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名古屋の天気予報
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平成23年3月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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 ■3/27 晴れ      寒い一日         
原発の事故が未だ終息の兆しさえ見えてこない。周りで騒いで責任論やマスコミで1000年も前の醍醐天皇の頃の貞観の津波の教訓が生かされていないと言っても・・・今は現場で不眠不休と危険と隣り合わせで頑張っている多くの関係者の気持ちを汲んで皆さんで祈るしかないと思います。

「被災地で失業して当てもない方はシベリヤで働きませんか?」とロシアの大統領が言ったとか言わないとかのニュースを見ました。今日来られた女性の方、15歳の時に満州で終戦を迎え多くの中国人や朝鮮の人々から匿って貰ったり食事の援助を家族ぐるみで受けてロ○アの兵隊からの無慈悲な略奪暴行殺人から命からがら逃げてきたというお話しを涙ながらに聞かせて貰い「シベリアなんかとんでもない、ロシア人と聞いただけであの恐ろしさが伝わる」と目頭を押さえておられました。相手構わずに略奪された物資は全て貨物に載せられ何処かへ毎日毎日大量に輸送されお風呂も入らず数年間、シラミに食い尽くされて舞鶴にたどり着いたそうです。父が位牌や釜、生活の最低の物資を後ろから来た兵隊にナイフで風呂敷をばっさり切られて全て持ち去られたと。本当に恐かった1年半であったと青ざめて私にお話しをしてくれました。

命からがら舞鶴に接岸後、頭の上からDDTを振りかけられてあれ以来シラミを見た事がないと言って笑っておられました。親戚で数年ぶりのお風呂に入り何とかここまで来られた。満州から逃げ帰った人と電話をすると、70年経っても毎度毎度、恐ろしかったお話し、人に言えない凄惨な話しをもう忘れても良い頃になっても未だに涙と怒りと煮えくりかえる理不尽に悩まされているという。最後に「アメリカに占領されて良かった」とも言いました。

津波の悲惨な現場を見る度に彼女は、あの悲惨な戦争の後継を思い出してはテレビの前で泣いているという。そして必ず復興をする事を確信しているとも言っておられました。中国、朝鮮の人に助けられた言っておられました。残留孤児として自分の兄弟も日本に帰国し家族共々永住をしている。そして縁者たちはこの日本をとても愛していると言っておられた言葉が大変嬉しく感じました。
■ 3/21 曇/晴      彼岸法要     
雨という予報でありましたが午前中から雨は上がり薄日が差す程になりました。たくさんのお参りの方をお迎えして大変賑やかな春期彼岸法要になりました。東北関東大震災の義援金を法要後お願いしましたらたくさんの義援金が集まりました。今月いっぱい義援金をお願いして日本赤十字社へご寄付する事に相談の上決定しました。

本堂内陣での経木彼岸塔婆
本堂でのお参りの様子
義援金の箱 法要後廊下で住職が箱を持って募金活動をしました
台所では白玉の準備をしました
全て手作り
■ 3/15      
地震と津波の後は、原子力発電所の思いもよらない酷い状況に毎日怯え気分が滅入る日々が続いているのは全国の方々も同じと思います。電力会社の下請けさんや協力会社の人達が今、電気もない危険な場所で、時間に追われて必死にこれ以上の被害が出ないように、対策を講じておられるニュースが流れます。危険窮まりないこの状況下に本当に頭が下がります。私たちにはもう、お祈りする事しかないのでしょう。

本当に言葉がありません。被災地で避難されている方々が60万人と今までの災害と比すと想定も比較も考えも及びません。現実は大変な状況にあります。いま出来るボランティアは節電に心掛け、デマや噂を聞いたり、その話を人に告げない事ですね。食料も燃料も十分にあるそうです。足らないのはそれを運ぶ車両と道路と時間だけだそうです。明けない夜はない、その言葉を信じて心に灯を持って着実に毎日を過ごしましょう。
■ 3/12      地震警報装置
大津波と大震災の被災者の皆様へ、大変な事になり心よりお見舞いを申し上げます。畑や田んぼ、道路に港湾施設、内陸に押し寄せる津波にのみ込まれ破壊される家々を見ると胸の詰まる思いであり、気持ちも暗くなり目を覆いたくなる惨事をテレビを眺めています。本当にお気の毒であり被災所で不安の時を過ごされる方々に思いを馳せております。

