平成18年10月分
葬儀場 六波羅蜜会堂のフラッシュ(動画)を作成しました
よっかたらご覧下さい。
世話人会の皆さんでお砂踏みの準備を完了させた。今年からお手伝いをされる方、今回で何度目かの人、笑顔と工夫と相談で楽しく準備が出来ました。私(住職)が見る限り後数年したら本当に世話人会だけで全ての準備が終わってしまうような気がするようになりました。
その為には入念な準備用品の調達、今までの資料を収集分析と写真等視聴覚に訴える資料の作成、打合会の開催、そして親睦をはかる雰囲気作りを寺の責任として実行しなくてはならない。これなくして祭礼の準備をする事は無謀に思われる。
折角お手伝いをして下さる世話人さん達にお寺の様子や目的、準備の要点を簡潔に伝え、各自の役割分担をハッキリとさせないと、お手伝いをする気持ちがだんだんと離れてしまい、いざお手伝いなっても疲ればかりが出てしまうような気がする。私自身、色々な組織の中で寂しい思いや心強い思いも何度かした経験がある。
やはり意思の疎通とみんなで力を合せて行事を行ない快い満足感でお寺へお世話頂き、お寺も色々と懇親の場や慰労の気持ちで接しさせて頂き何時もお寺へ気持ちが傾いて頂ける雰囲気が双方にある事が本当に望ましい。30日に準備完了した準備の様子をアップしますのでご覧下さい。
88箇所の準備です |
工夫と記憶が大切 |
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33観音の準備風景 |
本当に皆さんよく手伝って下さいました |
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お昼ご飯は外で食べよう!
テントの中の様子 |
けんちん汁、おから、ご飯
境内にはハワイアンが流れていました |
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うららかな秋の一日 楽しく愉快に笑い声が絶えない準備風景
私、住職は大変幸せです 感謝します |
「住職、私昨日感動しました」とお寺の人が言われた。何を感動されたかというと「キツツキを見ました」と仰った。キツツキ・・・私みたいな年配のものには「ウッドペッカー」をすぐ思い浮かべる。
キツツキを見られた方に「私も見たよ」と返事をした。と言うのも時々お寺の山にキツツキが来る事がある。来るどころか本堂横の楓の木に丸いキツツキの空けた穴が残っているはずである。キツツキはクチバシを激しく動かして穴を空ける風とはチョット違い当寺のキツツキはユックリとボチボチと穴を空けていた。「おっ、キツツキ。珍しいな」と思いつつ過ごしていたら何処かへ知らぬ間に消えしまった。
三河の友人のお寺に行くと何も珍しい鳥でも出来事でもないらしい。それどころか迷惑な鳥らしい。薄暗い立派な本堂に入りお話を受けるとあちこちから陽の光が入り込み線香の煙が光に照らされ威厳ある本堂の体である。がその穴が大きすぎる。木の節が落ちて出来た節穴にしては大きすぎる。訳を尋ねるとキツツキの仕業と彼方此方を指差されて教えて下さった。
色々な小動物がその穴から建物に入り込み迷惑をしているという。何事も程度問題。時折訪れてくれる鳥や動物も、時折の来訪なら微笑ましく邪魔にならないし人の心も和ませてくれる。時々の出現・・・人の世界と全く同じ
邪魔にならない程度のお付き合いがお互いの心地よさにつながる。所でキツツキは今頃何の用で訪れたのだろうか?
