2019.10.08
住職備忘録
平成元年 藤田学園建学25周年 記念安置の宝冠
今から31年前、藤田学園は開学25年目を迎え大学病院玄関及び新たな教育棟、残響可変の2000人ホールにて華やかに記念の式典は行われました。私は34歳、創立者故藤田啓介氏は私を本当に大切に扱って頂きました。若い頃からの私が目指す人であり、巨人の歩幅で歩まれる藤田先生を大変に尊敬をしておりました。藤田医科大学として現在有名となっておりますが、桶狭間病院開設から多岐に渡る医科系専門学校開設を続け、その中でも医学部の新設は最困難で、孤軍奮闘、刻苦勉励粉骨砕身する藤田先生の行動力は私の勇気でありありました。医学部を創設するには教育の大学病院を運営する必要であり医師教育の教授陣、学校組織の創設、莫大な機器の設置、複雑な病院運営、医学部開設後の病院の治療成績や学術実績の積み上げ等、医学部開設許可は最難関であった事は後年、出版される藤田啓介氏著「私立大学我を創りき」にその克明な紹介がある。
お寺も学校も永続性が求められ新規に学校やお寺、神社を開設するには安定した財務内容(借財が無い)が開設時の絶対条件であり全てを揃えて、認可申請の断る理由のない条件までを揃えて医学部認可を得た事、藤田先生独力で得た稀有の出来事と思います。そんな折、住職である私も先生を倣い深夜未明、寸暇を惜しんでお寺のために奮闘をしていました。
弱冠32歳の私は昭和62年9月高徳院山門を竣工させるにあたり、藤田啓介先生に高徳院山門名命名を依頼し、先生からの泉のように湧き出て来る直観力溢れる三つの山門名を頂き「金剛生門」と高徳院山門は決定され同年11月8日、竣工除幕式は私の人生で幾つかの輝きの一日でもありました。「活茶壽門」「遍照金剛生門」「金剛生門」と三種の山門名から選ぶことを私に告げ現在の「金剛生門」と言う山門名が決定されました。山門には山門名を記した「扁額」が必要となり本山に揮毫を依頼する運びとなりました。悲しいく情けない事は高野山管長や、出身寺院はこの慶事にきわめて冷淡で、揮毫の労をとって、本山との折衝を準備した高僧も激昂する事もあり、逆に数年後には藤田啓介先生からその事情を側聞されたのか?「私を利用してくれ」と言われた折は心強かった思いです。
平成元年ご両親の加護と仏典からの冥助を感じて人の脳の断面を華鬘として無限の叡智を引出す教育と、東大寺三月堂 不空羂索観音の万人への慈悲の思いを大日如来に託した宝冠を大学病院正面玄関に安置をしました。平成2年4月22日高徳院山門に東大寺仁王像を模した今後力士像は藤田啓介先生によって除幕と開眼の慶事を迎えました。その折、仁王像の修復は少なくも100年後の修復を考え遥かな先と出来事として、仁王像解体の中へ「先祖から子孫へ伝える文章」を木簡として納めました。残念ながら昨年平成30年6月、仁王像を修復する事となり件の木簡は経年劣化を被りながらも仁王像体内より藤田啓介氏直筆の木簡も見事に出てまいりました。
本日、大学病院立替に伴う記念安置の宝冠と華鬘は「藤田啓介祈念館」へ新たにお祀りされることとなりました。藤田学園本部法人住所記載の木簡は現法人理事長へお手渡しをしました。学園長、理事長、学長、各同窓会長は私から渡された木簡を一同で開封して中を検めたそうです。
大学を辞去する私に「住職、有難うございました」と学園長先生の挨拶を頂き、同窓会会長からは年末の学報へ記載したいと申し出がありました。一部の内容を伺いましたし画像も頂きましたが、私がここで学園に先んじて公表する事は控えます。来春岡崎市に藤田医科大学の分院が400床でスタートするそうです。四半世紀ほど経て思わぬ創立者からのメッセージは、新たな大病院への激励のメッセージとなれば創立者も本望であったと思います。以下に当日私が読み上げた祈願文を載せます。長文ですが本当の事です。
