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名古屋の天気予報
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平成24年6月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 6/28 晴れ       屋根部分の鉄骨            
今日は鉄骨が運び込まれ明日から組み上げが始まります。四方に張り出す四隅の鉄骨はとてもごつい物で相隣がドンと載るに耐えられるような力強さがみなぎり伝わってきます。平時のお寺の行事に平行して未知の仕事を色々と工夫し、創造させて行く毎日です。今日運び込まれた鉄骨です。
地上21mの天空にて相隣を受ける四隅の鉄骨
赤い矢印の部分に相隣が載ります
外壁工事も徐々に進んでいます
■ 6/27 曇り       相隣「鋳込み」の近況            
先ほど瑜祇塔の相隣部分で一番長い7.4mの部分の相隣が組み立てられたとのメールを戴いた。添付写真を拝見すると立派に出来上がった相隣の様子が良く私にはわかります。これから本体の銅に塗装をなすそうです。後まだ4本の制作があり、鋳込み制作会社の社長さんのメールには「これからが佳境」と一言書かれていました。明日にでも出かけて実際に出来上がった相隣をこの目で確かめたいのですが色々と予定があり出かけることができません。今月もあと数日で終えようとしていています。一年の実質半分が過ぎようとしております。この半年、本当に長く、色々な思いで過ごさせて頂きました。健康に気をつけて過ごしたいです。
相隣の様子をアップしますのでご覧を戴けましたら幸甚に存じます。工場の三階の高さで実際に見たらもっと大きく感じると思います。あと4本、楽しみであり瑜祇塔の上に載ったらもうそばで見る事も触ることも出来ないと思います。本当に有りがたいことです。
■ 6/24 晴れ       高野山へ     
日帰りで高野山へ向かった。弘法大師へのご信仰が篤く私の仲人でもあった奥様が亡くなられ三回忌を今年迎えます。ご遺志の通り奥の院へ納骨をする事となり日帰りマイクロバスツアーに添乗をしました。私の仲人とでありあすのでご家族ご一統様とも浅からぬご縁があり楽しく一日を過ごしました。途中、どこかへ寄ろうと思っていましたが高野山の鎮守の神様が祀られている天野大社へ総勢10名で参詣をしました。皆さん感激して喜んでいただきました。私も今から丁度、40年前の秋、台風が通過する最中に下駄を履いて衣姿で高野山から一日がかりで参詣をしたことを思い出しました。大変な一日でありフラフラになりお寺へ帰ってきた思い出です。もちろん、途中まではボロボロの路線バスに揺られ車内は人いきれで真っ白になるほどの蒸し暑さでした。途中から降ろされて横なぐりの雨の中をあてどもなく歩かされて着いたのが天野官弊大社。途中雨の降り盛るなか、老人が見かねて「帰りに寄ってくれ、お茶を準備しておくからなぁ」と誰彼無しに声を掛けていたことを思い出した。帰り道は違う道を通ることを知っていた私では有りましたが黙々と歩く列に無言で、老人の前を通り過ぎた事を未だに後味悪く、天野大社というと思い出します。

天野大社には以前、私の記憶では大きな大砲が奉納されていて日露戦争の戦利品と書かれていたことを覚えている。今日、40年ぶりに訪ねると朱塗りの太鼓橋が目に映り記憶の彼方から橋の存在を思い出しました。しかし、日露戦争戦利品の大砲であったか、焼夷弾であったか?その逸物はありませんでした。宮司さんにお尋ねしても「知らない」とご返事を戴きました。若い方だったので知らないのかも知れません。その後高野山奥の院に出向きお参りを済ませ、お食事を戴いてお寺に夕刻帰りました。楽しくもほろ苦い思い出が蘇った日帰り高野山でした。
天野官弊大社
太鼓橋にて
凛とした大社 高野山の鎮守
■ 6/23 晴れ       なかなか上がらない屋根鉄骨             
朝から山の上で大きな音がしている。瑜祇塔の鉄骨工事の音でありお寺にいても良く聞こえる。午前中、お参りに出かけて帰るついでに工事現場を訪れました。丁度、現場監督さんと工事の責任者の方がお見えであった。「住職、申し訳ない○○週間も遅れていて」と屋根の鉄骨が上がらないことをお詫びされる。雨もあれば台風もあるので仕方ないし、私は思うのですが今回の工事のハイライトは胴体と屋根と相隣がその全てであり生命と言えるほどの大切な部分と思います。鉄骨の職人さんの気が済むまで鉄骨作りに心血を注いで欲しい物です。以前、お寺の或る工事で工期が遅れていることを理由に、工事現場の監督さんに完工を契約通り済ませるよう強い指示があったことがあった。気乗りはしなかったのですが現場監督さんにそれとはなく伝えたことがありました。予想通り数年で屋根のラインは目通しで波打ちが出て、スズメ口の漆喰はたわみでひび割れ未だに、数年毎に私が補修をしています。