今年の秋期彼岸法要にご出席いただいた方より4首の短歌を頂いた。岐阜に所用で出かけていて帰寺してメールチェックをするとその短歌が目に止まりました。ご紹介させていただきます。
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お配りした 御印
『高野槙』 |
今年のお施餓鬼の様子
秋彼岸はぼた餅でした |
嬉しかったです。お参りに来られた方に少しでも喜んで頂こうと、当寺世話人会が主催する気持ちが短歌となりました。「ご自身の気持ち」「参詣者の様子」「お寺の様子」等を詠んで頂きました事は、お寺を応援してくださる世話人さんたちにもどれだけか励みになったか早速に世話人会にこの短歌をご紹介して皆さんの喜ばれる顔が見たいものです。
穏やかな秋晴れ、麗らかな境内、漂うお線香の香り、その雰囲気に溶け込む短歌4首ありがとうございました。
午前中お葬儀をさせていただく。多くのご参列を頂く映画「折り梅」のモデルと
なられた方のご葬儀であった。会葬の方からも喪主様からも当寺「六波羅蜜会堂」の
大変なお褒めの言葉を頂いた。夕刻初七日が終わり心から『本当に心に残る何も悔いの
残らないお葬儀が出来ました。お婆ちゃんは幸せだったね』っと喪主さんご夫婦で
私にその感想を申し述べていただく。私もそのお言葉をうかがい本当に嬉しく思いました。
葬儀後、世話人会を開催する2時間ほどで来月に迫った「お砂踏み浄衣加持祈祷会」の
打ち合わせ、及び夏の大祭「きゅうり加持祈祷会の反省会」を開催させていただいた。
共に40人ほどのご出席を頂きより良い大祭準備の打ち合わせ会がなされた。
会議後は快い整理のついた気持ちで次回の資料の整理を済ませる。一日多忙で終わる。
快晴、秋晴れの良い一日。一日、印刷物校正、来客、打合せと過ぎていく。のんびりしていたが六波羅蜜会堂のパンフレットが無くなって驚いて追加を開始する。
明日は葬儀と世話人会の打合せがある。資料作りに朝から追われる。元々資料を事前に作成をしているのだが追加や手直しがあり40部弱一部14pのカラー資料を揃えた。インクリボンが全て空っぽになる。カラーの方が説得力や理解の度合いが違う。
夕刻お通夜、その後1時間強の散歩をして就床する。お疲れの一日でした。そうそう、スズメバチの巣は夕刻に業者の方が捕り来られ何事もなかったかのように元の植木に戻っていた。どちらにしても安心して作業も参詣もできる。スズメバチの事故も何事も無くよかった。不思議な話だがスズメバチの巣を私が見つけて皆さんに待避を告げているのに知らぬ顔と言うか聞こえぬ振りをしているのかスズメバチがブンブン飛んでいる側を何食わぬ顔をして通り過ぎる男性がおられた。鈍感なのか?理解でいない。注意を大声でして私の顔を見て知らぬ顔で通り過ぎゆく人、それぞれである。
延び延びになっていた庭の剪定、それも大きな金木犀の木をばっさりと剪定する。高さが4m程もあろうか足場を組みながらの剪定は大変。それでも何とか大まかに済ませて後は仕上げだけとした。
引き続きツツジの剪定をしていると「ブブブーーーー」まっしぐらにスズメバチが私めがけて飛んできた。その数数匹。境内受付けの人にも逃げろっと声をかけて遠くに離れた。恐る恐るハチの巣を見に行くと大きなツツジの中にフットボール大のハチの巣を発見した。恐ろしい物だ、毎日多くの方がお詣りをされているすぐ側に大きなハチの巣を発見した。
怒らせずにそっとして他の場所の剪定を済ませて気が付けばお昼前となっていた。サッパリした境内を眺めお昼にとなった。午後は12:30、14:00、15:00、枕経と続きました。
明日は晴れて欲しいものです。本日剪定した庭木の木々や葉っぱがあちこちに散乱しているので片づけが楽であるようにしたいです。そして剪定の続きを終えたいです。今夜、スズメバチの巣が撤去されるので気がはやります。
「折り梅」って言う映画をご存じでしょうか? 梅の枝は折れてしまってもそこからお花が咲く、、、人間枯れてしまって折れてしまう(痴呆)事があってもお花として立派に人生を全うされるのですよ、と言う映画のタイトル。