学校法人藤田学園 創立者発願寄進 華鬘奉納宝冠大日如来開眼安置祈願文
天朗らかなる時んば 筆含み人感ずる時んば書を垂れる。鼕々たる鼓の響きは、生死の夢を驚す便り、秋冷の落葉紛々たる寂寞の景色は忘我を悟らせ、常夜の眠り本日覚めるものとなる。 嘗て平成元年十月十日、藤田学園創立者 故藤田 啓介氏 開学二十五年星霜を閲して建学への意を新たに、また創立時からの父母への限りなき献身への感謝の言葉「わが母と亡き父が守り賜いし我が一生」、ご自身の佛菩薩による導きと刻苦勉励粉骨砕身の暁の微意を、金銀 瑠璃 瑪瑙 琥珀 真珠の類を以って荘厳される宝冠内に東大寺三月堂不空羂索観音の意に基ずく大日如来の尊像を造仏致し、仏菩薩の不滅の叡知を象徴する華鬘奉納を執り行う。同日晩餐には英国女王陛下近衛軍楽隊によりエルガー作曲「威風堂々」の音は滔々として学内外に響き渡り弥栄を祝う大祝宴会に、同席の私は深く、記憶するところなり。
それ以れば、此の地に医療の学舎を草創致して星霜を閌するに平成元年、開学四半世紀を迎え、年々にして愈々隆々たり洋々たり、歳々にして学術を重ねる事 洵に、深々たり晧々たり。しかりと言えども学園興隆は一日にあらず。建学の理念 独創一理の精神の下、志を一つに、就中、創立者 故藤田啓介氏を始めとし、また創立者他界後、爾来学園関係者一同刻苦勉励粉骨砕身並びに各員奮励努力の賜なり。
平安時代、日本国最初の私学(現綜芸種智院大学)創立者、弘法大師空海の開学宣言書に、物、社会、組織の興廃は必ず人により行われ、人の生き様や昇沈は、定めて教育に、道に、心根にありと、綜藝種智院式並序に謳う所に説き賜えり。蓋し、仏菩薩の教えは慈悲を基とし、他への救済を主とする。信仰は人の心根を以ってその始めと為し、世の存在は人の正しき心根を以ってその資となり糧となす。此度の法会は、平成元年来、藤田学園大学病院正面玄関にて創立者の 無限の慈悲の光を万人に施す思いの大日如来並びに華鬘は本日をもって藤田学園 独創一理祈念館にて奉安安置を改めて行う吉辰を卜すなり。宿縁善根機熟しての証、奉賛を結成して開学以来の菩提寺を招請し自他平等の醍醐の三昧の嘉縁を結ばせしめ、ここに荘厳され彩られた宝冠内に、改めて大日如来の尊容の開眼法要を執行、併せて仏菩薩の不滅の叡智を荘厳する華鬘奉納を執り行う。此に普く修善の発心を照らす事、日の光耀に同じく、速に煩悩の熱を除く事、恰も月の清涼なるが如し。これに依って、施主、故 藤田 靖、故藤田 ヨリヱ、並びに学校法人藤田学園創立者 故藤田 啓介氏 至心発願を以って尊像造仏の功、既に成就し畢んぬ。本日開眼法要の法莚を改めて開き眼前の尊容威厳の実境に対し、生仏一致の定門に入りて、互に自在の風儀を移す。神仏加護の効験を現世に表し、施主の願祈を達する事、掌を指すが如し。
創立者曰く「わが母と亡き父が守り賜いし我が一生」「一生即ち金剛生 金剛生は菩提生」 願わくば、学園創立者及び藤田学園関係者の芳志を仏天に通じせしめ、諸仏諸菩薩善神による学校法人藤田学園への加護を垂れ賜わん事を。よって金磬を鳴して祈願する事如左
一、奉為藤田学園大日如来威光倍増法楽也
一、奉為高祖弘法大師並に三国伝導大阿闍梨倍増法楽也
一、奉為藤田学園安穏 医学 学術興隆 也
一、奉為藤田学園各学部 学業円満成就也
維時 令和元年十月八日
香華山 高徳院 住職 博英 敬白