昨日、丁度地震の余波が来た頃、私はお寺で電気屋さんとお話しをしていました。お話しをしながら気分が悪くなり目が回るような錯覚を覚えました。「目まいがする」と電気屋さん。私も「私も目まいがします」とめまい症のある私は返事をしましたが何時までもユルリユルリと落ち着かない私たち。「住職、目まいじゃない、地震だ、電線を見て」と指さす方角を見ると確かに酷く揺れている。初めて地震に気がつきました。しかし、普段の地震では直ぐに止むのに何時までも揺れていた事を覚えています。暫くするとテレビで津波の映像が流れ、正に目を覆うような光景がテレビに流れ為す術もなく、津波にのみ込まれてゆく映像のみが、無慈悲に映され出していました。田畑を飲み込む映像も、理解ができても、悪夢の様子さながらでした。

当寺は地震警報装置があり、この様な大地震時には境内・建物一円にスピーカーフォンで警告音声が大音声で流れる事になっています。「地震が発生しました。地震が発生しました。5・4・3・2・1・・・」とカウントダウンされて地震の到達を知らせてくれます。所が昨日の地震警報装置はその威力を発揮せずにいました。

「災難は忘れた頃にやってくる」でその警報装置自体のある事自体を忘れていました。取り付け工事会社から直ぐに電話があり「鳴動したか?」と言われて初めて気がつきましたが、受付、僧侶、家族誰もその声を聞く者はいませんでした。しかし、今朝未明の長野県地震では「地震警報、ユックリとした地震が来ます。5・4・3・2・1・・・」そしてユルユルとした揺れを感じたそうです。二度ほど鳴ったそうです。防災意識を持っていても危機感を持っていないと折角の設備も無駄になってしまいます。一瞬にして大切な家財や生命まで奪い去る地震や自然災害の恐ろしさを身を以て感じた最初の出来事でした。

被災者の皆様、心よりお見舞い申し上げます。被災地は寒くて電気もない真っ暗な状況下と拝察致します。お心強くお過ごし頂き、先ずは一刻も早く救援物資の到着とライフラインの復旧の完成お祈り致します。
■ 3/3 快晴      午後から寒くなる
午前中、お昼前ぐらいに環境班と合流して枝垂れ桜のやり直しを行いました。と言うのも防犯センサーの赤外線に一カ所引っかかるところがあり昨夜、当直僧侶より「センサー異常」を報告受けました。植え替えをしたら案の定で移植後は全く異常はなくなりました。

先日の強風で隣地の病院へ枯れ枝が飛んできて見て欲しいと言われた箇所がありました。本日、ワイヤーとウインチ、ハシゴ、ユンボにチェーンソーで久しく足も踏み入れたことも手入れもした事のないお寺の山中で伐採を致しました。付近一帯の高木や枯れ枝も未だ未だあるので伐採予定です。残念ですが危険が伴う立木は切らざるを得ません。本当に悲しいですが仕方がないです。夕刻より大変寒くなり相当厚着をして作業を終えました。環境を護る為に色々と努力はしています。お寺で伐採した樹木をチップにして牛糞等を一杯混ぜた有機肥料を2年ほど前に作りやっと、昨日から植木に施肥を行っています。お寺の山で育ち、伐採された樹木は再度お寺の木々への肥料となります。費用はそれなりに掛かりましたが、自家製たい肥を撒く時のうれしさはありませんでした。しっかり育てよ!!っと心の中で木々を励まします。

「この柿の木にも肥料を!」と痩せた柿の木を指し示して言うと「ここの柿はワシが一番よく食べるからな」と笑いながらOさんは骨身惜しまずセッセと仕事をしてくれます。時には危険なことも私の知らないところでしてくれています。環境班全員のお陰でお寺の環境と美観が整っているのです。感謝をしております。