当寺の山門を指揮した「現代の名工(加賀藩拝領大工)」二ツ矢忠次郎(山崎竹由氏)の金言を借りると「住職さん、職人は急がせてはいけませんが、施主の納期に間に合わせるのも職人の仕事です」と庄川の鮎料理屋でのお接待の席での言葉を思い出します。確かに納期も大切ですがこれから数百年とこの地のシンボリックな建物と成る瑜祇塔を僅か数ヶ月待てないほどの了見では自分はないつもりですので確実で惚れ惚れするような建築を望むばかりです。明日も一日予定がありますが平穏な一日であることを祈り就床します。
■ 6/22 晴れ              
今日はよい天気であり清々しい一日。日中は暑いのですが夕刻ともなると涼しい。一日の気温の寒暖の差が激しすぎるような気がします。今日は一日、パソコンの前で諸書類のチェックやお盆、きゅうり祭り様々な行事や大切や書類の作成に追われました。何だか一週間が一ヶ月があっと言う間に過ぎて行きます。若い頃に言われた言葉に「時間がアッと今に過ぎるような過ごし方をしているのは時間を大切にしていない証拠」と言われたことがある。成るほどではありますが、、私は人よりも老化に猛烈に追い上げられているように思われて仕方がない。何だかこんな言い方をすると若い頃は良かったかと問われると、自分ではもう少しましのような気がするのですが・・・・本当に残念で仕方有りません。眼鏡を掛け、目を細め、欠けたドンブリ茶碗でブツブツの冷めたうどんを食べては、ため息をついている自分が情けないです。おっと、愚痴になりました。すいません。清々しい梅雨の晴れ間に勿体ないことを言いました。反省
■ 6/20 晴れ       久し振りの工事現場       
昨日は葬儀や台風が通過するやら、色々と有りました。環境班の方が台風の清掃をして下さっているので安心してお寺にいることができ寺務作業もはかどりました。夕刻、瑜祇塔工事現場へ行き架設工事の中央部から鉄骨が積み上げられている現場を眺めに行きました。徐々に姿を現し始めて来ている瑜祇塔。念願は叶えられつつありますが未だに、夢のような気分です。明日は夏至で一番日の長い一日だそうですが雨模様が予報されています。鉄骨の組み上げが遅延されるのが辛いです。
地上高 19m この上が屋根のてっぺんになり
7.4mの相隣が載ります
四方四隅には垂木の鉄骨が張り巡らされる
ついこの間の写真です
下から望むとこの様です
■ 6/18 晴れ       辛い通夜          
先日「昨日入院しました」と電話があり翌日お見舞いに伺って来た方が亡くなられた。昨日早朝奥様からお電話があった。数日前はお寺の空池で竹箒をもって何時ものように掃除をして頂き、息子にも声を掛けて下さったのに。まさかとは思いましたが・・・本当に残念でした。お寺の親睦会ではいつも予科練の歌や同期の桜を歌い最近では郡上や山口県にもご一緒して楽しく過ごした方でした。本当に残念の一言です。お経を上げていても楽しかったことや、お互いに声を掛け合って大変な作業やお寺の行事を終えて笑顔で言葉を掛け合ったことばかりが思い出されます。「いやぁ〜 愉快でありました」とか「まぁ一杯」といつも私に声を掛けては笑顔で接して下さいました。

23年前、私が一人で山仕事をしていると「住職さん、お手伝いしましょう」と言って夜遅くまでお手伝いもして下さいました。元気いっぱいで終生、現役で過ごされ入院して二日、寝付いて一日でそそくさと黄泉の世界へ旅立った元予科練。月夜の下での同期の桜はもう聞けませんが、瑜祇塔落成の夜、その夜は「十三夜」、皓々と輝く月夜を奥様と眺めますので、貴方がこよなく愛して下さった奥様とお寺の一隅に光をあてて下さい。心よりお願いしますと共にご冥福をお祈りします。
■ 6/16       寒い          
私だけが寒く感じるのだろうか? 今朝から体調不良で調子が良くなかったです。腰も痛いし肩も痛い。数日前、薬剤師の方から整形の良い先生を紹介して頂き早速受診をした。「肩はゴルフのティーの上に載ったゴルフボールのようなので外れないよう、筋肉に負担をかけないよう注意して下さい」と言われたのだが・・・ゴルフは今までにしたことがないので意味がよく分からない。まぁ、想像すれば芝生に刺して球を載せる様に僅かな面で肩の骨を固定してると説明をされたと思っています。

