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名古屋の天気予報
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平成24年1月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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■ 1/30 晴/寒風       高野山参詣           
今年初めての高野山参詣をさせて頂いた。何時もなら正月松の内に必ず参詣をさせて頂くのだが今年は色々な事や安心してお寺を空ける事の出来ない事柄があり延び延びになっていた。今朝は氷点下9度という寒さであり奥の院御廟前もとても寒かったです。読経を為して深々とお礼と種々のお諭しをを得たような思いでした。今年から五省の誓いと納先生の言葉を繰り返し自問自答して奥の院を後にしました。その後、高徳院納骨堂の墓所をお参りしました。雪の積もったお墓は御廟よりも寒く足の裏からしんしんと寒さが伝わってきました。御廟同然に読経を為し同じく五省の誓い、納先生のお言葉を自問自答して午後には高野山を辞しました。

途中、或るお寺に止させて頂き色々なお話しをさせて頂きました。往復の車中には色々な電話がかかり、また目前に迫った星祭りの手抜かりを気にした電話が入りで気もそぞろでお寺に戻りました。何だか私は最近、時々寂しい気分になります。歳のせいでしょうか?


■ 1/25 晴/寒風       恐ろしいほど寒い           
やっと瑜祇塔建築確認申請を市役所へ提出できた。提出出来たのは結構だが、審査費用が30万弱というコンビニで支払い可能限度額一杯の金額で驚いた。昨年から約6ヶ月間ほどの期間を経て市役所や県、保健所との協議の挙げ句に民間丸投げの建築申請内容審査に30万円弱とは・・・どの様な心得で民間に委託するのか? その民間機関が、まさか?天下り先であったら・・・・一日に何件の審査件数か? これでは官は栄える民は細りてため息吐息である。昭和維新の歌ではないが「盲いたる民、世に踊る」「権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども国を憂うる誠なし、・・・社稷(しゃしょく)を思う心なし」「天の怒りか地の声か そもただならぬ響あり 民、永劫(えいごう)の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ」 ・・・大きな事は言いませんが大変な怒りを感じます。

瑜祇塔及び樹木葬予定地に植樹された大枝垂れ桜(高さ10m程)。この桜は紅枝垂れ八重桜です。咲き誇りだしたらとてもきれいです。


もう一本、紅枝垂れ八重桜を植えました。お寺内の枝垂れ桜や八重桜は10数本に上り環境班の二名と私の3名で昨年末からコツコツと桜を植えはじめて今日、その仕事を終える予定です。私たちの作業を見かねて建設会社の方が本職の植木屋さんを呼んで下さり、クレーンも半日お願いをして素人ながら、桜を無事に植える事が出来ました。植えたら今度はキチンと根付き、見事な花を咲かせるてくれる事を願わざるを得ません。「住職さん!! これらが咲いたらとてもきれいですよ」っと作業して下さっている環境班、緒方さん出口さんが泥だらけで私に声をかけて下さりました。寒風吹きすさび吐く息は白く、足下は泥だらけ。山頂に設置している貯水槽からエンジン揚水機で汲み上げた水で私を含めて濡れていない者はないにも関わらず笑顔で声をかけてくれて頂きました。

お寺では豆まきの準備や、豆まきやぐら、種々の設営等、他の僧侶やお手伝いの方々が私の知らない所でせっせと働いては、山まで来てくれて木々の粉砕や後片付けをして下さいます。本当に感謝の一言です。ここまでの作業で、私の出来る全てを身を以て全力で作業を終えました。暫くすると境内水道管の漏水復旧を全面改修するためピックにて掘削工事を始める予定です。出来る事は全て自分たちでこなして、費用を抑え法人に負担を砂一粒でも軽くしてお寺の護持とご苦労をされた先師様に応えるべき毎日を過ごしております



私は今日一日乗っていたコマツの0.45ユンボ。穴を掘り、根を取り外し土を被せ出来る限りを尽くしたつもりです。神仏の冥助を垂れられる事を祈ります。



桜とドングリ、モミジに小鳥、伐採されたみどりは全てチップ化され全て境内に戻っており根一本、境内の外へは運び出される事はありませんでした。工事が始まれば土木で土が搬出されると思いますが何処かで、お寺の無垢の土が活かされお役に立てば幸いと思い、私自身の夢のアウトラインを描く事が出来ました。
■ 1/19 曇/雨            
午前中、建設会社の方と相隣の荷重について打ち合わせをしながら明日搬入される枝垂れ桜の準備を成しました。荷重と予算の軽減化を図らないと法的にもまた、気持ちの上での安心も得られないのでここ数ヶ月、思い悩み考え込んでいる日々でした。

