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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

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平成22年11月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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カウンター
■ 11/30 晴れ      
先日、親指をカッターナイフで切って7針縫われた方は驚異的な回復力で今日から仕事に復帰された。まだ抜糸前だというのに「いや〜住職さん大丈夫ですよ」と言われてドンドンと仕事をされておられた。今日も山の貯水槽から水を消防ホースで築地塀に雨水をドンドンとかけ流して一年の清掃をして下さった。本当に信じられない回復力に、奥さんが言われていた事を思い出していました。

午前中は修繕の業者さんと打合せをして大がかりになるかも知れない工事の打合せをしました。午後からは環境班の人達と暮れの大掃除を進めました。
■ 11/25 晴れ      色々あった一日
午前中は色々と予定もありまた私一人でお参りをさせて頂いていたので多忙でした。午後よりお山の中の運び出さなければならない物を機械を利用して搬出していました。お寺で色々と外回りの仕事に心を砕いて下さる方が気を遣ってくれてカッターナイフで仕事をはかどらせる為の工夫をしてくれました。私は搬出をする為に品をユックリと境内へ移していました。

「この仕事が終わったら山中貯水槽から水を引いて消火ポンプで築地塀を水洗いすればいいかな?」っと思いつつ境内まで降りてきました。「○○さん、これ終わったら手を貸してくれる?」と尋ねたところ「イヤー住職、今カッターで左の親指を切ってしもた」と予期だにしない返事が返ってきた。「イヤー大丈夫、近所の医者に行ってきますよ」と簡単に言う彼の左親指からは血がボタボタと落ちている。私は驚いて「待っててくれ」と言葉を残して消毒用アルコールとティッシュペーパーと、止血できるであろう薄く広く貼れるテープを持ってその場に再び走り戻った。何時ものお参り大好き外科先生の携帯に電話すると「今私、名古屋にいるんだ」と申し訳なさそうな声。「息子はどうしたかな?」と向こうからの受話器から声がする。息子さんの奥さんが電話に出て「今日は産業医で午後から不在で・・」っとこれまた申し訳なさそうな電話。急遽○○病院へ電話して救急外来を予約したのでした。先ずは一安心・・・・・

○○病院へ行くと直ぐに診て下さいました。そして7針を縫う結構な怪我となりました。奥さんへ電話すると「あぁ、あの人はね丈夫だから大丈夫。ガムテープでも貼っておけば住職さん、本当に治るから」っと私に気遣ったのかおおらかな返事であった。「あの人は若い頃、背中に大けがを負っても病院へ行かずに治したから大丈夫」って自信ありげの返事であった。電話しているご本人は治療室にて今まさに左親指を縫って貰っている最中。長い時間を待って治療室から出てきた彼は明るい顔で「切った時は痛くもなかったが縫っている時は痛かった、七針縫ったよ」と。会計を済ませ薬を貰うまで待合にいると若い先生が「あれ?紹介状まだかな?」と未だに居る私たちに気を遣ってくれた。

暗くなった駐車場からお寺に帰り、怪我をされた彼の車を私が運転して隣には申し訳なさそうな彼が座っていた。「住職さん今日は本当にすいませんでした」と詫びられる。「痛かったでしょう○○さん」と労いの声をかけると「あの医者、どうも人を縫った事がないらしい」と妙な事を言い始められました。最初に傷口を診て「これは縫った方が良い」と言われ「お願いします」と言ったら私の前で若い先生に「お前、縫った事有る?」っともう一人の若いお医者さんに声をかけたそうです。「えぇ?私がするのですか?」と患者の前でお話しがあったそうです。そりゃ○○さんも心細くなるでしょうね。

「痛かったよ、麻酔をすると言って全然効かせんもんな。先生こんなに痛いモンですかね?」。先生「指先は麻酔が効きにくいのかな」と。「まるで生で縫われているみたいで途中から痛くなかったが、4針ほどは本当に痛かった」っと言っていた。「そんなへっぽこでしたか?」と笑って尋ねると「普通なら2〜3日で再受診を勧めるのに明日近所の外科の先生に診て貰って下さいと、丁寧で本当に自信がなかったんでしょうね」と苦笑いをしておられた。車の中でそのようなお話しをしてお宅のそばまで来たらニコニコ笑っておくさんが「ご迷惑をお掛けしました。この人本当に大丈夫だから」と先ほどの電話口でのお話しと同じ事を私に告げて下さいました。お寺に帰って後片付けをして一日を終えました。色々な事が突然降って湧くとはこの事でした。
■ 11/22      高野山参詣
19日より風邪を引いて酷い目に遭いました。胃痛も発症し熱も38.℃を超えて大変でした。21日なな月参りの日も直前まで休んでいましたが、お参りをさせて頂いて皆さんのお顔を拝見していたら徐々に元気を取り戻してきました。思い立ち夕刻に高野山へ参詣に出かけました。雨という予報でしたが予定が多いので急遽、お参りをさせ頂きました。

