住職備忘録
2010〜
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2002〜2009
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平成27年11月分

非営利斎場「六波羅蜜会堂」の動画です
 ご覧下さい

カウンター
■ 11/24      開かれないドア     
歳のせいでしょうね、夜明けまで目の覚める事の無かった私ですがここ数年来、一晩に2度ほど目が覚めます。途中途中に夢も見ますが殆どを忘れてしまい朝を迎えます。また夜中の電話も度々あり熟睡が難しいです。若い頃は夜中に電話が何度有ってもそれ程に苦ではありませんでした。

昨夜の私の夢のお話です・・・西洋の古城のような回廊を巡らした所に私が宿泊をしていました。何だか薄暗い気味の悪いところでした。良く映画に出てくるような石畳に月の光が雨露でにぶく妖しく光り、チラホラと窓の明かりが見える古城の回廊をてくてく歩いています。あちこちを眺めると先年亡くなった母が近くの部屋にいました。「お母さん」と声を掛けても何も言いません。まぁ、良いかと思い自室に入って行きお風呂を使いました。洗面所の鏡の前で歯を磨くとその鏡に白衣の誰かがスッーと左から右へ現れて消えました。薄気味の悪いところだと思いながら今度はヒゲを剃って鏡を見つめるとまたスッーと左から右へ急ぐように消えて行きます。気持ちが悪いな〜と思いまたヒゲを剃るとまた別人物がスッーと現れて消えていきます。

 段々と怖くなってきて風呂やひげ剃りではなくなり一刻も早く自室に戻り早く休もうと思いました。「そうだ、母が何処かにいるから母のそばで休もう」と部屋を出てあちこちを歩き小窓からなつかし母の顔を見つけてドアをノックしました。ノブをガチャガチャと押しても全く開きません。「お母さん、私です。開けて下さい。」と一緒に休もうと思って母に声を掛けるのですが開かれる事はなかったです。小窓を眺めると母は疲れたようにベッドで休んでいました。どうしよう・・・困ったな・・困ったな・・・で目が覚めました。

私は子供の頃から母親を、学校では困らせましたが、物心付いた頃からは優しく思いやりをもって接してきました。桜が咲いた時、「お母さん、また来年一緒に桜を眺めてね」と言うと「有り難う」と涙まじりに応えてもくれました。お嫁に来ても一度も自由にならなかったお金、私は母に給料を支払って自由に使えるお金を作り喜ばれました。私が困って「部屋に入れて下さい」と入っても部屋に入れてくれなかった母親。夢の中のお話ですがあの時、母が寂しくて私を部屋に入れていてくれたら・・・・目が覚めてしばらくして「部屋に入れてくれなかった」母。久しぶりに母に会えました。
■ 11/11      モミジと桜とハナミズキ     
昨日、お寺の裏山の雑木整理のお話を書きました。今日は久しぶりに鈴鹿の枝垂れ桜販売の農家へ行ってきました。色々と桜のお話をしてあちこちの畑を見てきたらモミジの大木も数本在りました。モミジも桜も合う合わないの土質がありますが当寺の山の土質は桜、モミジ、松、とは大変相性がよいですので。取りあえず枝垂れ桜、アジサイを大量にお願いして、モミジ3本を見積もってもらいました。移植栽は私と環境班で年末年始の仕事として来年の春、梅雨にきれいにお寺のお山が彩られると思います。

高徳院に来ると松がないのに何故松と相性がよいのかと思われると思います。実は今から30年ほど前からの10年間で松食い虫に殆ど枯らされてしまいました。私が本当に独りで全てを切り倒し、引っ張り出して小分けに切り分けて焼却処分をして今日まで来ました。今残っているのは宮様の松二本、株立ち赤松、石庭の松、本堂裏の20mの松の5本のみとなってしまいました。時が経つと境内の自然も場合によって入れ替わるのでしょうね。

鈴鹿の農園から帰る途中に江戸時代に鳥羽から漂流してアリューシャン列島に漂着し大陸を横断してロシアの古都サンクトペテルブルグで帰国を許され再び凍土のシベリアを経由して日本に帰ってきた大黒屋光太夫記念館をチラリと眺めてお寺に帰りました。記念館は10坪くらいの小さな記念館でした。30分ほどで記念館を出て何十年ぶりの国道23号線を通りました。恐らく名阪道路の開通と共に通る機会を失った道路。若い頃に戻ったような風景が所々に残り、かつての色々な思い出にふけって夕刻お寺に帰りました。テレビを付けると三菱重工のMRJ国産ジェット旅客機の初飛行のニュースが取り上げられていました。お寺の檀家さんにもこの仕事に関わっている方がお見えであり「住職大変ですよ。過剰品質と言ってクリアーするのが大変です」と苦労話を幾つか聞かせてもらいました。 苦しんで工夫をして、思い詰めて神にもすがる思いで今日の日を迎えたかと思います。飛行機の初飛行をテレビで眺めていて本当に涙が出る思いでした。苦しんで最高の協力と技術、最高水準を達成して青空に舞い立った生まれたばかりの赤ちゃんジェット旅客機に幸いあれと、何度も何度もテレビニュースを眺めて篤くなる思いをしていました。
昔、東亜国内航空という会社があり沖縄九州便を運行していた会社のYS11を何度かのりました。次に乗るのはMDJ再来年との事。健康に気を付けて青空から眺めてみたいです。
■ 11/10      
先月よりお寺の境内裏山、瑜祇塔脇の雑木林を整理して生え過ぎた木々を整理しております。当寺のように広い境内と山林を持っていると木々を手入れしなくてはなりません。「せっかく自生したドングリや雑木を伐採するのは寂しいな」とかつての私も思っていました。しかし、自然は必ず手を入れないと手の付けられない物になります。万が一に倒木を興したら「里山の大木」から「管理不届きの凶器」に変わってしまいます。裏山は30センチ以上の腐葉土に覆われた木々にとっては天然のベッドです。フンワリふわりしていますので重機で少し揺すると左右に揺れてグッと引き抜くと根から抜けてしまいます。雨が降って風が吹いたら・・・倒れてしまい大事となりますので先日以来の作業となっています。

サッパリし始めた大地には落葉の終わったモミジ、ハナミズキ、枝垂れ桜を冬の間に移植します。「住職、何時植えるのですか?」「落葉して冬眠に入った樹木を移植して、目が覚めたら高徳院だったで春になると花が咲くように植えるんだよ」と新しく入った僧侶に伝えると微笑んでいました。しばらくすると三河の採石場から30tの石材が運ばれてきます。私を含めてお寺の職員で石垣を積んでコンクリートで補強して雨にも風にも負けない里山作りにこれから時間を作って開始します。あと二ヶ月弱で新年を迎えます。大掃除も既に終えてしめ縄を飾れば正月です。