我が街を舞台として映画の収録がされ街を挙げて取り組んだ映画。そして日本中に折り梅の名前は知れ渡しました。そのお婆さんが亡くなられ当寺六波羅蜜会堂にて葬儀を上げさせていただく。
朝よりまた違った方より六波羅蜜会堂の相談を受ける。たまたま今日は時間があったので色々とお話をさせて頂く。みなさんのご関心は心を込めて最期をお送りしたい旨のお話をされておられた。
午後よりは11/3のお砂踏みの準備を進める。一日多忙・・・・
なな月参りの日、お詣りはいつもの人達がお詣りにお越し頂いた。が、お寺さんが土曜日のせいかお一人しかお越し頂けなかった。少し寂しい気分。
10月に入り夜散歩を続けている。7時頃の出発も有れば9時過ぎの出発もある。一時間半ほどの時もあれば30分くらいの時もある。平均一時間前後という所。出発時間帯により街角に臭いがある事に最近気が付いた。
夕餉時刻には彼方此方で美味しそうな臭いがする。焼き肉、焼き魚、カレーと色々だ。8時半過ぎになるとお風呂の臭いがあちこちからする。そして洗濯機の排水の臭いもし始める。10時過ぎになると人通りも少なくなる。犬の散歩の人や私のようにウォーキングの人にも会う。
『こんばんは』と声をかける方も時折ある。『今晩は』とご返事をさせて頂く。みんな健康に気を付けているんだなと思う。
所でこの夜の散歩、歩いている私が驚く事がある。真っ黒な上下の服、髪は真っ黒。後ろから見ると全く分からない姿で歩いておられる方がある。これは大変危険だという事が認知できないのでしょうか? 本当に危険だと思います。私はペットボトルの廃材で編んだ乱反射する軽めの上着を着用し、LEDの小さな乾電池を手に持ってキョロキョロして散歩している。車にはねられて痛い目をするのは真っ平だから特に気を付けている。それでも横着な運転手は後を絶たない。そこへ黒装束の散歩では・・・・理解できない身なりだ。送り出す家族もどんな思いか?少し興味もわく。
少しお寺を空けていた。体調が思わしくなく気分を入れ替えてきた。とある所で出会った人達とワイワイと過ごす。
お寺の台所周りとトイレの外構工事が全て終わりヤット元の静けさに立ちもる事ができた。8/17開始の工事であったが寒い冬がやってくる前に済んで良かった。水回り、工事のため取り崩したコンクリート面の復旧と埃の立つ事ばかりで掃除をしても追いつかない日々であった。
また工事は打合せをしながら進めるのだが業者さんと施主との思い違いや納品のご発注、施行の段取り等今回は結構気を遣った。が、出来上がってしまったらこれで良しでめでたしめでたし。
明日はなな月参り、法事や葬儀もあり一日忙しい日になりそうだ。
快晴という天気予報であったが午前中はパラパラッと軽い目の雨が降った。護符折りの婦人部の人達がお見えになって楽しそうにボランティアをされておられた。先回の大日寺旅行のデジカメ写真を皆さんに見て頂き微笑ましい様子に話しも弾みました。
午前中、印刷屋さん、午後はみどり葬祭さん、阿久比町郷土勉強会様等がお越しになられた。講演も小一時間お話をさせて頂いた。阿久比町と言えば私の親戚の出身地であるので少し詳しくお話をすると親戚の方と言う方が挨拶に来られた。世の中、狭い物です。
秋の一日、豊かな時が流れるが世間では騒々しい核実験の報道が飛び交っている。周辺での暴発があれば一挙に緊張状態となる。折角上向きになってきた日本の経済にも悪影響がなければ良いのだが・・・・
「柿食えば、鐘が鳴るなり 法隆寺」・・・なんとのどかな事。
今日は二人でお詣りを済ませた。丸山僧正がお休み。
9月初旬原因不明の腹痛が一週間程続いたが今は快調。食欲不振という一つのきっかけで減量を心がけた。約一ヶ月で3.5sほどの減量に成功した。これは食事のみでの減量効果。これに運動を加えるとモット効果があったと思う。今、運動らしき事は1時間弱の夜の散歩がそれに代わっていると思う。お寺に帰ると汗が体中から出てそのままお風呂へ行く。
初めのうちはお付き合いも大切と思い「外食時はOK」でお付き合いを程々にしていた。ここに来てやはり例外と言う特典も撤廃しようと思う。最初の乾杯からウーロン茶と決めれば終始お茶で済むはず。でも・・・寂しい気分にもなる。チョイと一杯のつもりで飲んで・・・初めから飲まないように心がけよう。