空模様を思うと奥の院の御廟参詣が先であることは本来でありましたが、高徳院納骨堂へ参り清掃をして供養のお経を上げさせて頂きました。今月はこれで2回目の参詣です。連休と連休の間のお陰か?いつもよりはお参りの方が多いように思えました。落ち葉が多くブロアーで一通り清掃をしました。お線香と灯明を立てて読経をして一時間ほどを過ごしました。

廻りは落ち葉で大変でしたがブロアーで勢い良く清掃を為してさっぱりした納骨堂。お花屋さんは月曜日のせいか?どこのお店もお休みで、今月1日お供えした高野槙が元気で良かったです。お経を終えて線香鉢を片付けてしまいましたがお参りを終えた時の写真です。

その後、奥の院御廟へお参りに出かけましたがたくさんの参詣人の方で賑わっていました。何処かの和尚さんも私が何時もお参りする場所で読経をされておられました。私も輪袈裟を着帯してお経を上げ、色々と思い巡らしながら清々しく高野山を下山させて頂きました。雨は奈良県に入ると徐々に雨が強くなり何時もなら眺めて帰る奈良の山々も雨に煙っていました。途中、天理のサービスエリアに立ち寄って自動ドアを開けたら平城遷都のキャラクター「せんとくん」がお出迎え下さいました。突然のキャラクターにびっくりしました。頭にシカの角が生えている「せんとくん」。話題に上っていましたが直接拝見すると「ええぇえぇ」っと言う感じでした。この写真、小学生高学年の子供さんくらいの背丈があるんですよ。
■ 11/17 晴れ      主権在民
自由を例える面白い言葉を知った。人の為すこと、歴史や主義主張や思想は、形や為政者こそ変われ繰り返されるので、自国を忘れて他国の今を指して言うわけでもないが誠に印象深い言葉を聞いた。

「真実を知ろうとするに、ア○リカには図書館の本の中に書かれている、ロ○アは雪の下に真実が埋もれている」と言う言葉。戦後生まれの私はその後の東西冷戦や隣国の革命騒ぎや内乱を眺めてきたが、図書館とシ○リアの雪の下では大違いだ。日本に住んでこの国の生活を体験した外国人は、特に隣国の人達は、あまり本国に帰りたがらない。それどころか「私は日本に帰化した、関係無い」と言うそうだ。救急車にしても医療にしても何にしても日本ほど有りがたい国はないと思います。これもそれも戦後の深い反省と主権在民が最も尊重されているよう、寡聞ではありますが、私にはそのように思われます。

「図書館の本の中と、シ○リアの雪の下」・・・では一体隣の国には何処に真実があるのだろうか?知人とお話しをしていたらこれまた印象深い返事が返ってきました。「隣の国の真実の在処は天○門広場の下に埋もれている」とこれまた成る程という返事を頂きました。あの事件は酷い事件でしたが彼の一言で自由と主権在民を改めてよく分かったような気がしました。
■ 11/16 晴れ      
用があり高山に行っていました。途中、三輪山真長寺さんと延算寺さんを参詣をしてきました。先日も檀家さんの法事で両寺のお名前と檀家総代さんにお会いしてお寺の歴史等を伺ったので以前にも増してお参りをしたくなりました。岐阜市と言っても熊が出るという場所と、半ば脅されていましたが、至って普通の街の中に広大な境内地を有するお寺がありました。丁度紅葉の見頃でしょうか、たくさんの参詣人や小中学生さんがお越しになられていました。

真長寺の境内に入ると私服姿の方が「11月23日はイベントがあります」とパンフレットを渡して下さった。詳細をお話しされるので「こちらの方ですか?」と尋ねたらご住職でありました。私は初めてお参りした事を伝え名刺をお渡ししたら「まぁ上がってくれ」とご案内された客殿からは竜安寺と西芳寺を兼ね合わせたお庭の見える座敷にご案内下さった。お寺の歴史やこれからの夢を多く語って下さいました。「数万坪のお寺を維持する事はとても大変だが私のライフワークとして命のある限り頑張りたい」と目を輝かせて熱い思いを伺って半時ほどして辞去した。小春日和の穏やかな昼下がり、門前まで見送って下さいました。

