住職備忘録
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2002〜2009
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平成25年9月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

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当寺のご近所でケアtaxを為されておられます。ご紹介を申し上げます
CareTaxiれんげ

■9/23        彼岸法要          
静かな彼岸中日の日でした。穏やかに晴れ去りゆく夏と、秋の訪れの足音が仲良く同居する彼岸法要の一日でした。お世話人さんのご活躍で準備片づけはあっという間に済んで元のお寺の佇まいに戻りました。来年の春までは仏事がないので寂しく感じるのは、毎年の事ですが大勢の人がお越しになって頂けるようになりました。住職として35年の歳月が流れ色々と思う事も多い秋彼岸の一日でした。

彼岸花 毎年この頃にぴたりと咲きます
工事中の本堂・・・来年正月明けには多分きれいになると思います
お勤めの開始・・・毎年緊張をします
私からの簡単な挨拶をさせて頂きました
毎年多くの方がお詣りに来られます
台所では白玉作りが急ピッチです
法要途中でも申し込みがあり僧侶は大変です
境内では白玉ぜんざいのお接待でにぎわいました
皆さま ようこそ お詣り下さいました
(撮影者にこのアングルを感謝します)
■9/19        快晴が続きます          
本堂屋根の破風を洗いにかけました。明治時代半ばに建てられた本堂で足場のかかっている時に洗いを思いたち洗って頂きました。洗い屋さんは真っ黒な破風を水洗いと脱色をして仕上げてくれました。とても綺麗になりましたが芳金金物がないので本堂屋根工事と同時に金物もお願いをする予定です。何でも工事は一度であり、足場をそのたびに掛ける事は費用も無駄になりますので、思い切って一応の工事をするよう体です。
思い瓦を外したら相当に汚れた破風の部分が見えてきました。
これを綺麗にすると本堂創建の頃の姿が見えてくるのでしょう
相当に綺麗にして下さいました。熱い最中に大変でしたが
とても満足しております。芳金金物も取り付ける予定です。
■9/12        世話人さん懇親旅行          
二泊三日で有馬温泉、鳴門海峡と姫路大日寺を参詣して懇親旅行に出かけてきました。お寺のマイクロバスにて二泊旅行の行程で高野山→有馬温泉→摩耶山天上寺→四国札所1番2番→鳴門宿泊→揖保の糸会館→姫路大日寺→お寺と相当の強行軍でした。様子をアップしますのでご覧下さい。
エクシブ有馬温泉
夜のディナー
摩耶山 天上寺参詣
四国第二番札所 極楽寺
鳴門の魚屋さん
揖保の糸会館にて素麺作りの説明
■9/08 曇/晴        オリンピック 良かった          
早朝、目が覚めました。

「そうだ、確か未明にオリンピックが」と思い出して枕元のラジオスイッチを入れました。五時頃から投票結果を発表するという。フトンの中か抜け出しテレビの前に座りました。5時20分頃でしたか「Tokyo 2020.」 と映像を生で眺めて7年後のオリンピックを心から喜びました。何だか小学校5年生の頃の事を思い出しました。昭和三十九年十月十日は快晴の好天で本当によい一日でした。昭和三十九年東京オリンピックが開催され日本は、戦後19年でオリンピックにまでこぎ着けた日本ではありました。子供ながらに、心躍り血湧き肉躍る、今でもあの頃の感動を忘れることが出来ません。ファンファーレはエキゾチックなメロディーであり高音の抜けきった音色は三連音符がうまく絡み合い神々しい音色でした。古関裕而さん作曲「東京オリンピックマーチ」。畳の上で落ち着いてテレビを見ていられるような雰囲気では私にとって、ありませんでした。私は、本堂の前を訳もなく小躍りし、涙を流して踊り始めました。 赤のブレザーに白のズボンの制服姿の日本選手団が誇らしげに堂々と行進が開始され、天皇陛下の前にて全員が深々と一礼する姿に私は失神する程の感激を未だに覚えております。