メタボリックシンドローム保持者である私、外すに外されないチャンピオンベルトも心掛け次第で段々と楽になってきた。この間、面白い話を伺った。世の中天使と悪魔はどんな場合でも天使が悪魔にまけるのが世の習い。悪魔の甘い囁きに乗らないためには天使の言う事を良く守る事と仰っておられた方がお見えであった。なるほどなー。お酒、甘いお菓子、脂っこい物、お口に入ったらとろけるようなお菓子、誘惑だらけ。もう一口、お腹一杯にと言う悪魔の囁きに耳を貸さずに、天使の言葉に耳を傾けると健康で長生きできるのだろう。
さてさて、秋の爽やかな気分をこの先いつまでも保持できるように健康に心掛けよう。心からそんなふうに感じます。
今秋、ご結婚をされる若い二人。とあるご縁で私がご紹介をさせて頂いたお二人。お礼をしたいとお二人が私ども夫婦をご招待くださった。
夕暮れに暮れ染まる頃、お迎えに来てくださった。若々しいお二人、お二人とも慎ましく好感の持てる若夫婦であった。会食前に新居も見せてくださった。新郎がお金をコツコツ貯めて求めたお家。胸熱くなった。
私は何事も無い素振りであったが内心、心が熱くなった。人生を共にする方と過ごすことを目的に貯められたお金が、形となった姿を見ると本当に嬉しかった。
私事になるが、私も若い頃から将来のことをなんとなく夢見て積み金をしていた。近い将来『結婚』と言う自分の人生を共に過ごす伴侶を得るためには色々と心がける事が必要と様々な事に注意を払った。いま若い二人を眺め本当に心から「おめでとう」と言葉を述べたい。
結婚式には祝辞を頼まれている。わたしは法衣を着ているとペラペラとお話ができ、話しをしていると自分の話に惚れてしまう。だが・・・・逆に背広ネクタイ姿だと滅茶苦茶になってしまい何度も恥を書いた事がある。どうしよう??ネクタイ姿で出席しようか?衣姿で出席しようか?? 衣姿で滅茶苦茶の話だったら・・・考えただけでもゾッとする。一曲カラオケ歌ってお仕舞いにしようかと思うがどうも今回の成り行きだと相当早めの祝辞になりそうな予感もする。どうしよう??
東京にて所用を済ませ、横浜の葬儀に出席する。新横浜でレンタカーを借りて往復する。レンタカーやさんの女の子が「ガソリンは満タン返しでお願いします」という。午後12時頃借りて午後5時に返却する。ガソリンを入れずにキロ数でガソリン代を換算もしますと言っておられたので換算して貰うと「210円です」という。ビッツクラスの車はやはり燃費が良いんだろう。
新幹線で浜松あたりを走っていると電話が鳴る。友人からで「一杯飲もう」と言う電話。断る訳もなく名古屋駅で待ち合わせをする。大きなショルダーとハンドバックを持つ私。タクシーで一杯飲む場所まで走る車中で昨日の通り魔の話をする。カウンターにて乾杯をして20分程経ったのか?食事に行こうと席を立つと私のハンドバックが無い事に気が付いた。重いショルダーバックは隣の席にあるのだが・・・「新幹線の中か?」と友人が言う。「イヤ違う、ハンドバックのひったくりに注意していたので・・・」
一発で酔いも醒めオロオロする私。店の人もオロオロし始めた。「そうだ、あのタクシーの中かも知れない」「どんなタクシーか覚えているか?」「ワンちゃんのマークのタクシーだ」「あのタクシーは色々あるぞ」・・・・なんて錯綜する会話だけが独り歩きする。お店の人も「タクシーの領収証貰った?」とか「運転手の名前、覚えている?」とか、何も答えられなかったがタクシーの行燈だけ覚えていた。それとお釣りの100円をあげた事だけ覚えていた。
ワンちゃんマークのタクシー電話番号を104で調べて頂き早速電話をした。『乗車場所と下車場所、チップの話し』を事細かに告げる。『ハイハイ、一度無線で流します』っと落ち着いた声。『もうアカン。あの鞄にはETCやクレジットカード、タクシーチケット、お財布、免許証・・・色々な物が入っているんだ』と友人に零す。友人は『お前にして珍しいな。何時もチャンとしているのに・・・』。自分で言うのもなんだがあのカバンを持ち始めて30年程になるが一度も置き忘れはした事がない。どこへ行っても必ず自分の部屋を出る時は再々再確認して出るようにしている。宿泊する時も部屋の中では全ての物の置き場所を決めている。忘れて探すのがイヤだから・・・でも今回は大失敗した。としょげている所へ電話が鳴った。
