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名古屋の天気予報
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平成22年9月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■ 9/30 曇り     
今月九月も今日で終わり。酷暑で体が悲鳴をあげマスコミでも連日報道された暑く辛かった夏の空気もお彼岸を境にガラリと入れ替わった。午前中は色々と予定がありましたが久しぶりに知り合いのお医者さんへ行きました。時々会食をするのですが「体重減りませんね・・」半ばあきらめ顔で診察を終えました。午後からは役所の仕事で長久手町へ出かけました。皆さん長久手町と言う場所をご存じないかもしれませんが愛知万博が行われた場所と言えば「あそこか」と思われるでしょうね。

あの町は愛知万博が行われて以来、町は一変して新しい施設が出来上がり町の施設も色々な名称があり、近隣の市町村とは雲泥の施設が多くあります。そのどこかの施設へ行くことになり出かけました。当方の会の事務局へ電話してその施設の電話番号を伺いカーナビに入れて出発。到着すれば似たような名前の会場に着いて場所違いが判明。再度電話で正式な会場を伺って走り到着と同時に「まだですか?」と出席の督促の電話がかかり受話器を持つ手の方角に電話する方を見つけました。「せっかく早く到着したのに遅刻か」と思いつつ走って部会に出席をしましたが既に会議は始まっていて少々恥ずかしかったです。

その後、お寺に帰り納骨の準備をなして早めに就床をしました。明日は高野山に色々と所用があり遅くなります。毎日色々な用があります。生きている証拠です。
■ 9/27 曇/雨     
檀家さんで元総代さん。私の父の葬儀委員長で山門建設委員長の奥様がお亡くなりになられた。私が26歳の時に父は他界しそれ以来からズーーット我が子のように心配も心配りも色々と心にかけて下さった奥様がお亡くなりになられた。今年のお盆には元気なお声も聞くことが出来て知り合いの運転手さんも一緒にお仏壇に手を合わせてお詣りをさせていただいた。私が大変お世話になったお一人でもある方の他界に、

秋の夕暮れと共に寂しさひとしおであります。明日は仮通夜、明後日はお通夜、と予定が続きます。今月もあと僅かで10月を迎えますが10/6まで全て予定が入っており、気ままな時間を過ごすことができません。お会いする人に漏れなく「お互いに身体には気をつけましょうね」と、合い言葉のように挨拶する自分に齢をかさねた己に気が付く秋落日の今日この頃です。哀悼。
■ 9/25 晴れ    清々しい一日 
気持ちの良い秋晴れの一日でした。テレビを点けるのもネットニュースを見るのも嫌になる隣国の横暴ぶりには理解に苦しむ。物事を整理して解決しようとする姿さえ見いだすことの出来ない姿勢に、嫌悪感を感じる。国防と抑止力は、危険きわまりない話しで軍縮とか新しい核軍縮が叫ばれるわりに、全く相矛盾する世界秩序は戦後生まれの私には頭で整理が就かない。

思考や紛糾を整理する時に、感情で整理することはそもそも無理があり、そこで登場するのが代理人たる弁護士さんであり医者でもあると思います。感情や肉親を離れて理性的に物事や困り事を整理して判断を下しそれに従うことの大切さは、夥しい人類の叡智の賜であることは素晴らしい事だと思います。勝手し放題をすれば世間は力や声の大きい社会となり、占い師や詐欺師の一人舞台となります。

国連や国際連盟が幾多の反省や膨大な犠牲の上から創立された経緯を振り返り、またオリンピックや様々な人類の融和を図った催しの中で地球と言う乗り物の中の一蓮托生を思って事の落ち着きを見たい物です。全人類の中心にそのまっただ中に、自分たちのみが華と咲き誇り、東西南北の隣接する人々を夷狄とする自己中心的、伝統的、思いは全ての慈善の前には声も上げることが出来ないのでしょうか?本当に残念です。
■ 9/24    肌寒い一日 
肌寒く感じた一日。一昨日は暑くてお寺の部屋もボカボカの暑苦しい陽気であったのに今日はウソのような涼しすぎる気候変動に大変驚かされた。

しかし平和ボケで今日まで来たこの日本国。アメリカの抑止力と駐留軍のお陰で戦後、骨抜き状況で芸能ニュースが耳目を集めて世界で行われてきた、えげつない権力志向の現実をマスコミも政治家も訴えないで「高速道路無料化」と言う耳障りの良い言葉や、でたらめの年金資金の管理等・・今此所にいたって熱烈歓迎の友好交誼を看板に、何の躊躇いもなく脱ぎ捨てて牙を剥き出した眠れる獅子が大暴れしそうな様子となってきた。自国の毒餃子の折りの我が国への罵倒も責任転嫁も忘れるどころか、謝罪も改善も補償も眼中になく新たな恫喝に果たしてこの国は毅然と物を申し、いざとなったら国際社会と一丸となって有利にこの国を幸い多き国へと導くことが出来るのだろうか?神風を吹かせる英雄の登場を祈るばかりだ。
■9/23 曇/雨         彼岸法要
お彼岸を迎えた。春のお彼岸からあっという間の秋のお彼岸。昨年の秋彼岸法要でははお接待を中止したのですが矢張りお接待もお寺の行事の一つで今年から再度行うようにしました。