お寺に帰ると環境班の方が私を待っていて掃除や整理整頓を済ませて一日を終えました。いま、備忘録を記していますがとても寒くなってきました。先日から慣らし点火をしていた薪ストーブも赤々と炎が立ち上がり部屋の中も暖かであります。少し煙り臭いですが冬の訪れを感じております。ちょっとパソコンから離れると備忘録も忘れてしましました。
■ 11/11 晴れ      楽しい会食会
良くして下さるお寺のご夫婦をお誘いして会食会を開かせて頂いた。私ども夫婦に先方のご住職ご夫妻と友人の僧侶とあと一人で計6名の会食会を催させて頂いた。

昨日の特別伝道会の御慰労も兼ねての会食会。お寺のお話やご苦労のお話、仏教のお話、笑い話、のろけ話ととても楽しい一時でした。以前も違う僧侶のご夫婦をお招きして楽しい一時過ごさせて頂いたが今回も日頃の煩わしい事を忘れさせてくれる時間を得ました。また機会があればご家族揃っての会食会を催したいと思いました。気がつけば午後10時頃となっていて急いで帰路につきました。会話を楽しめる事はとても楽しいです。

「話す」は「放す」と言うらしく、日々の愚痴も小刻みにして放していくそうで「お話し」と言うそうです。引っかかるお話やあとに残るお話は「お放し」にはなりません。そんな気遣いを気にせずにパッパとお話しできる会食会が何よりです。昨夜は良い時間を頂けて本当に幸せでした。
■ 11/10 晴れ      東海自治布教団 特別伝道会
朝より会場の仕上げと打ち合わせ、リハーサルが行われました。午前10時頃よりお参りの方々がお見えになり一気に会場は賑やかになりました。順調に色々な事柄が予定通りに進み大きな事故もなく一日を終えました。皆様、お疲れ様でした。
開会式前の打ち合わせ
この席が一杯になりますように
本山支所等の舞台での打ち合わせ
受付も準備完了
大勢の方がお見えでしたがこれ以上私も
ノンビリと写真を写す事が出来ませんでした。
■ 11/9 晴れ      寒い一日
今日は私一人で寺務をしました。午後より高野山真言宗愛知宗務支所青年会の方がお寺の33観音ご尊像を借りに来られました。明日愛知県が当番で特別伝道を行う事となりその準備の為で慌ただしお越しになられました。私も明日の準備の為、名古屋中電ホールへ夕刻出向いて準備のお手伝いをする事になっていました。明日は早朝より開式の準備。バタバタとしております。
中電ホールにての御砂踏みの準備風景
(当寺の33観音様の御尊像がお迎えされた)
仏器磨きに余念のない青年会の僧侶
御砂踏みの準備も大勢で行われました
ほぼ出来上がりました
準備後のご苦労さん会
年配の人はお疲れ気味
■11/7      孤立感深まる日本        
今日も予定が多かったですが何事もなく順調にお参り等が終わりホッとしております。

唐突なお話ですが、日本の将来や国益が日に日に傾き世界の中で孤立し始めているように思えます。夕刻、山で仕事をしながら色々と歴史を振り返り、これ以上日本が孤立しないよう、言葉を替えれば日本経済の首を絞めるような事を世界は、正に歴史を振り返って自重すべきに思いました。日本のバブル崩壊から20年、今度はアメリカの不動産活況から一転バブル崩壊となりサブプライムローン、同時多発テロ後のリーマンショック。世界金融の混乱と新興国の著しい台頭が招いた無秩序な世界経済のアンバランス。

日本の歴史を振り返ると大正デモクラシー、世界恐慌、日本の資源獲得とABCD包囲網による経済停滞、何だか100年ほど前の世界の状勢が、条件は違え、今と同じような感じがしました。幾らネット社会がどんなに発展しても民族主義の主張や行動は昔と変わらないように思えます。戦争を何度となく人類は経てきても全くその愚かさの原因が国益とか民族主義的な利己主張から戦争の惨劇が幾度となく繰り返されてきたように思います。

大切は事は、国益や民族も大切ですが一つの地球に住んでいて、暑いところも寒いところも不毛なところも豊穣なる地域もあるけれど、同じお天道様の下で暮らしている事を思い何とかいがみ合ったり殺し合ったりしないで欲しいと思います。人間、生まれた時から競争に晒され、学歴から経歴、収入や名誉、出世や住まいで呑気な事は言ってはおられないのですが、元も子もない愚かな戦争だけは勘弁して欲しいです。