運転手さんが、忘れ物を私たちを降ろした所へ持ってきて下さると言う電話であった。本当にホッとした。運転手さんが私のカバンを手渡しして頂いた時は本当にホッとした。世知辛いこの世の中、本当に有り難かったです。もちろん、運転手さんにはお礼をさせて頂きました。固辞する運転手さんにお礼を申し上げて車を見送りました。
旅は家に帰るまでが旅先という言葉を改めて思い知りました。帰寺したは午後10時頃でした。あぁーー疲れました。
■10/10 |
火 |
晴れ |
金木犀の香り漂う穏やかな一日 |
ご法事があった。私の仲人のお姉さんの一周忌をお寺で勤めさせて頂いた。お詣りが終わり場所をかえてお茶を飲もうと私が見晴らしの良い座敷へと案内する。そこには昭和41年に植えた大きな金木犀が芳香を放って何とも言えない穏やかさが漂っている。
「良い香りだね」と皆さんから褒めて頂く。お寺の中で一番好きな場所。鳥がさえずりむせぶような木犀の芳香、穏やかな陽の光と暖かい番茶の舌ざわり、秋の一日は私へもご参詣の方へも等しく気持ちをゆたかな想いにさせてくれた。
しかし何故か外は騒がしい。何がどう騒がしいというと、空には低空でヘリコプターが数機バタバタと飛んでいる。「何かあったのかなー?」なんて悠長な事を言いながら「はぁ?」とお互いに耳に手を当てないと相手の話も聞こえない。折角のお話も途中切れ切れで辞去された仲人さんを玄関まで見送った。
午後3時頃だったか『さっき近所で通り魔があり中学生の子がカッターナイフで切られたそうだよ』っと家内が私に告げた。この日、友人のあるお寺のご母堂様の葬儀の一報が入り諸準備をして色々と指示をしている最中の家内の話。驚きました。金木犀の香りを楽しんで穏やかに過ごしている数百b隣では通り魔とは・・・・絶句であった。
新幹線の駅まで送って頂く車中よりお寺へ電話をして、山中の倉庫を点検して不審者の有無を調査し、防犯用赤外線監視装置も普段より早くにONにするよう指示をした。この国はどうなってしまったんだろうか? 教育の再生も大切だが格差社会が出来上がってしまった今の世の中、来年の商法改正で益々格差社会は広がり、多くの低所得者と限られた富裕層とにハッキリと峻別されるかも知れない。都市ではスラム化が始まり失業者が溢れると昨日の新幹線の雑誌にも書いてあった。そりゃそうかも知れない。社会構造の大変革はこれから始まり調整を加えながら落ち着き先を見つけるのだろう。この先、何とか良い国であって欲しい。
段々と朝夕が涼しくなってくる。陽の昇るのも遅くなり、寒さも徐々に日々の気温と寒暖の差が激しくなってきた。
今日も忙しくお詣りをさせ頂いた。お昼前に川崎から知り合いが訪ねてきてくれた。ある所で知り合った方で写真等をメールで送って頂いて共通の趣味も同じで時を忘れてお話をさせて頂いく。
明日も今日と同じくらいの忙しさが待っている。10月10日・・・・昔の体育の日、東京オリンピック開催を記念しての祝日である。連休が続き、10/10を迎えると、昔人間の私は曜日と日にちを勘違いしてしまう。想像だが、私と同じように10/10を祝日と勘違いされて法事をお願いしたのか?、はたまたリタイヤ組でそれ程忙しくないのか?・・・・明日も忙しくさせていただく。
この間、高野山からの帰寺する車の中から眺めた仲秋の名月は綺麗でした。お一つ月見団子を召し上がれ。
忙しく一日を終えた。備忘録更新を後でするつもりが時間だけあっと言う間に過ぎてしまった。
10/6高野山へお詣りに出掛けた。お山の上は既に秋が深まりつつあり気温も11℃、伽藍は既に紅葉が始まっていた。玉川の水も冷たくなりジッと手を入れておられなくなっていた。参詣の人は多く中でも外国人の方々が多い。珍しそうに彼方此方を眺めておられた。
御廟の前はたくさんの団体参詣の人の波、あと数ヶ月もすると落ち着くであろう。色々と思う事、考える事を為しながらの読経を済ませて先師墓へ墓参をする。
