住職備忘録
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2002〜2009
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名古屋の天気予報
-天気予報コム-

平成27年3月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 3/22       夕刻高野山参詣
日曜日の予定を終えてお昼ご飯を頂いて高野山へ納骨に出掛けました。先月は予定が多くてお詣りも掃除も出来ない事を気にしていました。また四国に下見と所用があり急遽出掛けました。高野山には夕刻到着して納骨三霊位を無事に埋葬できました。ただ、徳島県、高知県へ予定を済ませるつもりで足早に高野山を下りましたが、フェリー発着予定を思うと和歌山市内で宿泊を致しました。寒い一夜を過ごし翌日は徳島県、日和佐の薬王寺をお詣りして高知市内で打合せと宿泊、24日にお寺へ帰寺しました。お寺では葬儀もあり、彼岸会を終えても緊張と慎重なる毎日を過ごして下さいます。毎日がめまぐるしく過ぎて行きますが多くの人の手伝いと自分の事のように働いて下さる職員さんのお陰を感謝しております。
■ 3/21 曇/晴       彼岸法要
ホントに沢山の方のお詣りを頂きました。新たに参加して下さった世話人さんも大活躍を頂き無事に彼岸会を終える事が出来ました。新たに導入したシステムが人の間違い、思い違い、受付、確認、を管理及び実行して頂いたので大変に助かりました。境内受付の方より「今回は定時で帰宅しますね」と笑顔で挨拶を受けるとこちらも気持ちが和みました。福沢諭吉翁は「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」・・・改めて思いを新たにしました。当日の様子です。
開式前の打合せ
台所もお接待の準備です
法要が始まりました
■ 3/19       BS11
4/13 19:00 織田信長の番組が放映される予定と本日連絡が入りまいた。先月末頃に取材を受け、インタビューを受けました。多分放映されると思いますのでご関心の方はご覧下さい。
■ 3/17       彼岸外部の設営準備と塔婆染筆
朝より快晴であり環境班の人達と彼岸法要での外部お接待準備の設営をしました。何時もですとテントを立てて大変な重労働でしたが昨秋より一計を講じて、非常に大変軽作業で準備が終えられるようになりました。今日は新たに新調した幔幕もテスト掛けして雰囲気を少し確かめました。私なりに満足をしていますが・・ 彼岸塔婆もたくさんお申し込みがあり今年から筆字体での印刷となり誤字脱字、本来の文字等に正確さを期す事が出来る塔婆が出来上がりました。無論、自筆に勝る物はありませんが限られた時間に「正確」を求めるとこの方向しかないような思いで新たなる塔婆を眺めて間違いのない彼岸法要を行いたいと思います。

 夜はお寺の史料編纂室にて、沢山の史料からは公文書や子供の頃見た事のあった物まで続々と出てきました。竹田宮殿下、三笠宮殿下が昭和16年にお越しになられた折りのお供えや、下賜品が見つかりました。「あった、あった、ここにあった」と私は嬉しさで声が出てしまいました。 今年、高野山で法院職にご就任された金剛三昧院さまより記念品も届き、祝典に失礼をしたにもかかわらずご芳志を頂き感謝します。

史料の整理はこれからが大変ですが、お寺にお勤め頂いている方々と世話人さん、多くの方々の応援を頂いて地道に焦らずに、やり直しをしないような整理をしていこうと思いました。

お寺の境内に、テスト伸張した幔幕・・・・これからは寺行事に皆さんの目に留まると思います
三笠宮殿下 御来寺時に御下賜袋
竹田宮殿下 ご下賜品
(竹田宮殿下 ご長女 竹田良子様 刺繍)
縦横30センチほどの可愛らしいお品です
金剛三昧院 長老 久利 康彰 僧正 法印 昇進記念品
■ 3/16       色々な史料の発見
昨年より開始した当時の資料整理をボチボチと行ってきましたが今日、世話人さんにお願いして一気にお寺の史料編纂室へ史料毎に収蔵して頂きました。埃だらけであり、書類から掛け軸、書画骨董、茶碗から個人資料、古戦場関係、版木、多種多様であり神経を使いましたがやっと落ち着いたようでした。