お参り後、詳細は書けませんが経済性、安全性で何とかしましょうと言う昨日の富山県高岡市の銅器会社へ出かけました。その銅器屋さんの工場では旧来の銅器製造の諸問題を創意工夫で克服された説明には納得したり感心したりで新たな手法をとる作業工程を目の当たりにすると、安心して私の悩みや難しい事情をお話しをさせて頂きました「何とかなりませんか?」と応接間で社長さんにお話しをすると「一日考えさせて下さい」と慎重なご返事でした。

北陸の夕刻の空には雲が重く垂れ込め、暗くなり始めている玄関先で面談のお礼を申し上げました。玄関から数歩歩いた所で、見送って下さる社長さんに「私は決めなくてはならない事が他に一杯あります。今晩、悩み事を一つ減らして安心してゆっくり休みたい」と私は彼に思わず頭を下げました。私よりも数年年上の社長は「住職っ、よし分かりました!分かりました」っと言って下さいました。私は思わず手を差し伸べ握手をして思わず彼を抱擁し握った手を放す事を忘れて「申し訳ない、申し訳ない、本当に申し訳け無い」と頭を下げ続けました。「住職、住職、頭を上げてくれ、頭を上げてくれ」っと言われても頭を上げて彼の顔を見る事が出来ませんでした。足早に車に乗りその場を去らないと申し訳ない気持ちで一杯でした。社長も事務員さんも丁寧に私を見送って下さいました。偶然、鋳込み真っ最中の工場内の様子。鋳込みに会える事自体、偶然にしても縁があったと思います。


夜の中部縦貫道は雪が降り始め行き交う車も色々な思いで車を運転されているのでしょう。私も精一杯の私の気持ちが神仏を通じて縁有る方に聞き届けられた事を感謝し、猶一層の精進に務めたいです。きれい事では終えられないこの世の中。感謝の気持ちで本当に安らかに床につける事が出来ました。成せばなる、成さねばならぬ何事も、成さぬは己が成さぬなりけり。創意工夫を寝食忘れて過ごされ銅器屋さんへ感謝の一言です。兵学校の「努力に憾(うら)み勿かりしか」のその物のでした。私も精進を心がけます。
■ 1/18 晴 寒            
一日何をしていたのか? 覚えられない多種多彩、多岐にわたる異質の出来事の混在した日々を、大げさに言いますが過ごしています。毎日多くの人達の手助けや神仏の冥助に支えられながら、楽しく過ごしているつもりです。楽しくと思うように過ごす事の大切さを、神経内科の有名な方からの、彼の言行録からそっと教えられ気持ちを切り替えて毎日を過ごすように心掛けています。

午前中、星祭りの下準備と挨拶回り。石材店の先師墓工事。突然の富山県高岡市の銅器屋さんの来訪。葬儀。色々な方との打ち合わせ、来訪者多し、夕刻授章懇親会出席、・・・色々でありました。今日も何とか無事に一日を終えた事を感謝し明日を迎えたいです。お寺にお勤めを頂いている僧侶の休日が無い事が気になります。私がカバーできない事が原因であり心苦しく思っていますが・・何とか毎日を無事に過ごす事しか思っていません。
■ 1/16 曇 寒      感謝      
身近のトラブルも落ち着き、再び瑜祇塔の再考を迫られている毎日です。かっこいい言葉ですが沈思黙考、藤田学園藤田啓介先生が良くお使いになられた言葉の一つ。しかし沈思黙考は知識有る方のフレーズ、私はお寺へお勤め頂いている方に私の今、心配している事を素直に相談しました。彼は帰宅後、諸方面に、元の職場の同僚陵や現職の方へと八方手を尽くして、技術屋の偉い方をご紹介して頂ける段取り僅か数時間で準備頂いた。仏の冥助とはこの事と感謝します。

お会いした事はないですが、鹿児島大学 納先生の「成せばなる、成さねばならぬ何事も、成さぬは己が成さぬなりけり」。日本海軍兵学校「五省の誓い」を再度唱え、私なりの沈思黙考をして休ませて頂きます。感謝。
■ 1/14 快晴 寒      責任役員・評議委員 会議      
夕刻より瑜祇塔(ゆぎとう)の建設について役員会を開き、設計監理及び建設業者より適時説明を受けて工事実施の段取りを打ち合わせとなった。塔に対する役員諸氏の期待と運営に関する慎重なる規約等の策定を求める事がテーブルの上に載せられました。難しい事柄が出る訳でもありませんでしたが、この案件にどっぷりと浸かる私には新たな見識の方向性を示して貰い、冷静さを取り戻す事に清々しさを感じました。