本日はご法事が多く一日忙しくしていた。昨年より本堂、持仏の全ての施設及び、控え室はイス席に衣替えした。会食等があると机の増減が出て調整に時間がない場合はとても気がもめる。トイレも何もかもイス席なったので皆さんからのご評価はとても良いが・・・何となく畳の上に座る良さも消えて少し寂しい気もする。
携帯電話の表示が消えたり表示したりで不便をしております。古い携帯電話なのですが新たな携帯電話の操作を覚える意欲が無い。覚えたつもりで忘れる事が多い昨今、徒労に終わるかも知れない努力は意欲を削いでしまう。何とか修理するかネットで求めて延命措置をとりながら使い慣れた携帯を遣い使い続けるか、悩みは悩みのためにあるんですね。
新しがり屋の自分、新しいお品が出ると興味が湧く。便利に利用するとモット便利さを兼ね備えた能力の高い同じような物が出ると、ステップアップしたスキルが記憶力の高い壁により拒否されると意欲自体が衰退してしまう。難しいですね、記憶の更新は・・・。
朝の内、雨で人出が気になったが例年のお運びを頂き有り難かった。本日の様子です。
今年で何度目になるのか? 姫路大日寺とエクシブ鳴門の一泊二日の懇親旅行より帰寺する。今回の行程は高徳院→名神→大日寺→エクシブ鳴門→バルトの楽園→ドイツ村→讃岐うどん屋→タコせんべいの里→農産物センター→高徳院の順であった。大阪付近まで雨に降られたがその他は青空の下、暑いくらいの好天気に恵まれました。
大日寺住職さんよりありがたいお話を頂き、バルトの楽園では日本とドイツの友好の足跡を訪ね、讃岐うどんの名物店で美味しい讃岐うどんを頂きました。皆さん、大満足の懇親旅行が今年もできましたのでご覧下さい。
お昼のおにぎりを作ります |
大日寺到着 |
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瀬戸内が一望です |
弟の細君が御朱印帳を書きます |
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本堂にてお詣り |
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本堂でのご住職(弟の義父) |
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本命、エクシブ鳴門到着! |
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隣近所のお部屋の人と乾杯 |
懇親会会場 |
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例によって
女性は「北国の春」 |
例によって
男性は「青い山脈」 |
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朝食会場での風景 |
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(本当はゴルフなんだよな・・・・・) |
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「バルトの楽園」ロケ地訪問
↓入り口の様子 酒保(売店)↓ |
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パン焼き釜 |
捕虜収容所 |
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パン工場 |
紫の袴の人は
ご案内して頂いた女性
(人形ではありません) |
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洗面所・・・・どっかのドライブインにも
似たような洗面所がありましたよと
どなたかが教えてくれました |
大浴場 |
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ドイツ村の建物
二階は見応えがありました |
レンコンスープくうかい |
