが待て待てと自制する。犬は可愛い。律儀であり、うれしい事を飼い主と分かつ事が出来るから猶、可愛い。そう言えば今年は戌年。犬が恋しくなり始めた。愛犬ヒメの在りし日の姿。彼女は泰山木の下で眠り毎年六月の命日には白い花を咲かせて楽しませてくれる。
愛犬ヒメ 白い大輪を咲かせる下に眠る

■1/3        暖かい日
昨年に降った雪が本堂の屋根に積もっていたが今日の暖かさで大多数がとけて下に落ちて消えてしまった。

年末に目覚まし機能がついたラジオを求めた。到来したのは元旦の朝。夕方荷解きをして電池を入れてセットした。枕元に置いて休みながらラジオを聞くという亡父が楽しみとしていた事を今度は私が始めた。実は枕元にポケットサイズの小さなラジオがあるのだが・・・目覚ましに使いたいなと思い立って求めた。

決められた時間に希望するテレビやラジオの番組が流れる。就床して聞くのが「ラジオ深夜便」で朝はニュース番組や天気予報。耳元で「おはようございます」と言って始る朝はとても清々しい。また布団の中で色々なお話を伺っていると頭もシッカリしてくる。洗面を済ませると腕立て伏せと四股を何度となく繰り返して体も暖かくなりハァハァ言いながら衣に着替えてお詣りに出かけるのだが、朝から頭の中で四股を踏んで出てくるようになった。ドスコ〜イ、ドスコイィ!っと。
■1/2        高野山へ参詣する
雨となった正月二日目の朝。午前中お寺の用事を済ませて高野山へ参詣に出かける。何だか時間を空けずにお詣りをするので寒さを余り感じなくなった。途中西名阪道路香芝の付近で乗用車2台の事故がありお陰で2時間程の渋滞に巻き込まれた。本来なら2時頃到着なのに4時過ぎ高野山に到着。奥の院にてお詣りを済ませて灯籠堂にて親戚の病気を思い出しお札を一枚求めた。親戚は和歌山市内にお見えであり、帰路とは反対の方向への寄り道をした。

電話を近所でさせて頂きお邪魔させて頂いた。何かお土産と思ったのだが生憎のお正月三が日は何処もお店が閉まっていた。恐縮しながら玄関先で辞するつもりが上がって色々なお話をして過ごしてしまった。本当に先方を辞したのが午後9時頃。「一晩泊まっていったら」と言われてもご翌日10時より予定があるので後ろ髪引かれる思いで阪和道路和歌山インターにのり名阪、湾岸道を乗り継ぎ深夜の帰寺となった。

ガラガラでもなかった深夜の高速道路、渋滞がなければモット早くに全てが終わっていたのにと恨みがましく交通安全で帰りました。
■1/1 晴/曇        除夜の鐘と初詣
明けましておめでとうございます。今年もどうか宜しく願います。大晦日そして元旦と天気は余り良くないと言われておりましたが幸いに穏やかな年末年始をお迎えできました。年末の除夜の鐘は多くの方のご参詣を頂いた。今年から番鐘札なるものを創造して実行に移した。鐘の順番と名前を書き鐘楼堂へ貼って頂く事とし108番で終了をさせるというもの。以前から考えていた事を急に実行に移し、事前に何も告知しなかったので通常通の点鐘となった。番鐘札に名前を書き順番を呼び上げられ「○○番さん、明けましておめでとう」と世話人さんが読み上げてくれる。鐘を点き終わるとお札を順に貼る。11時45分から撞き始め新年をまたいで20分程で108の点鐘が済んでしまい500用意した鐘餅も1時までには全て無くなってしまった。
男性世話人さんの年越しそばと 女性世話人さんの年越しそば
テントで名前を書いて
順番を待つ
一番より一〇八番迄の番鐘札
一〇八番の付近 鐘餅の見本
甘酒とさーたーゆーは竹筒に入れられ出される
竹筒は下の炭で暖められて振る舞われる
元旦は早朝よりお詣りの方がお越しになられた。境内に設えられたテントの中ではお土産物や甘酒、サーターユという黒糖の温かい飲み物もお接待されて賑わいました。

夕刻友人一家がお見えになり珍しいものをお土産に頂いた。彼の息子さん娘さん達は既に立派な社会人として輝いている。羨ましいとはあの事だった。長男は海上自衛隊に所属し年末までインド洋に居られた。一日500円の危険手当てで迫り来るヘリコプター自爆テロの恐怖におののきながらの活躍を半年程されてきたという。色々と詳しい事は書けないが人知れず大変なご苦労を伺った。以前海上保安庁での不審船銃撃のお話と全く同じ心的外傷を全ての乗組員が引きずり、酷い人はシンガポールの病院で心筋梗塞の手術までされる程の過酷な任務であったそうだ。やっと日本帰ってきたら朝目○聞の「帰ってくるな」の酷い入港間際の反対運動にさらされ、相当に気分も何もかも滅入ったそうだ。
「住職、お土産を持ってきました。アラブ首長国連邦の世界で一番価値あるミネラルウオーターです」と私にお水の入ったペットボトルを二本頂いた。チョコレートも頂いた。「このミネラルウオーターが何故有名かというと砂漠では雨が降らないそうです。貴重な水が砂漠に降り浸みて地下の水脈となりそこから汲み上げられたミネラルウオーターです」と言って渡してくれた。早速飲むと「うぅーーム、美味しい」と始めて頂くお水の感想を述べた。チョコレートの缶は狭い艦内に置かれていたのだろう凹んでいたが大変嬉しかった。弟も航空自衛隊に今年の春から入隊して埼玉県に赴任予定。娘は達者な外国語を駆使して楽しそうに仕事をしている。外国の話しを楽しそうにお話ししてくれた。問題は私の同級生である親爺だ。現在パチンコ三昧で奥さんから「何とかしてください」と頼まれたが・・・ 私と同じで凝り出すとな〜 「オイ、パチンコは客の損で成り立つ商売だからいい加減にしろよ!」っと言うと「ううぅーん」という情けない返事。正月草々家族から孤立した親爺。子供もここで全員が片付き奥さんもお体が全快したのでお祝いをしようと言う事となり月末頃に二家族で会食をする事を約して別れる。明日は高野山へ参詣をさせて頂きたい。体は辛いけどお詣りをすると心が安ずる。行って安じられる場所があるだけ幸せです。