兎も角、歳をとりましたので睡眠だけは注意して毎日を過ごしております。私の身近にアクシデントがあり備忘録や更新が進まない事をお詫び申し上げます。成せばなる、成さねばならぬはなにごとも、成さぬは己がなさぬるなりにけり。五省の誓いをベッドの上で静かに瞑目し自問自答して毎夜休んでいます。昔の人は偉い人ばかりと思います。
■ 1/7 快晴 寒      環境班と桜の移植      
午後より環境班と一緒になり桜を移植した。この桜は平成13年に長野県南木曾町ホテル木曽路の社長さんからたくさんご寄付を頂いた桜でこの10年ほどのうちに大変太く立派に成長をしました。この度の瑜祇塔建設に向けお寺で出来る事をしようとして伐採や抜根、多少のでこぼこの整地をなして、建築以外の場所に桜を植える事としました。既に数本を植えましたが今日は2本を掘り返し、鉢巻きをして移植を終えました。夕刻になると北風が強く吹き出しとても寒くなりましたが半日で二本も移植できて本当に良かったです。

それにしても瑜祇塔の相隣部分、大変に悩む所です。昭和37年以来の二番目の瑜祇塔を私は今、建設しようとしてあと少しで建築確認申請を出せるまでになっている。仏塔という特殊な建物、特に屋根の上に5本も大規模な相隣を載せる技術や、職人の勘所は、見よう見まねでは危険であり、相当に心してかからないと、載せ替えの利かない事となってしまう。この規模の、それも半世紀ぶりの二例目になる瑜祇塔のシンボルである相隣。アルミにしても銅器にしても加重がある故に、単に載っているだけでは済まされない、そして私の回りにも経験も経歴もない事だらけに不安は一層、増すばかりです。

■ 1/6 快晴 寒       
正月なのでしょうが正月気分が全く私には感じられません。若い頃は10日ほどまで正月気分があり世間も私的にも浮き足立っていた思いますが全くその気配が感じられません。私一人がそんな風に感じるのかも知れませんが。

午前中、山仕事を環境班と行いました。樹木の粉砕機や重機があるお陰でアッと今に大木も片づいてしまいます。平たく言えば大きな街路樹が幹を残して、後はチップに変わり幹は細かく切断されて薪ストーブの燃料と化するのです。山で出た木々は山に帰る事となり、来年再来年には冬期の薪となりお寺に貢献を為してくれると言う事です。簡単に書きましたがとても労力と熱意を要する作業です。誰一人厭わずに、自ら進んで作業を為してくれるので私も一生懸命にお手伝いをして居る毎日です。

午後より金融機関の方、銅器やさんの社長さん、建築業者の方、色々な方の来訪を受け頭がこんがらがってきます。一つ一つを着実に確実にこなす事に心掛けて一日を終えました。お布団で休める事の有りがたさを毎晩、感謝して天井を眺めています。
■ 1/       本堂を本籍地にしたお婆さん
「私が死んだら私の事を誰も知らないので住職頼みます。お寺の本堂を本籍地にしますので」と言われたお婆さんが、昨年末に亡くなられ私が本人確認をさせて頂いた。クリスマス後のある日徳島県、大阪府、和歌山と三カ所の所用を済ませ帰寺、午後5時建設の方と打ち合わせの途中にと或る警察署からの電話が鳴った。「○○さんをご存知ですか?では本人確認を願いますので来て下さい」と突然の電話であった。一時間ほど後にお寺を出てご自宅へ向かう。やはり○○さんであった。警察の方から色々と事情を聴取され○○さんとお寺のとの関係書類一式を持参して応答を済ませた。他の役所の方からも慎重な電話があり、ご親族を確認するため数日間、設備の整った場所でお過ごしをされお葬儀を上げさせて頂き、八事の収骨も私が拾わさせて頂いた。誠に寂しい収骨ではありましたが葬儀だけは複数の僧侶で早朝より読経をさせて頂いた。

永代供養を生前に申し込まれていたので何とか私にたどり着いたが・・・想定外の色々な事柄を考えておかないと身寄りのない方は大変かと思います。約10日ほどは気の毒で何ともしようがなかったです。今は本堂で生前から予定をされていた場所でホッとされていると思います。
■ 1/1 晴れ
明けましておめでとうございます。今年もどうか宜しく願います。昨夜の除夜の鐘の風景です。毎年年ごとにお参りの方が若返っています。若い方の参詣に大変嬉しく思っています。懐かしい顔、よってフラフラの人色々な方がお見えでしたが事故もなくよい新春を迎える事が出来ました。
平成23年12月31日の様子です
可愛いワンちゃんの初詣
女の子は振り袖 男の子は紋付きでの正装で参拝
縁起物の鐘餅はあっという間に無くなりました
チャンと列を作っての初詣はとても嬉しかったです
鐘を撞き終えると並んだ順番で鐘札がお名前を書いて貼られ春先まで明示される
この順番は108人迄  最近では少し早めにから並ばれる
今年一年 どうかよろしく願います