2019.09.13
住職備忘録
勤続23年修行僧侶への洛陽・西安慰労旅行
高徳院へ勤続23年間僧侶の修行してくださった方へお寺の芳志として「西安・洛陽」の仏教遺跡を拝観する小旅行に二人で出かけてきました。大変疲れましたが実りある遺跡巡りに出会い、特に洛陽の景色は大唐の都の面影深く私に脳裏に残りました。
龍門石窟(りゅうもんせっくつ)は奈良東大寺大仏の原型と説明を受けました。盧遮那仏ですが大変な迫力と、日本の大仏にそっくりでした。1300年前の中国は今よりも大文明の世界中心都市であり多くの文化文明を求めて世界中から勉学に来られた、今の原状とは真反対の国であったとか、司馬遼太郎氏のお話でした。皇帝は給費を与え住居も困らぬようして多くの人々を大唐の都、長安へと誘ったそうです。その長安の避寒の地が「洛陽」であったそうです。皇帝が長安から洛陽を往復するだけで米相場が乱高下をするほどの規模だったそうです。多くの日本の遣唐使船で訪れた遣唐使は大文明の地の手前にある洛陽を眺め、龍門石窟の規模と、国を鎮め律令の文化的風土を日本の基とすべく、私見ですが東大寺大仏殿を勧め、聖武天皇は国家事業を勧め、桓武帝の時代に竣工を見たのでしょうか? 兎も角、弘法大師は東大寺を遣唐使帰国後暫くして別当(住職)に任ぜられています。伝説めいた逸話の持ち主である我々の祖師、空海が訪れたであろう洛陽は「空海の風景」の中に謳われる長安の穏やかな空気が満ち溢れていました。
この川は「伊川」と言い両岸に石窟がたくさん彫られており、私たちの目にする仁王像や毘沙門天等お馴染みの仏さまが迎えていただきました。急な階段を上ると目の前に石仏が現れます。
一山の岩を掘り進んで石仏を彫られました。一番手前の仏さまは仁王さんと思います。
同じく洛陽にある白馬寺。インドからはるばる運ばれた経典が翻訳されたお寺であります。白い馬に膨大な経典を天竺から運ばれた由緒から白馬寺と命名された言われます。長安へ急ぐ空海はこの寺を訪れたと言います。
経典を天竺から運んだ白い馬の原型だそうです。
白馬寺の空海記念碑。日本から贈られて銅像だそうです。
関羽の首が祀られてる「関林(かんりん)」
財運最強の神と中国では崇められ日本でも神戸や横浜等の
中華街等に祀られているそうです。
秦の始皇帝 兵馬俑です 日中友好時代に全額日本の費用で以下の設備がなされたとか
今から20年前に訪れており説明を受けました。
死後の世界は土の下に存在をすると信じられ不自由をしないように馬車や兵隊等がたくさん制作され30年程前に近隣の農家の方が発見されたそうです。今回は彫られたおじいさんにお会いしました。正夢でしょうか? 一度夢の中で発見者のお爺さんとお爺さんのお宅を見た覚えがありました。名物のザクロを5元で求めて甘酸っぱい味覚を食べながら夢か幻かと不思議に感じました。