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途中何時も立ち寄るお魚屋さんにて |
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昨夜、インターネットで色々とニュースを見ていた。ある見出しを見て目が点になってしまった。『給食費払わぬ親たち お金あっても「頼んだ覚えない」』の見出し。実に驚いた。滞納する保護者の理由としては『「義務教育だから払いたくない」「給食を出せと頼んだ覚えはない!」』と公然と言う親、「給食を止められるものなら止めてみろ!」などとすごむ保護者もいるという。恐ろしい時代になってきた。
私の少し前の時代には「欠食児童」という懐かしい言葉があった。貧しくてお昼の弁当や朝御飯を抜いてくる子供を指したらしい。事実、私の中学時代には本当にお弁当を持参できずに来校する子もいた。先生が弁当の蓋に半分ご飯とおかずを載せて与えたり、給食の時間になると外に行って水を飲んで遊んでいた友もいた。私の場合は欠食した事はなくても他の事情で欠食した事があった。弁当を忘れた時だ。
人がご飯を食べている時に自分のご飯がない程惨めな事はない。戦後の日本は敗戦によって貧しかった。敗戦を知らない私たちの年代でも児童の栄養補助の恩恵にあずかり、米軍支給であっただろう脱脂粉乳や忘れる事のできないお粗末な牛乳を学校で強制的に飲まされた。
確かに私たちの小中学校は義務教育であり、給食を請願して始めて記憶も覚えはない。記事には「高級外車を乗り回し、携帯電話に何万円も払っているのに、給食費は払わない保護者がいる」。文部科学省にはこんな報告が相次いで寄せられている。外車に乗るような世帯だけではない。国や自治体は所得により生活保護に給食費分を上乗せして支給しているが、それでも給食費を滞納する保護者も多いという。・・・・何を考えているのだろうか??
新政権を担う新総理は「教育の建直し」を掲げられた。誰でも良いとは言えないが、強いリーダーシップを発揮して、この国の教育の再生をはたして欲しい物だ。この間、テレビを見ていたら今の日本人に書けている一つが「コミニュケーション不足」だと言う。うまく社会を成り立たさせる必須はお互いの意思の疎通が大切に思える。
食い逃げを家族揃って平気で卒業式で給食費を踏み倒し、恥ずかしくもなく『仰げば尊し』は『蛍の光』を歌う気持ちが知れない。
歌詞には『仰げば尊し わが師の恩、教えの庭にも はや いくとせおもえば いと疾し
このとし月いまこそ わかれめ いざさらば 互いに むつみし 日ごろの恩わかるる後にも やよ わするな 身をたて 名をあげ やよはげめよいまこそ わかれめ いざさらば』
「身を立て 名をあげ 矢よ励めよ」は私が好きなこの歌詞のフレーズ・・・こんな輩達に歌って欲しくない。
今日は色々と予定があり忙しくさせて頂いた。
お昼12時にお寺から少し離れた公営墓地で納骨開眼があった。午前中の法事が終わって直ぐに車を走らせたが、道路は酷く混んでいた。日曜なのにと思いつつ墓苑へ向う。信号を右折すると又酷い渋滞。幹線道路ではないのだが車屋さんやファーストフードが軒を並べている。
「もう少し行くとハンバーガー屋さんがありお昼時だから混んでいるか?」と思いきや車道にまで車を整理するガードマンが数名立っている。よく見れば懐かしい「吉野家の牛丼」に列ぶ人の波が見えた。車も大渋滞だが入り口付近から数十人の人が外で列んでいる。驚いてソロソロと脇を通りその凄さに驚く。
お陰でお約束の時間5分前の到着となってしまった。無事お詣りも済ませ車に乗り帰寺する。もう吉野家の事を忘れて同じ道を走るとモットたくさんの人と車が列んでいるのを見ると「何があっても人に愛される事が一番だな」と想いを新たにしてお寺に帰った。吉牛を食べに行こうかな・・
私が二十歳ぐらいに名古屋の八事にその店『吉野屋』ができ、弟に連れられて初めて頂いた吉牛。『ここの牛丼は安くて早くてうまいんだ』と弟が言う。美味しかった覚えしかない。知らぬ間に彼方此方にたくさんできて私もよく頂いたものです。吉野屋さん、これからも頑張ってくださいね。