住職備忘録
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2002〜2009
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平成26年6月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
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当寺のご近所でケアtaxを為されておられます。ご紹介を申し上げます
CareTaxiれんげ

■ 6/27      人生のけじめの付け方・・・松本サ○ン事件    
20年も前の大事件・・・松本サ○ン事件。私も当時を鮮明に覚えている大変な事件でした。一人の容疑者に向かって捜査もマスコミも凄まじい勢いで取り上げられ、容疑をかけられた方は冷静にお話をするにも世間に流れる観測は、今考えれば、無責任の一言でありました。週刊誌は「これでも白を切るか!コンだけ証拠があるぞ」とか容疑者の方への大方は犯罪者扱いであった。ある時突然「容疑は晴れた」「マスコミのあり方」「権力のあり方」「捜査に無理はなかったか」・・・等々の論調がマスコミに流れ始めました。容疑者扱いであった方の奥様は大変な被害者であり、ご主人は矢面に立たされた被疑者から一転、容疑者どころか大変な被害者であり奥様は重篤な意識障害で快復の無かった方でありました。あれから20年の歳月を経てネットで事件を再び知らされました。以下は容疑をかけられ権力と世間中から非難と中傷、厳しい毎日を過ごされ、全く関係のない非難中傷、暴言被害を世間中から浴びせられた現在のご心境を伝える記事をネットで見つけ、還暦を迎えた私は思う事大でありました。権力に在る者の謙虚、何の資料も持たない民衆に冷静なニュースを伝えるマスコミの重大性、売れさえ良ければよいマスコミ・・・権力とマスコミに睨まれたら最後の個人。
最近もありましたね、STAP細胞事件。新聞を読む者や記事を書く者、また論文を書く環境での科学とかけ離れた赤裸々な出世ねたみ。野次馬のような記事や、知識も経験もない読者は一体何を想って数ヶ月前のあの事件に騒いでいたのか? 繰り返されニュースの賞味期限とされて、一顧だにされず消えて被害にあった人々を思うと、世間の責任は重大なように想えます。

以下は松本サ○ン事件で酷い目に遭った方の思いです(YAHOOニュースよりC&P、()と赤字は私が入れた物)
「人は間違うもの、という思いにつきる。(マスコミ、警察よりの)謝罪という形でけじめをつけた後は怒りも憤りもない。私が絶対的に優位な立場で(マスコミ、警察)を追い詰めたら、そこには反感しか生まれない。そうなると、私の話に耳を貸さず、事件が教訓にならなくなる」
 −−麻○死刑囚や実行犯に思うことは
 「自分でやったことは自分で総括するしかない。ただ、実行犯たちは組織に入らなければ罪を犯さなかったから、ある意味で被害者だったのかもしれない。麻○さんを含め、恨みの感情は一切ない。私が容疑者扱いされたとき、毎日のように『死ね』という電話や手紙が来たが、そのとき、人を恨み続けるのがいかに不幸なことかと痛感した。人を恨み続けるのは、すごくエネルギーがいる行為。限りある人生、そんなことにエネルギーを使うより、趣味などに使いたい」
■ 6/22      紫陽花が雨と竹藪に映える頃    
昨年紫陽花を900本植えて成長を楽しみにしていました。今年は花をつかせて可愛い色とりどりの花を咲かせてくれました。まだまだ小さいですがこれからの成長が楽しみです。肥料を年4回与えるように植木屋さんから指導を受けていますのでキチンと守って施肥をしております。

おお玄関付近の紫陽花
竹林に映える紫陽花・・・施肥を行い5年後が楽しみです
可愛そうに・・・芽花を切られて咲く事が出来ません
■ 6/8 快晴      古戦場祭り    
例年の古戦場祭りがありました。これを境にお寺は夏に突入します。きゅうり加持、お盆と目前に迫っています。私が住職なって古戦場祭りは34回目か?色んな事が昨日のように思い出されます。有給休暇を全部使い果たして町内の仕事をした氏子さん、夜遅くまで責任を感じて打ち合わせをしていた幹事さん、26歳でこのお寺を嗣いだ私の目の前を通り過ぎた古戦場祭りの幹事さん。今は、数万の人が来るお祭りになりましたよ。私も歳をとりました。
古戦場祭りの開始です 天気も本当に良かったです
各ブースの売り子さん
戦国おもてなし隊
観光ボランティアの方の説明
朝鮮学校の娘さんの出番です
ハワイアンの女性とニュージーランド女性
ただ他一人黙々と 本当にご苦労さまでした
薩摩琵琶
パレードの境内入りです
■ 6/5 雨/曇      高野山参詣    
午前中、古くからの檀家さんのお葬儀を行いました。大変人徳のある女性の方で60代過ぎでこの町内にいた人なら手を引いかれたり背中に負われなかった人は一人もいない程、人気と優しさと気配りの出来た温かい人でした。その方の娘さんは私が紹介した友人と結婚をして彼の子供の殆どのお祝い事には私も出席させて頂いた間柄の方でした。私も予定が多く、初七日は副住職に任せて高野山に出かけました。ただ、東名阪道路の工事やバイパス道路の土砂崩れ通行止めに遭い夜遅くの高野山となってしまいました。無理を言って泊めて頂いた高野山の或る宿坊、本堂から部屋へ向かう廊下を歩くと高野山境内絵図があり当寺の名前が版木で印刷されていました。とても興味深くながめ、宿坊を後にしました。いつもなら和歌山で宿泊をするので、高野山到着がお昼前になるのです。高野山に宿泊をすると午前8時頃からお詣りや墓掃除が出来て大変時間を有効に使わせて貰いました。お寺に帰るとまた色々と予定が入り来客も多かったです。
色々なお寺名が連なっていたんですね
印刷の添え書き
6月の高徳院高野山墓所