昨日、12本の枝垂れ桜を植樹に際し『それぞれ自分の気に入った桜に名前を付けて下さい』と申し上げました。Oさんは『わしは、あの見晴らしの良い場所の桜だ』、Wさんは『私は本堂の南側の桜』、・・・『私はあそこだ』・・・っとそれぞれに名前が付きました。『和田桜か、相撲取りみたいだな』っと私が言うと皆で大笑いとなり一日を終えました。働いて下さった皆さんに感謝の気持ちです。立派な桜となって百年後は角館の枝垂れ桜と同じような名所になって欲しいです。生まれ変わって『きれいだ、立派だ、キッと昔の和尚さんが植えたんだろうな』なんて来世の自分が観光客となり目を楽しませるお寺であってくれたら、私の思いも花が咲くという物です。写真でのご紹介は近々に致します。お休みなさい。
■ 3/2 快晴      境内に枝垂れ桜を植える
久しぶりの晴れの一日。先日雨の土砂降りの日に12本届けられた枝垂れ桜の植え込みを環境班と私と総掛かりで植え込んだ。境内には7本、山中参道には二本、庫裏に1本、山頂の一番見晴らしの良いところに一本と計12本。樹木の大きさは4m程の立派な枝垂れ桜。高徳院は桜とモミジとツツジ、松に竹、大変なじみやすいのか短時間の内に大きくなります。

以前長野県ホテル木曽路さんから50本の桜を境内にどうぞと贈られて今年で丁度10年が経ちましたがその当時から比べると幹の太さも子供の手首くらいからふくらはぎほどの太さに成長し高さもこれ以上大きくなったら山門に影響するくらいまでになりました。あと25年程過ぎると、ピンクの八重枝垂れ桜、真っ白な八重桜、薄紅の八重桜、多種多様な桜がお寺を明るく染めてくれると信じています。来年はもっと大降りの枝垂れ桜を植えるつもりです。

今年の秋には那須塩原へ出かけてモミジを発注するつもりです。モミジも色々な種類がありますが私の探しているモミジは一つのモミジの木から赤、黄、緑、と三色が発色し見ても惚れ惚れするようなモミジを求めています。これは高山へ行った折に眺めて心休まった思いが未だに忘れられないのです。モミジの成長はこれは大変に気が長い時間が掛かります。春の桜、初夏の皐とツツジ、秋の紅葉、冬の竹林と南天の取りあわせ・・気持ちが休まりお寺にお参りに行って良かったなと思えるようなお寺を考えて清潔で竹箒の筋の入ったお寺に毎日して行きたいです。
■ 3/1      高野山参詣
昨日、午後より高野山へ参詣をした。先月28日に参詣をして大雪でお墓参りもままなりませんでしたが今回は他用もありお墓掃除は出来ませんでした。雪が無くなると杉や雪で倒れた畑建て等が倒れていて荒れていました。夕刻に到着したので掃除は次回にお許し頂いてお勤めをしました。お花屋さんも店が閉まって開いてはいないのでお花も求める事が出来ませんでした。ただ雪の降り積もる前か、つい最近か?何方かがお参り来られた跡がありました。小さなローソクが二本建てられていて二本とも倒れていました。

最近は、納骨堂の裏にビニール収納箱を設置してローソク、線香、ロウソク立て、蚊取り線香、ライター、色々な品々を収納するようにしていますのでお水とお花、掃除道具を持ち運んでお参りが出来るようにしてあります。次回のお墓参りはお彼岸後を予定しいますが清掃を十分に出来るように行く所存です。夕刻、息子がお世話になっている宝壽院へ参り、久々に息子の元気な姿にあってきました。落ち着いた僧侶の姿に感慨の深いものを感じて和歌山で一泊して本日帰寺しました。
先月 28日の様子 墓参はお線香もロウソクも立てる事が出来ませんでした
読経のみで失礼をしました
2月28日 17時30分 雪が溶けていました。日没が近くて掃除が出来ませんでした
ローソク線香を立てて読経をなし失礼をしました。
高徳院 高野山 奥の院 納骨堂
高野山 大本山 宝壽院にて 息子と面談。寒く、厳しく、大変な生活を過ごしてきました。
本当に良く頑張ったと思います。若いから出来るのでしょうね。耳はしもやけで赤かったです