聖火が入場し、一気に国立競技場の階段を登りきる青年、オレンジ色の聖火が灯る、平和の祭典、オリンピックが切っ掛けで私は勇壮な音楽を演奏をしていた大勢のブラスバンドの姿に惚れ込んでしまい将来機会があれば吹奏楽をしてみたい虜になってしまいました。しかし私の変なところは、楽器を持って練習を始めるまで、恥ずかしい話しですが、音符が全く読めなかったんです。子供の頃からオルガンやピアノは練習していましたが、煩わしい音楽史や音楽の形式は大嫌いで、♯や♭が幾つも重なっている五線譜に山盛りの音符を見るのは、それこそ失神しそうで大嫌いでした。不思議にピアノは弾いてはいたんですが・・・音符は読んでいた記憶がないのです。まぁどっちでも良いのですが、あの秋空の下の東京オリンピックは小学校5年生の私にとって、HNKは感激の電波を体の芯まで奮わせてくれたことは間違いなかったです。感激でした。そして毎年あの感激を思い出させずには居られません。

今日再び、オリンピックが日本国で行われる事が決定されて大変嬉しく思いました。もう歳ですので子供の頃ように何かを始めて見るつもりはありませんが、健康でもう一度、オリンピックを眺めてみたいです。

今日は鹿児島県から永代供養をされておられる方がお詣りに来て頂きました。今年二月だったか、鹿児島を訪れた私の思い出話とオリンピックのお話で良い一日を終える事が出来ました。お休みなさい。
■9/03 曇/雨                  
天気予報が当たらない。竜巻が発生して関東地方で被害が発生。気象に関する話題が九月に入ってから多いような気がします。今月からお寺の主催で体操教室が為されています。日頃使わない筋肉や関節を先生の簡単な指導で月に二回行うストレッチ体操。第一回目が成されました。数年前もディユーク更家さんのお弟子さんで同様の運動を行っていましたが・・・今回からはお寺の費用で参加をしてもらえるようにしました。10名ほどの方が参加して運動をされました。

私は午後から工事、電気、外構、文化財、免震、それぞれの方達と1時間刻みでお会いして色々と見積もりや説明、新たな発見の話題等で一日を終えました。文化財研究の方からは古戦場の事で「偏屈で嘆かわしい古戦場研究のグループがいる」「己が歴史認識の偏りを顧みない、歴史に謙虚さを持ち合わせていない・・・」等々の嘆かわしい実態を伺いました。「不都合な史料や書物を顧みない(種々の情報を持ち合わせない)人はせいぜい小学校3年生、良く小学6年生程度の人だ、例え驚くような高学歴を持っていても」と司馬遼太郎先生は仰ってお見えでした。文明人と野蛮人の差は「華夷の差(かいのさ)」の例を取って、歴史の真実にせまる科学する姿勢を、亡くなられた司馬遼太郎さんは何時も仰ってお見えでした。優秀だ、利口だ、エリートだといえども極端な出世や欲望の前に、人は事実を見過ごしたり、看て見ぬふりをして不都合になると事実を隠蔽する。短い目で見れば野蛮人の悪事は露見しないかも知れないが、長い目で見れば文明人たる人に歴史の末には見透かされたり、反対に同じ過ちを繰り返し国家の存続に関わる重大事にもつながりかねない。歴史を尋ね未来の子孫へ伝えるためには偉大な先人(文化人)への謙虚な姿勢を現代の私たちは、早く気が付くべきだと思います。山脇東洋、安藤昌益、荻生徂徠、緒方洪庵・・・真実を眺めつつ、日々の疑問に関心を払い、時として今までの自分に未練もなく別れる事が出来る文化人。文化人の致命傷は、ハッと気が付いた時に、自分で自分を生まれ変われさせられない事ではないかと、私は思います。福沢諭吉のように或る切っ掛けで「脱亜入欧」とさっさと見切りを付けられるような歴史家がこの「桶狭間合戦史料家」の中に出るのであろうか。