その為には何が必要か? あるがままの真実を双方が直視する素直な気持ちと、冷静な判断力、善後策を幾つも持って相手の気持ちになって物事を解決する事が肝要と思います。「己の欲せざる所、人に施す事なかれ」「窮鼠、猫を噛む」色々な例えがありますね。
■ 11/6 晴れ      穏やかな一日
今日は予定も多く朝から夕方までお参りや寺務作業に追われました。お寺の年中行事も大まかな諸行事は終わり来年の3月春彼岸まで本坊や客殿でお接待の行事はないので応接セットを再設置しました。この応接セットは10客用のイスで大変見栄えはよいのですが場所は取る、移動は大変、行事は夏場で倉庫の渡りにブルーシートで覆って収納してありました。

私がお参りに出かける間に再設置をお願いしておきました。出したら掃除機で吸い取り、きれいな白布で一切を拭き上げて直ぐに使えるように指示を出しておきました。帰寺すると応接セットは元のように設置されていました。家庭用の応接セットでは座れない事もあり、まさかパイプイスでは失礼、10客用のセットを求めたわけです。来春の春まで応接間の主としてデーーンと鎮座されている久しぶりに眺める応接セットでした。

嬉しい事もありました。法事を終えて次のお参り先に腕時計を気にしながら衣をたたんでいると「住職、忙しい時やお寺の行事に手伝いに行くから声をかけて下さい」と本当に嬉しい言葉を耳にしました。コミュニケーションが取れないとどんな仕事もうまく行きません。打ち合わせを為し、相談が出来、役割分担と組織としてのバランスを調整しながら活躍できる方が一番です。今日は本当に感謝の思いで嬉しかったです。
■11/3 快晴      御砂踏み当日        
多くのお参りを頂き有難く存じました。そして何より多くのお世話人さんのお手伝いがあればこそ何とかお勤めをさせて頂きました。僧侶の方々のご助法にも心から感謝を申し上げます。天候に恵まれ良き一日で過ごさせて頂きました。感謝の一日を過ごす事ができて何よりの充足感があります。
今日の様子です。
快晴の一日が始まりました
88箇所霊場のお参り
33観音霊場の御砂踏み
浄衣加持をお待ちする方々
皆様がご持参された肌着等へ岡路をしました
私もお参りしましたよ〜
お接待のご案内 4食白玉のおぜんざい
内容はこの4食の白玉です
皆様 ようこそお参り下さいました。ありがとうございました。
■ 11/2 晴/曇      御砂踏みの準備と歯医者
午前中、御砂踏みの準備の最終仕上げをしました。本堂の中や本坊の中の最後のチェックをしました。デジカメで色々な資料を作っていても一年も経つと記憶がハッキリしないし困ったのもです。午後からは愛知宗務支所青年会の方達が見学に来られました。

山では環境班別班の人達が薪作りをしてくれて相当量の薪がこの一ヶ月の内に完成しました。恐らく3年分くらいの薪が出来たと思います。様子の写真は別の機会でご紹介します。追われるように歯医者に行き毎度、丁寧な診察と処置をして頂きました。「腫れが引いたら麻酔をかけて歯周ポケットを切除しましょうね」と明るく言われましたが「せっ、切除?」。楽になるのなら結構なお話です。3日飲んだら腫れが引く薬を飲んで楽になるのを待っています。

夕刻、外出したら「住職、備忘録見えんよ」と言われました。そうそう、レンタルサーバーのお金を失念していて早速に蹴飛ばされ関係修復をお願いして再度、サーバー再開して頂きました。チャンと備忘録をご覧になって下さっている方が居る事を思うと恥じ入ります。明日は御砂踏み、朝から忙しいですが手落ちの無いようにしたいものです。お天気を心配しています。
■ 11/1      高野山へ
高野山へ納骨に出かけました。名古屋地方は快晴との事でしたが高野山は寒く気温摂氏6度、時折土砂降りの中を奥の院納骨堂へ納骨を済ませてきました。高野山はもう晩秋を通り越して冬のような寒さでした。雨の中に鮮やかに映る紅葉をご紹介します。

帰路、歯が痛くなり我慢しながらお寺に帰りました。どうも膿んでいるみたいで腫れている歯肉を押すと何かが出てきます。押し続けると血も出ます。困った事です。
雨に煙る大会堂(だいえいどう)と不動堂
中院御坊 竜光院
きれいでした
蓮華定院の庭
波切り不動 南院
私の修業時代のお寺 宝壽院
現在息子も修行中です
修行僧のみで一般人は居ません
苔の絨毯です
きれいですね
帰路、橿原神宮方面の山の名前を忘れましたが
虹が出ていました。無いか良い事あるかな?