例年お砂踏み浄衣加持でお接待に出させて頂く4色白玉善哉を出させて頂いた。白は白寿、黄色は財運、緑はヨモギの健康で赤は幸福の色として一椀に入れてお接待をさせて頂きました。とても喜ばれて普段上がらない方々も笑顔で「有り難うございました」と言って喜ばれていました。作ることは大変ですがたくさんのお世話人さん達と力を合わせて準備した甲斐がありました。降水確率70%と言われいた今年のお彼岸法要。無事に済んで何よりです。今夜は2件の予定があり息つく間もありませんが彼岸中日のお詣りをさせて頂きます。

お彼岸に出させて頂いた四色白玉善哉の写真です。美味しそうでしょ。

赤色は幸福、白は白寿、蓬色は健康、黄色は財運、一椀に色々です。
■ 9/18    清々しい一日 
日中は過ごしやすい気候となってきた。やっとという感じで外の仕事をしていてもお詣りに出かけても大変過ごしやすい気候となる。最近始めた事にアシスト自転車で夕方時間のある時に、運動を兼ねてあちこちを楽しんでいる。昨夜も豊明市消防署の側を通った。

田んぼに囲まれている消防署の付近は涼風が吹き大変に気持ちが良かったです。田んぼの中からは虫の音が聞こえ吹く風は秋の佇まいと、やっと気候が落ち着いた静けさを銀輪にそっと告げているようだ。ペダルを進ませると長い坂道がある。ここで出番がアシスト自転車の本領で、足には負荷がかかるのだがヒーヒー言って自転車のペダルを踏みつけた少年の頃の悲壮感はない。少々しんどいだけで難なく自転車を進める事ができる。団地を抜け今度は緑区の方面へ向きを変える。行政が替わるとこれほどに明るさが変わるか?と思える程に街灯の変化に驚かされる。
 愛知用水上に作られた公園をゆっくりと、体力を落ち着かせるように鈴虫の音を楽しみながら駅前を通り過ぎてお寺に帰って来た。帰ってきたらバッテリーと私の体力も放電状態であった。約1時間程の自転車の旅をほぼ毎晩、楽しんでいます。
■ 9/16 晴・雨     
やっと暑い毎日も終わりに近づいて来ているようだ。時間があると環境班の方達と境内や山内の枯れ枝や一年中葉で山を覆い尽くし一筋の光さえ遮ってしまう雑木を切り倒している。広い広い境内山中は相当にきれいになってきた。暑い最中の作業は大変であったが先日来、強い日差しにも勢いが無くなり吹く風は熱風を伴わない。比較的に作業しやすい季節に変わろうとしている。

お寺には色々な道具があるのだがいつも活躍するのは中型のユンボと雑木を粉砕する粉砕器である。樹木は立っていると何ともないのだが一旦切り倒すとそれは広い面積を独り占めにして枝葉を切り落とさないとその後の後片付けが大変な作業になる。広い先師墓の前には三百坪程の広場があるが半分以上が切り倒した樹木の集積場となっている。これらを一本一本ユンボで掴み上げてチェーンソーで枝を払い樹幹のみを残してバラバラにする。大量の枝が山積みにされると再びユンボで掴み上げて粉砕器の所まで持って行き尽力で枝を粉砕機に入れる。枝は吸い込まれてあっという間にチップになって山に放出される。太い枝は薪の大きさに切られて積み上げられて乾燥される。

簡単に言うとこんな調子だが色々と苦労も多いのです。山の中から切り倒した大木を引きずり出すことも大変な作業、倒す場所も考えて倒さないと後から大変。その後の作業で大量のチップが出来上がるがイメージとしては樹木がバケツに入ったしまったと言うイメージが正解でしょう。チップは山となり夥しい量となります。昆虫の最適の住み家となりまた雨風により最適の肥料ともなるのです。きつい仕事ですが爽やかな作業の終わりが何ともいえません。山はきれいになる、新しい落葉樹が増える、作業は捗る、チップは出来て肥料にも昆虫の住み家にもなる。言う事がありません。環境班の皆様、有り難うございます。
■ 9/11 晴れ     残暑厳しき折
暑いですね。もう九月かと思っていたら既に11日。虚しく日を過ごしてはいないつもりなのですがすぐに時が過ぎてしまいました。既に9月中旬に入るのに一向に涼しくなりません。にも関わらず日の長さだけは着実に短くなっています。

陽の短さを嘆き、木枯らし吹く寒い季節からほんのり暖かい春の日差しを待ち侘びるのも束の間で、天地盛んな陽の輝きを生命の力強さに例え、沈まぬ太陽を眺めては沸々と思い耽っては生気を独り占めにしても、秋の虫の音の懐かしさはふと体力の衰えを気が付かせてくれる自然の循環。私は何を書いているのだろうか?色々な思い出が私の頭の中を駆け巡っています。

私ども夫婦の仲人をして下さった奥様が病床の床に今あり本日お見舞いに伺った。私を眺めて「ありがと、頼むな」と確りとした言葉を発した。両手で奥様の手を握り「もう私を叱ってくれるのは奥さんしかいない。また四国をお参りできるよう早く回復して下さい」と弱々しい手を握り返しました。家内がお寺に嫁入りに来る時、奥様の家からお寺の山門をくぐり手を引いてくれた奥様。厳しく頑固な夫であり社長であったご主人の陰に日向になり私を助けて下さった奥様。本当に心からご回復をお祈りしています。