当寺は霊峰高野山、金剛峰寺(こんごうぶじ)東門の真正面に位置していた寺院でした。今年は高野山開創1200年の記念すべき年に当たります。今から100年前の高野山開創1100年記念法会の記念写真が不思議に書庫から出てきました。今から100年前は大正4年の年であり先代住職(私の亡父)の誕生した年でもあります。その時の写真が偶然ながら私の机の上に現在あります。高徳院住職杉浦諦應僧正が写る、恐らく金剛峰寺大広間先での集合写真です。私はこの度の高野山開創1200年記念法会には出仕不能であり残念至極であります。100年前の杉浦諦應僧正が写る写真を眺め、別の日を見つけお詫びと至心からのお詣りを致す所存です。100年前の写真です。

赤印が元高徳院住職 杉浦 諦應 僧正
■ 3/13       半年前よりの検査入院
今年で19年目の検診に出掛けてきました。昨年相当に脅かされ「来年の事は、その時に判断します」と言われ恐る恐るの検診でした。病院二泊で結果は「年相応ですが様子を見ましょう」との事でした。ここの先生は歴史や建築物が好きで病気以外の話題が延々と続き最後は「先生、お互いに健康でいましょう」と私が辞去して検診を終えました。初めて新東名高速道路を通りましたがカーブが少なくサービスエリアも恐ろしいほど綺麗で・・・既存の東名高速道路のサービスエリアが一昔前のドライブインに見えました。景気がよいのでしょうか?どこもここも大勢の方がお見えであり、中国語があちこちから聞こえてきました。お店の人も、中国語を何不自由なく会話され、老境を自覚せざるを得ない私には大変新鮮に映りました。
■ 3/07 曇り       タヌキとの遭遇・・・お寺に棲み付く二匹のタヌキ
瑜祇塔へバイクで向かうと二匹のタヌキが道路と森の中にいました。多分親子ずれですね。子タヌキは落ち着かないように大きなタヌキの側にいたり走って隠れたりしています。親タヌキ?は注意深く私の姿を追って眺めていました。お寺の山には多くのドングリ大木があり周りの家に迷惑にならないよう伐採したり整理をしたりしています。またお寺にはお墓があり多少の食物になるモノもあるのでしょうか?入れ替わり立ち替わりタヌキが最近多く見かけられます。自分の身を隠したり、棲むには都合の良いお寺の境内は格好の住みかなのでしょうか。最近よくタヌキを見るのです。空にはウグイスが練習を始めました。
後ろの子供タヌキ?を眺めています
私の姿をじっと眺めるタヌキ
■ 3/05       farewell party
檀家さんの娘さんがドイツに帰られる事となり私が一席を設けて「さよなら会」を行いました。ドイツ人息子さん二人はお話をした事がありましたがご主人とは初めてお話をする機会を得ました。名古屋のお料理屋さんで会席が始まりました。ドイツの国柄、進学、風習、他国との国情の違い等が話題の中心となってしましま下。私はあまりヨーロッパの事を知らないので興味のある事を次から次へのお尋ねし、また先頃読んでいて面白かったロシアの事、日本人漂流民のお話、お茶のお話と・・・色々なお話で盛り上がりました。午後6時からの会食でしたが気が付いたら9時でした。妹さんから席を替えてもう一杯と誘われて4名で錦へ繰り出しました。そこにお一人世界的高名な脳外科医の方も参加されて計5名で楽しくカラオケを楽しみました。久しぶりの名古屋は賑わっているのか?何時もこの様なのか?午前様前にお寺に帰る事が出来ました。
■ 3/03        境内の見切石工事
お墓から永代供養に移動される方が多く石材も不用材として多く出ます。もちろん仏石は石材店さんに処分を願いますが再利用して生かせる石材は出来だけ再使用を行う事としています。今日は長尺の石材を利用して境内の歩道との見切り工事を致しました。お寺には色々と重労働を軽減できる機器があり協力して施工をいたしました。夕刻「住職さん、生コン0.4立米買ってきて貰えませんか」と依頼がありました。若い環境班の人と二人で生コンを買ってきました。軽トラックにタップリ積まれた生コンは私の運転するトラックで無事お寺に着いて待ち受ける他の2名と共に基礎部分に流し込みました。明日は天気が悪いとかで急遽、始まった生コン打ち。来週あたりには白砂を敷き詰めきれいになると思います。工事の様子です。
おうらい、おうらい、バックオーライ。
がっちり石材を固定します
糸張りをして、周りの地面とレベルをとる。
石は重いので大変ですが、少し智恵と工夫をすると案外楽です。