リハビリをしたら少々良くなりましたが・・・運動不足とは思います。さて、知り合いの方が三名も同時期に入院をしたり就床している。お見舞いに伺ってはきましたが、とても心配です。私も肩や咽が痛いので気持ちもよく分かります。この様な季節に寝なくてはならないのも鬱陶しい事と思います。体力の低下と病魔の心配。薬で補うのでしょうが、今ご入院されている方はどうも薬剤の長期服用が主原因とお医者に告げられたそうです。何が何だかわかりませんが、ジメジメの梅雨空に明るい世間での話題が欲しいです。
■ 6/13 曇り       四国へ          
徳島県薬王寺様へ工事の進み具合を、ご無沙汰をお詫びかたがた、ご報告に上がらせて頂いた。お忙しい中をお出ましいただき、持参したパソコンにてご案内をさせて頂いた。お昼過ぎに失礼をして薬王寺様を辞去した。時間があったので、徳島から和歌山までフェリーで帰りお寺に夕刻に戻りました。

フェリーの中では冷房が私の体を突き刺すようにこたえました。少々疲れましたが薬王寺様のご理解の元で今回の工事が進んでいることを思うとなまかわな事は言っていてはバチが当たります。体のことを思うと、主治医の先生の指導を守り大切に過ごしたいです。でも本当はチョット疲れました。
■ 6/8 夕刻より雨       涼しすぎる6月          
例年よりも遅い梅雨入り。本日東海地方は梅雨入りとニュースで流れていた。それにしてもムシムシした梅雨とは程遠い気候です。今年植え替えたり新しく移植した枝垂れ桜の元にはお寺の貯水槽から雨水が送られているが・・・雨も降らないので空になりかけてきている。以前にもこの備忘録でご案内しましたが当寺の山頂駐車場の下には大量の雨水を溜める貯水槽が作られている。これは平成4年に今の愛昇殿雲上ホールの前身を私が竣工させた時に、駐車場や建物へ降った雨を貯水し夏場の水遣りや火事の時の放水に使用するつもりで造作した物なのです。

おそらくこの貯水槽を知っているのはお寺で働く環境班か私しか知らない貯水槽なのです。深さは5m程あり、8畳間二間ほどの広さがあります。水が溢れる程に溜まると、小さな窓からヘルメットが映るのですが・・・ここの所、晴れ続きで水も枯渇し始めました。それにもまして、この気候では東北地方の稲作も大変厳しい状況にならなければと心配をしています。以前、冷夏が日本を襲いタイ米とかカルフォルニア米、オーストラリア米とかが平成5年頃でしたが緊急輸入をした事を思い出します。梅雨も例年に比べると一週間ほど早く上がるとかとテレビで言っていました。不況に原発、地震と不運に巻き込まれるこの国。通貨危機やイスラエル状勢、そこへ冷害となればホトホト嫌になります。「風雨順時、五穀豊穣」・・・古い言葉ですが何とか神仏の冥助で豊年の1年を迎えたいです。
■ 6/4       涼しすぎる6月          
梅雨間近なのに肌寒い。お寺の本堂の壁画に異常があり京都の仏具屋さんも心配されて本日見に来て下さいました。金箔の表面は真っ黒。女性の絵師の方がそっと拭く真っ白なティッシュペーパーは真っ黒になる。「はて?屋内が真っ黒になる原因は・・・」。和ロウソクの油煙が金箔にすすけて付着したのが原因でした。きれいに拭いて貰ったら元のパットした黄金色に戻りました。色々とあるものです。瑜祇塔の建設は6日頃から再び鉄骨が上がるそうである。梅雨間近の工事は事故の無いよう慎重を期して勧めて欲しい物です。


ススを落とした仏画
煤けてい生彩のない壁の色・・です
■ 6/3 曇/晴       古戦場祭りと納骨堂案内会          
天候は50%の降水確率。天気を気にしていましたがお昼頃、黒雲が立ちこめましたが幸いに一粒も雨が降らない一日でした。恒例の武者行列の頃には青空も見え始め、暑くもない大変過ごしやすい古戦場祭りになりました。終日多くの方々のお祭りへのご参加があり私も一日バタバタとしていました。納骨堂の案内所もお手伝いを戴いて色々とご説明をさせて頂きました。私は来客や応対に追われて落ち着かない夕刻を迎えました。
大変賑わいました
カラオケ大会
武者行列は既に通り過ぎました。
私と中学の同級生