2020.12.01

住職備忘録

藤田医科大学慰霊祭

 昭和50年頃であろうか名古屋保健衛生大学医学部(現藤田医科大学)が創設された数年後、高徳院で解剖体慰霊祭が毎年行われるようになった。ご承知の通りお医者になるには医学部のある大学に合格、入学後に人体解剖学が課せられ解剖学実習を行い進級して卒業。その後に国家試験を合格して初めてお医者の第一歩を踏み出す、外すに外せない解剖学実習。私もこの当時から供養の読経をさせて頂いているのでその大変さは痛々しい程に大変であった。この頃、医学教育に必要な実習をさせて頂くご遺体が極端に不足し、また「身体髪膚此れ父母に受ける、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と解剖そのものに抵抗感が文化遺伝として色濃く残り、献体する理解が殆どなされていなかった。

 ではそれ以前の医学解剖は隠れるように京都所司代に願い出た山脇東洋を出発とし、最近の篤志家の出現を待たなくてはならない時節であった。医学部の教職員は奔走して実習に間に合わせる努力をなされ、高徳院はその篤志のご遺体を懇ろに供養するように、藤田医科大学創立者藤田啓介氏及び学園より依頼を受けて一体一体懇ろに戒名を授け読経を行ってきた歴史があります。

 藤田医科大学医学部開学後10年も過ぎた頃、医学部教育で一度だけ履修をすればよい解剖実習を3度も行っていた。創立者の思いは確か、2年生の前期と後期に二度、6年生にもう一度の解剖実習を命じ教職員学生は奔走し、学生は24時間学校に居るくらいの勉強を強いられていた。「黙とうに始まり黙とうに終わる」「人脂に染まった解剖のノート」「実習が終わっても勉強は終わらない、終わったら次の実習」と本当に6年間で三度も解剖実習をさせて頂いた大学は多分、藤田医科大学だけであったでしょう。他に類例のないカリキュラムであったと思います。門外漢の私がこの事を知っているのは医学部教学局の方々がご遺体を丁重に納棺され高徳院で読経を実施されその大変さを肌で私は感じていた。「艱難辛苦汝を玉にする」 藤田医科大学も大きな講堂が出来上がり供養祭は場所を移し、現在も丁寧な読経供養が毎年なされており本日もコロナ下環境の中、配慮の行き届いた中で読経がなされた。

14:00 合掌と共に慰霊法要は開始となる

藤田医科大学々長式辞、同医学部学生代表式辞、不老会式辞、続いて高徳院導師回向文と続く

ご献体いただいたご芳名をお一人お一人お読みする。

系統解剖体、病理解剖体、法医解剖体と大変注意深く慎重にご芳名を読み上げる。

大変緊張が必要となる。

この慰霊祭を私は50年近く行わせて頂き以前は、年間最多時には4回も行わせて頂いた。

 

 下の写真は、本日茶菓子として出されたお菓子です。ほのぼのとしたお菓子ですが、ご献体数は全部で2657霊位、48年間読経を行ってきた勘定となります。

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